さんま、引退前の最後の舞台出演?!

さんま、引退前の最後の舞台出演?!

明石屋さんま、伝説の舞台「七人ぐらいの兵隊」再演決定

明石屋さんま、お笑い怪獣が演劇界に再上陸?!

明石屋さんま。言わずと知れたお笑い怪獣。還暦を前に彼の進撃はとどまるところを知りません。

今年還暦を迎える明石屋さんまが、2012年の「PRESS」以来、3年ぶりに舞台に挑みます。演目は2000年に上演された「七人ぐらいの兵士」の再演。俳優、生瀬勝久とテレビドラマで共演したとき、いつも調子で「このメンバーでまた仕事やろうや」と言った明石屋さんまの一言に、生瀬勝久が一気に台本を書き上げ、「これでどうや」とさんまにつきつけたのがきっかけの作品ですが、明石屋さんまは、この作品のために、自らプロデュースする演劇ユニット「カンパニー」を立ち上げました。以後2004年「JOKER」、2006年「小鹿物語」、2009年「ワルシャワの鼻」、そして2002年「PRESS」と、コンスタントに新作を上演し、演劇として高い評価を得てきました。トーク番組ではいつも、ドラマや芝居に出るのはしんどいと言ってはばからない彼が、還暦を迎える今、なぜ芝居に挑むのか。これで明石屋さんま引退宣言か!などと、芸能界では様々な憶測を呼び、7月の上演の前にたいへん注目を集めています。

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明石屋さんまプロデュース、謎の演劇集団「カンパニー」のメンバーたち

明石屋さんまは、2000年にこの芝居をするにあたって、自ら演劇ユニットを立ち上げ、メンバーを集めました。まずは演出の水田伸行さん。一般にはあまり知られていない方ですが、実は日本テレビの敏腕ディレクターで、松雪泰子の「Mother」や、満島ひかるの「Woman」など、話題作を次々と生み出しています。

そして脚本家兼出演者が生瀬勝久。明石屋さんまがお笑い怪獣なら、生瀬勝久は芝居怪獣といってもいい人気俳優ですが、実は彼、関西では若い時から知られていた演劇人で、その頃の芸名が槍魔栗三助。当時NHKのドラマに出演が決まった時、この名前では出すことができないということで、生瀬勝久と改名したとか。

また、初演の時出演者に選ばれたのが、妖怪ぬらりひょんのような容貌の温水洋一。彼は以後大ブレイクを果たしました。今回の公演にも当然参加しています。

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明石屋さんまは、還暦・引退を前に何をたくらんでいるのか。

 

明石屋さんまが挑む「七人ぐらいの兵士」が生まれたきっかけ

「カンパニー」の3人が出会ったのは、1997年日本テレビドラマ「恋のバカンス」。明石屋さんまは、かつてのインタビューで、自分が出演したドラマの中で、もっとも好きなドラマだと言っています。ちなみにこのドラマの脚本家は、今や相棒シリーズの重鎮、輿水泰弘。才能というものは集まるものですね。とにかく、この番組の打ち上げで明石屋さんまが言った一言が、今や伝説となった芝居「七人ぐらいの兵士」を生んだわけですが、実現できたのは、彼の演劇人としての才能を見抜いた生瀬勝久の存在が大きかったと考えられます。

明石屋さんま、還暦を機会に俳優業に転身宣言?!

明石屋さんまは、かつてのレンジローバーや最近のシボレーエルカミーノなど、車の趣味をみてもわかるように、TVであろうが舞台であろうが、とにかく目立ちたい、ええかっこしたい、自分のペースでやりたいという唯我独尊の人。彼のそんな欠点を差し引いても、明石屋さんまが納得して演じることのできる脚本を生瀬勝久が書き、明石屋さんまが信頼する水田伸生が演出するのですから、お笑い怪獣のパワーは最大限に発揮されます。それに、明石屋さんまは24時間お笑いというイメージがありますが、実生活においては、幼くして実母を失い、腹違いの弟も若くして亡くしています。実家の火災や離婚も経験していて、人並み以上に苦労も多かった明石屋さんま。人生の哀感といったものも十分に表現できる年齢となった今、日中戦争の中、無念にも戦死していった兵士の苦悩や悲哀をよりいっそう深く表現できるでしょうし、クライマックス、主人公が叫ぶ「死ぬのが怖いんやない!生きていたいんや!」という名言は、観る者の心にきっと響くことでしょう。

喜劇人の中では、晩年、名俳優として成功している人が数多くいます。もしかしたら、これは還暦を迎えた明石屋さんまのお笑い引退宣言、兼、新たな挑戦なのかもしれません。これは彼にとって悪夢かもしれませんが、元妻である大竹しのぶとの舞台共演も夢ではありませんね。

明石屋さんまの出身地、和歌山県東牟婁郡はどんなところ

明石屋さんまの出生地は、本州最南端の町

明石屋さんまは、一般に奈良県生まれと思われていますが、実は生まれたのは和歌山県です。彼の生まれた和歌山県東牟婁郡は、和歌山県の南端の那智勝浦町、太地町、古座川町、北山村、串本町の5つの町村が集まった地域です。那智勝浦には熊野那智大社があり、太地町はクジラ、串本町は本州最南端の町として有名で、温泉で有名な白浜より、さらに南に位置しています。ちなみに明石屋さんまは、串本町古座で生まれています。年中暖かく、明石屋さんまに代表されるような陽気で明るい人たちが、年中、海や山の町で、観光客の人々を優しく迎えてくれます。

明石屋さんまの出生地は、歴史に名高い熊野古道が通る町

熊野古道においても、ここ東牟婁郡は、大辺路、中辺路が通る重要な地域で、古く平安時代から開かれた歴史地域でもあります。那智勝浦の町から、中辺路を熊野本宮神社へとたどれば、関西の秘湯である川湯温泉や湯の峰温泉も、もうすぐ。歴史や温泉ファンにとっても人気の地域です。

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