阿南健治は「真田丸」長宗我部盛親役の名脇役!俳優経歴は?

阿南健治は「真田丸」長宗我部盛親役の名脇役!俳優経歴は?

阿南健治は「真田丸」長宗我部盛親で出演中!三谷幸喜作品超常連の名脇役俳優だった!

阿南健治(あなんけんじ)は、現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」で、徳川家に戦いを挑む大坂五人衆の1人・長宗我部盛親を演じている俳優です。主演の堺雅人をはじめ、「真田丸」には、脚本を手掛ける国民的作家・三谷幸喜が、自身の作品で多用してきたキャストが、よく見られますが、阿南健治もその1人。

名前を聞いただけでは思い浮かばないかもしれませんが、三谷幸喜の時代劇作品では、毎回のように、近藤勇役として起用されています。NHK大河ドラマ「新選組!」で香取慎吾が近藤勇を演じた時には、その兄役を演じていました。時代劇を観ない人でも、「THE 有頂天ホテル」「ザ・マジックアワー」「ステキな金縛り」「清須会議」「ギャラクシー街道」という、三谷幸喜の名立たる映画作品の中で、必ず阿南健治の姿を目にしているはずです。

阿南健治の俳優経歴!「蜷川幸雄スタジオ」から三谷幸喜率いる「東京サンシャインボーイズ」へ

阿南健治は、大衆演劇の巡業で芝居経験を積み、1986年にオーディションを通過して、「蜷川幸雄スタジオ」に入団しています。1歳上の三谷幸喜と出会ったのは、1989年のことでした。三谷幸喜は、日本大学芸術学部に在籍していた1983年に、西村雅彦や梶原善らと劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げしています。

「東京サンシャインボーイズ」は、当初は無名の小劇団に過ぎませんでしたが、この頃は、メディアから”チケットが取れない劇団”と称されるまでに成長していました。阿南健治は、三谷幸喜との出会いをきっかけに、この「東京サンシャインボーイズ」の舞台を踏むようになり、劇団の絶頂期を支えています。

「東京サンシャインボーイズ」が、1994年より休団状態になってからは、阿南健司は、次第にテレビドラマでの端役出演がを増やしていき、三谷幸喜の映像作品に頻出する俳優として注目されるようになっていきました。叩き上げの俳優としての演技力は疑いようもありませんが、三谷幸喜は、”癒し系”と評する阿南健治の情けない風貌を好んでいるようです。

阿南健治と阿南敦子は夫婦なの?出身地やプロフィールは?

阿南健治と阿南敦子の夫婦説はデマ!結婚した嫁や子供がいる可能性アリ?

阿南健治はすでに50歳を超えていますから、結婚していても不思議ではありません。巷では、同じく舞台出身の女優・阿南敦子と夫婦なのでは?という噂もあるようですが、珍しい名字が偶然一致しているだけのことで、婚姻関係もなければ、目立った共演歴もないようです。

「もし女性として生まれていたら、子供をたくさん産みたい」とは言っていましたから、阿南健治にも、家族を作りたい願望はあるはずです。脇役俳優には、一般女性や、劇団出身の元舞台女優といつの間にか結婚していたけれども、あえて公表していないというパターンがありがちですから、阿南健治の場合も、それに当てはまる可能性がないわけではありません。

しかし、趣味のカメラの話に及んだ時には、「姪や甥を被写体にした写真が多い」と語っていますから、自分の子供がいないことだけは確かでしょう。

阿南健治は大分県出身なのに関西弁が得意なワケ!出身校は?

阿南健治は、1962年2月24日、大分県竹田市で生まれました。そんな阿南健治の特技は関西弁です。それもそのはず、阿南健治は、生後7カ月で、甲子園球場のある兵庫県西宮市へ、9歳の時には、兵庫県尼崎市に移り住んでいるため、全くの関西育ち。尼崎市立南武庫之荘中学時代に暗黒期を経験したものの、辛うじて県内の公立高校である武庫之荘高校へと進学することができました。

この頃、阿南健治はすでに俳優を夢見ていたそうですが、ルックスへのコンプレックスから、周囲に話すことができず、映画監督を目指すようになりますが、大学受験は見事に失敗。上京して、東京映像芸術学院と俳優養成所に入所しますが、さまざまな疑問が生じ、1年も経たないうちに辞めてしまいます。

その後、比較的レッスン料の安いスクールメイツ養成所・渡辺音楽院で、女の子にまみれながら半年間を過ごし、初舞台を踏みました。あとは役者街道まっしぐら……というところで、なぜか「人生の勉強」と称し、アメリカ留学してしまうという浮足立った性分は、阿南健治の愛らしさといえそうです。

阿南健治は「真田丸」長宗我部盛親と同じく残念過ぎる?七転八起の半生を糧に究極の癒し系へ

阿南健治が、NHK大河ドラマ「真田丸」で演じている長宗我部盛親は、ここぞという時に、ことごとく判断が裏目に出て、結果が残せなかった武将です。大坂冬の陣では、「真田丸」の支援部隊として活躍を見せるも、大坂夏の陣で徳川方に捕縛され、挙句に逃亡するという残念さ。真田幸村(信繫)のように討ち死にいていれば、もっと語り継がれていたはずです。

そんな長宗我部盛親役として起用された阿南健治もまた、本人曰く、なかなか残念な学生時代を送っています。阿南健治の小学校時代は、お漏らしの常習犯で、いじめられっ子という立場でした。柔道をやらせても、野球のリトルリーグでも常に三軍選手。

それでいて、転校する女の子のために、オットセイのモノマネなどのパフォーマンスをするという、目立ちたがり屋の明るい少年でした。そんな阿南健治に転機が訪れたのは、高校3年生の時のこと。野球部に所属しながら、一度もベンチ入りを果たせなかったことへの同情か、県大会準決勝時のテレビ解説者の席に、学校代表で座らせてもらったことで、テレビ初出演を果たします。

その時のアナウンサーに、「浪花節みたいな声ですね」と言われたことで、目立ちたがり心がくすぐられ、テレビの世界を夢みるようになったそうです。ところが、それからも全く順調に事は運ばず、思い付きで旅立ったアメリカでは、留学センターを名乗る旅行会社に騙され、日本人のいないウィスコンシン州の牧場で、10カ月の過酷な労働を強いられています。三谷幸喜の言う通り、”癒し系”の名に相応しいドジっぷりです。

しかし、その後には憧れのニューヨークで芝居に触れ、ジャズ、モダン、バレエを学び、日本での大衆演劇巡業と、果敢に攻め続けた阿南健治。七転び八起きの末、自分の特性を作品に活かす感覚を培ってきたからこそ、超一流の名脇役として重宝され続けているのでしょう。

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