荒木由美子は人気アイドルから介護生活へ!結婚後が壮絶だった!

2022年10月11日 更新

荒木由美子は「燃えろアタック」で人気アイドルに!旦那や息子は?

荒木由美子は「燃えろアタック」で人気アイドルに!中国でも大ヒット!

荒木由美子は、1970年代にアイドル歌手として活躍し、結婚により一度は芸能界を引退したものの、2004年から復帰。現在は、女優やタレントとして活動しています。デビュー曲は「渚のクロス」で、他のアイドルたちよりちょっと大人びた雰囲気でした。

この曲を作詞・作曲したのが、山口百恵の曲を多く手がけた宇崎竜童・阿木燿子夫妻だったことから、「ポスト山口百恵を狙ったのでは?」という声もありました。そんな荒木由美子の人気が急上昇したのは、1979年に放送されたドラマ「燃えろアタック」(テレビ朝日系列)で、主演の小鹿純子を演じたからです。

「燃えろアタック」は、石ノ森章太郎原作のスポーツ根性ドラマですが、当時は、中国でも「排球女将」というタイトルで放送されるなど、国境すら越えて絶大なる人気を得ました。このドラマを機に、さまざまなドラマに出演するようになった荒木由美子は、女優としての地位を確立していきます。

荒木由美子の旦那や息子は?結婚後は芸能界をきっぱりと引退!

荒木由美子は、1983年に歌手の湯原昌幸と結婚し、芸能界をきっぱり引退しました。人気絶頂期の引退は、本人の意思によるものでした。幼い頃から自立心が旺盛で、何でも自分で決めてきたという荒木由美子は、結婚を決断すると、詰め込まれていたスケジュールをすべてこなし、芸能関係の付き合いもきっぱり絶ったと言います。

当時23歳の荒木由美子と、13歳年上の旦那・湯原昌幸の結婚は、年の差もあってかなり話題になったものです。しかし、結婚当時から夫妻の仲の良さは変わらず、現在も、おしどり夫婦として知られています。荒木由美子と湯原昌幸の間には、結婚1年目に生まれた息子がいますが、現在、病院勤務の医師として働いているようです。

荒木由美子は結婚で人生激変!介護や癌を経験していた!

荒木由美子は結婚で人生激変!毎日泣いてばかりいた

荒木由美子は、結婚して家庭に入ることを選びましたが、安穏と結婚生活を送っていたわけではありませんでした。義母の介護や自身の病気など、さまざまな苦難が待ち構えていたそうです。そのため、毎日泣いてばかりいたという荒木由美子は、ストレスで円形脱毛症になったこともあれば、手の震えが止まらなくなったこともあったと言います。それらを乗り越え、20年にわたる介護体験をつづった「覚悟の介護」を出版したことがきっかけで、芸能界に復帰。現在は、介護にまつわるや講演活動の仕事も行っています。

荒木由美子は結婚2週間で介護生活に!癌も経験していた!

荒木由美子が、湯原昌幸と結婚して2週間経った頃、66歳だった義母が病に倒れました。糖尿病と診断された義母は、介護が必要となり、その後、認知症の徘徊症状も見られるようになっていったそうです。突然始まることとなった義母の介護だけでも大変なことですが、その最中に、息子を出産。どちらも初めてのことだらけな介護と育児を両立させる生活の大変さはいかばかりだったでしょう。

荒木由美子の介護生活は、義母が86歳で亡くなるまで続きましたが、続けることができたのは、旦那からの「ありがとう」という感謝の言葉が心の支えになっていたからだと語っています。「24時間義母と一緒に過ごしていた」という厳しい介護生活を続けていた荒木由美子を皮膚癌が襲ったのは2001年でした。

それは、死亡率90%と言われる黒色腫でした。治療方法の決断を迫られた荒木由美子は、手術をすると義母の介護ができなくなってしまうため手術を拒否。以後も変わらず介護に専念していたところ、黒色腫は奇跡的に消滅したそうです。

荒木由美子が20年に及ぶ介護生活を語る!乗り切れたのは夫婦の絆があったから

荒木由美子が義母の介護をするようになったのは、結婚してからわずか2週間後です。それから20年に及ぶ介護生活は、まさに苦難の連続でした。糖尿病を患っていた義母のために、自らカロリー計算した食事を作り、3食とも義母と一緒に食べるという毎日。認知症の症状が出始めると、義母から目を離すことができなくなったため、息子の習い事にも義母を連れて行きました。

眠れない日も多く、気の休まる日は1日もなかったと言います。過度のストレスが原因で、後頭部に大きな円形脱毛症が3カ所もできたばかりか、手の震えが止まらない自律神経失調症の症状も出ました。荒木由美子の様子を見ていた夫の湯原昌幸は、在宅介護の限界を感じ、義母を入院させることに。すると今度は、金銭的な問題がのしかかってきました。義母が入院していたのは7年間でしたが、毎月どう乗り切るか、そればかりを考えていたそうです。

心身ともにギリギリだった荒木由美子の介護生活を支えてきたのは、湯原昌幸でした。辛い時はずっと話を聞き、手をぎゅっと握って勇気を与えてくれたことでまたがんばることができたと言います。義母は2003年1月に亡くなりましたが、義母の存在が夫婦の絆をより深めてくれたと語る荒木由美子。

義母は、「本当にありがとう。これからの由美ちゃんにはひとつも悪いことはないから」という言葉を、亡くなる前に残したそうですが、この言葉を胸に、本格的に芸能界へ復帰。現在は、介護の経験をもとに講演活動も行っています。たくさんの苦難を乗り越えてきた荒木由美子。これからますます夫婦仲良く、楽しい人生を送ってほしいです。

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