有森裕子が猫ひろしのリオオリンピック出場を批判!松野明美との代表争いを振り返る!

有森裕子が猫ひろしのリオオリンピック出場を批判!松野明美との代表争いを振り返る!

有森裕子が猫ひろしのリオオリンピック参加を批判する深い理由とは?

有森裕子は今年で49歳。1966年岡山県の出身で、現在は日本陸上競技連盟の理事を務める元フルマラソン選手です。かつてバルセロナオリンピックで銀メダルを、アトランタオリンピックで銅メダルを獲得しました。その有森裕子が、現在、カンボジアのリオオリンピック代表選手に選ばれたマラソン選手兼芸人の猫ひろしに対して苦言を呈しているようです。

理由は、有森裕子が自らのNPOなどを通じて長年携わってきた、カンボジアの対人地雷廃絶・復興支援活動にあります。自分の得意分野であるマラソンを通じて、カンボジアのスポーツ教育に関わっている有森裕子。猫ひろしが4年前にカンボジア国籍を取得してオリンピック選手になろうとしたときには、「日本人に代表を譲る若い選手の心中を思うと悔しい」、「貧弱な練習環境の中で選手たちは力をつけてきている。現地の選手に出てきてほしい」というコメントを残していました。有森裕子の「カンボジアの代表選手は、カンボジア国民自身から生まれてほしい」という真剣な思いは、4年後の今も変わりません。

有森裕子と松野明美のオリンピック代表争いはこんなに大騒動だった!

有森裕子は、1992年にバルセロナオリンピック陸上日本代表に選出されましたが、この選出に関しては、メディアを巻き込んだ、壮絶な選手間の争いが繰り広げられました。有森裕子のオリンピック選出のライバルとなったのは、当時彗星のごとく現れた松野明美です。有森裕子は、1991年の大阪国際女子マラソンで2位、当時の日本最高記録更新という実績を残していましたが、続く世界陸上では4位に終わり、同大会で銀メダルを獲得した山下佐知子、1992年の大阪国際女子マラソンで優勝した小鴨由水という2人の実力者に阻まれて、正式なオリンピック参加者枠3名の中に食い込めずにいました。

そこに、大阪国際女子マラソンで2位の好成績を収めた松野明美が急浮上してきたのです。世界陸上で好成績を収めた有森裕子に対し、可能性をアピールする松野明美は、代表正式選出2日前に、地元の熊本で、当時としては異例の「私を選んでください」という記者会見まで行いました。結局、選考の結果、選ばれたのは有森裕子でしたが、陸連の不透明な選考方法も相まって、「金が動いたのでは」などのゴシップが、テレビ電波や週刊誌面上に飛び交う騒動に。このオリンピック代表争い騒動の顛末は、後に「ライバル伝説 光と影」とまとめられて劇場版映画にもなっていることから、当時の話題性の大きさをうかがうことができます。

有森裕子の元夫・ガブリエルが問題だらけ!結婚にはこりごり!?

有森裕子の別れた夫ガブリエルはどれだけダメな奴だったのか!?

有森裕子は、過去に1度結婚していたことがあります。お相手は、アメリカ人のガブリエル・ウィルソンで、有森裕子が以前からトレーニング先として逗留していたコロラド州ボルダーで出会い、1997年に交際に発展したそうです。1998年の1月には、身内だけで挙式を済ませ、一見問題なさそうに見えた有森裕子の結婚。

しかし、そこはオリンピックメダリストである有森裕子のこと。すぐにメディアが、有森裕子の夫ガブリエルの身辺調査に乗り出し、ガブリエルが過去日本に滞在していた頃の家賃滞納、借金踏み倒し、その他次々と隠されていた金銭トラブルや、経歴詐称疑惑が明るみに。このため同年1月19日に、有森裕子と夫ガブリエルは2人揃ってボルダーで会見。ガブリエルは多々の金銭トラブルを認めた上で、「I was gay(私はゲイだった)」という衝撃の告白もしました。

このスキャンダルも相まって、1月末に予定されていた日本国内での披露宴はキャンセルとなり、別居婚に突入した有森裕子。その後も別居状態のまま、有森裕子が選手生活を終える2007年まで法律上は夫婦の形となっていましたが、2011年の7月には、正式に離婚に至りました。

有森裕子は今後結婚するの?もう嫌になった?

有森裕子は、夫ガブリエルと離婚した年に、日本体育大学の客員教授に就任しました。このことからは、教育者になることに向けて、過去を清算する必要性を感じ、前夫との離婚を決意したと推測することも可能でしょう。ガブリエルとの離婚によって、名実ともに日本陸上の伝説ランナーの1人として落ち着いた有森裕子ですが、今後、結婚の予定などはあるのでしょうか。

芸能レポーター関係者は、有森裕子は「結婚はもうこりごり……」と周囲に漏らしていると語っていて、恋人は欲しいと言っているようですが、結婚する可能性は低そうです。

この件に関して1つの重要な手がかりとなるのが、有森裕子の他界した父親の厳格さ。一般的に、子供は、異性の親から、良くも悪くも異性観の影響を受けてしまうものです。有森裕子の父親は、生前岡山で、かつて教職員組合の幹部を務めたほどの「誠実で立派な」人格者であったといいます。

娘に対しても、意識的・無意識的であるかにかかわらず、干渉してしまうこともかなり多かったでしょう。それが、相手の素性はともかく、「意地で結婚した」という有森裕子の過去を生んでしまった可能性は否めません。過去を振り切れるかどうかで、今後の有森裕子の結婚観に変化が訪れる可能性はあるといえそうです。

有森裕子は日本陸上会、スポーツ界の牽引役に!政界進出の可能性も?

有森裕子は、2007年に、現役選手として最後のマラソン大会に出場して以降は、ゲストランナーとして、日本全国各地のマラソン大会に招聘され、選手を鼓舞する役割を担っています。その知名度を生かした震災復興活動への尽力も顕著で、2016年5月7日には、エンターテインメントを通じて東北の復興支援を展開するチームスマイルの新事業「”わたしの夢”応援プロジェクト」の第一弾講師として登場し、「思いは強く。夢はかなう」という題名の講演で、自分がメダルを取れたのは諦めなかったからだと、被災地の夢多き子供たちや若者を応援しました。

また、2016年の東京オリンピック開催に向けては、アンバサダーに任命され、招致活動中から深く関わってきている有森裕子。今後は、東京オリンピック関係のイベントに登場する機会も増えてくることが予想されます。故郷の岡山県では有森裕子の業績を記念した銅像や記念館も建てられ、地元の名士としての名望も全国的な認知度も高いことからは、かつては両親などの反対で実現しなかった議員立候補の道も、今後全く可能性のない話であるとはいえません。2020年の東京オリンピックに向けて、これからもさまざまなマラソンイベントなどを通じて、日本の陸上界と、青少年の希望を牽引する有森裕子の活躍には期待が集まります。

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