浅利慶太が劇団四季社長を退任した理由!妻・野村玲子まで出禁に?

浅利慶太が劇団四季社長を退任した理由!妻・野村玲子まで出禁に?

浅利慶太が劇団四季の代表取締役を辞任した理由は認知症?!

浅利慶太は、2014年6月、ついに劇団四季の運営会社である、劇団四季株式会社の取締役社長を退任しました。公的な理由は、創立60周年を迎えたことに合わせ、後継者に引き継ぐためと報じられています。しかし、浅利慶太は81歳の高齢で、長年の友人からも認知症の傾向がみられるという証言があり、実際、会社運営にさまざまな支障が出てきていたのが実情のようです。

しかし浅利慶太は、まだ完全にぼけているわけではありません。劇団員の中には、いまだに浅利慶太を支持するメンバーもおり、それがまた問題をこじらせているともいいます。劇団四季が、浅利慶太を出禁にしているという噂もあります。実際、会社としては、個別に彼に依頼する演出の仕事を少なくしていき、浅利慶太と、劇団の看板女優で彼の妻である野村玲子ともども、会社への影響力をなくそうと考えているようです。劇団四季としては、浅利慶太のこれまでの功績は認めつつも、今後は、新生劇団四季を目指していく覚悟なのでしょう。

浅利慶太は戦後日本のミュージカルの育てたカリスマ

浅利慶太は、1993年生まれの83歳。劇団四季の代表として、80歳を越えるまで、戦後日本の演劇、ミュージカル界に君臨したカリスマといえます。ミュージカルと聞いて、どんな演目が思い浮かびますか?年配の人なら「キャッツ」、若い人なら「ライオンキング」でしょうか。この他にも「オペラ座の怪人」、「コーラスライン」、「美女と野獣」など、ミュージカルには、数多くの人気作品がありますが、日本におけるミュージカルのほとんどは、劇団四季という、たった1つの劇団によって上演されています。

劇団四季は、1953年、戦後の新劇に飽き足らない、東京大学文学部仏文科の学生と慶應義塾大学文学部仏文科の仲間10人が結成した学生演劇集団。2014年6月まで半世紀以上、その代表を務めていたのが、浅利慶太です。しかし、そのカリスマも、権力の座から降りる時がきました。

浅利慶太プロデュース公演「李香蘭」の反響!石丸幹二に放ったキツイ言葉とは?

浅利慶太プロデュースの「ミュージカル李香蘭」は大成功

浅利慶太は、2015年3月、新事務所「浅利演出事務所」を設立して社長に就任し、劇団四季だけでなく、独自に演劇活動を行う予定でした。しかし、劇団四季社長降板後すぐに予定されていた、浅利慶太プロデュースによる「オンディーヌ」は、諸般の事情により中止になっています。

一方で、2015年の夏と暮れには、JR東日本アートセンター自由劇場において、浅利慶太プロデュース公演「ミュージカル李香蘭」が上演され、こちらは大盛況でした。浅利慶太は、ある意味、演劇人としては稀有の存在です。演出としてだけでなく、ミュージカルを、ビジネスとして成功させた唯一の経営者であるからです。

かつての内閣総理大臣中曽根康弘や石原慎太郎などの大物政治家や、経済界の幹部との太いパイプをフルに活用して、駅そばの好立地に常設の小屋を確保し、大手企業とのタイアップによる莫大な集金、集客力によって、劇団四季を一大優良エンタティメント企業に育てました。もし浅利慶太がいなければ、戦後の日本のミュージカルは、ここまで発展しなかったでしょう。

浅利慶太と劇団四季人気俳優たちとの葛藤

浅利慶太の存在は、しかし、あまりに大きくなり過ぎました。あくまで自分の作品が第一で、俳優の代わりはいくらでもいるという浅利慶太の考え方は、俳優たちとの対立も少なからず引き起こしました。最近、テレビドラマで注目を浴びる石丸幹二も、元劇団四季の人気役者でしたが、2007年、浅利慶太と対立し退団しています。その時、浅利慶太は、「劇団の中でひとつの役割を担ってくれるとは思います。

しかし若手の台頭も著しい。だからいなくて困るということはありません」と、看板俳優をさほど労うこともなく、「退団したいなら、引き止めるつもりはありません。彼はもう燃え尽きてしまったのかもしれませんね」とまで言い放っています。カリスマにありがちな唯我独尊的性格に加え、すでにこの頃より、浅利慶太には、老人の頑迷さが見受けられます。

浅利慶太「この生命誰のもの」で今なお衰えない演出意欲

浅利慶太の旺盛な演出意欲は、いまだ衰えません。2016年6月4日からは、浅利慶太の演出「この生命誰のもの」が、東京浜松町の自由劇場で上演されています。しかもミュージカルではなく、ストレートプレイ、普通の演劇です。内容は、交通事故で脊髄を損傷し、寝たきりの状態で入院している主人公が、何もできないまま生きるより死を受け入れようと、医師に退院を求めます。しかしそれは許されず、ついには裁判所に人身保護請求を行って、病室で判事の審問を受けることになるという、極めてシリアスなもの。

浅利慶太は、「作為なしに、自然に見せたいんです。生きることの深さにだんだん届いていく感じがします」と語っています。これら発言は、浅利慶太がこれまで作ってきたミュージカルとは全く正反対のようですが、60年にも及ぶ、演劇そしてミュージカルの演出を続けてきた浅利慶太にとっては、自分への原点回帰なのでしょう。浅利慶太が、劇団四季の代表を辞めたひとときは、劇団四季株式会社との軋轢があれこれ伝えられましたが、浅利慶太自身は、名誉や財産、今の劇団四季にさえ、すでに興味がないようにも見受けられます。

既存の新劇に叛旗を翻して、10人の仲間で立ち上げた劇団四季の初期に帰って、今はただ純粋に芝居の演出をしたいだけなのかもしれません。浅利慶太が、これからあと何本演出するか分かりませんが、演劇人としては、たいへん幸せな人生だといえます。

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