江夏豊は36歳でメジャーリーグ挑戦していた!現在の活動や妻、家族は?

江夏豊は36歳でメジャーリーグ挑戦していた!現在の活動や妻、家族は?出典:https://dot.asahi.com

江夏豊は伝説のオールスター9連続奪三振を成し遂げた!36歳にしてメジャーリーグ挑戦

江夏豊は401奪三振を達成した奪三振王!伝説のオールスター9連続奪三振や「江夏の21球」を演じた!

伝説のサウスポー江夏豊(えなつゆたか)は、「優勝請負人」の異名を取った球界のアウトロー。全盛期には阪神タイガースのエースとして君臨し、同じく全盛期だった王貞治と力と力の名勝負を演じてファンの喝采を浴びました。彼の数奇な野球人生は、今も多くの野球ファンの心を捉えて放しません。

通算成績は、829試合登板で206勝158敗193セーブ、防御率2.49。3196回を投げ、先発299試合中154完投、45完封、21無四球試合、2987奪三振を記録しています。獲得タイトルは、最多勝利2回に最優秀防御率1回、最多奪三振6回(当時は連盟表彰対象外)、最優秀救援投手5回です。加えて、MVP2回に、沢村賞を1回受賞、ノーヒットノーランも1回達成しています。

大阪学院高校時代は甲子園出場に無縁だったものの、阪神からドラフト1位指名を受けてプロ入り。江夏豊は、豪速球を主体にバッターを圧倒し、本格派サウスポーとして頭角を現します。球速150kmは軽く超えていたとも言われるストレートを主体に、ルーキーだった1967年から6年連続奪三振王を記録。1968年には、メジャー記録383個をしのぐ401奪三振を達成しました。

彼の球種は、ストレートと、ほとんど曲がらないカーブの2択だったにもかかわらず、外角低めへのコントロールに基づく投球術で三振の山を築いていきます。1971年のオールスターゲームでは、今も語り継がれる9連続奪三振を達成。1973年には、自らサヨナラホームランを放ってノーヒットノーランを達成するなどの離れ業を演じる一方で、チーム内のゴタゴタや深刻な肩の痛みに悩まされるように。

スポンサーリンク

1975年オフには、見切りを付けられた形で阪神から南海ホークスへ移籍しますが、野村克也監督と出会ったことでクローザー転向を決意。1977年オフには広島カープへ移籍し、1979年のチーム初の日本一達成に貢献しました。同年の近鉄との日本シリーズ第7戦で見せた頭脳的なピッチングは、「江夏の21球」として今も彼の球歴の中で伝説として輝いています。

1980年オフに、日本ハムファイターズへ移籍した頃から、「優勝請負人」と呼ばれるようになっていった江夏豊。事実、翌年は、28セーブポイントの成績で初のリーグ優勝に貢献し、MVPにも選出されました。最後にプレーしたのは、1984年の西武ライオンズです。しかし、力の衰えは明らかで、首脳陣との軋轢もあってユニフォームを脱ぐことになりました。

江夏豊は36歳にしてメジャーリーグ挑戦!野茂英雄より10年も早かった!

野茂英雄がメジャーリーグに挑戦したのが1995年のことですが、それより10年も早くメジャーリーグに単身挑んだのが江夏豊です。今や腕に覚えのある日本人選手がメジャーリーグに挑戦することが普通という時代になりましたが、江夏豊の時代は、メジャーリーグは手の届かない存在でした。それにもかかわらず、江夏豊がメジャーリーグに挑戦しようと考えた背景には、彼が当時置かれていた状況が大きく影響していたと言えます。

スポンサーリンク

当時36歳だった江夏豊は、西武ライオンズを自由契約となり現役を引退。しかし、彼の心中には、「野村(克也)さんと同じように、ボロボロになるまで現役を続けたいという気持ち」がありました。加えて、江夏豊が新撰組の土方歳三に心酔していたという事実も見逃せません。

つまり彼は、函館の五稜郭に渡った土方歳三のように、自らの死に場所を求めていたのでしょう。フロリダでのミルウォーキー・ブルワーズのキャンプに参加した江夏豊は、「36歳にして日本からメジャーに挑戦するルーキー」として地元マスコミからも注目されることになります。

しかし、キャンプで結果を出し、オープン戦でも好調を維持して最終選考まで漕ぎつけたものの、最後の最後で調子を落とし、開幕メジャーは成りませんでした。この時、エンゼルスの強打者レジー・ジャクソンに打たれたことが江夏豊の印象に強く残っていると言います。フルスイングがトレードマークのはずのレジー・ジャクソンは、江夏豊の変化球にタイミングを合わせて巧打。これにより失点した江夏豊はメジャー挑戦から脱落することになりました。

試合後、レジー・ジャクソンから「Good Luck!」と書かれたバットをプレゼントされた時に、「お前はもう日本に帰るべきだ」と言うメッセージを感じ取ったそうです。球団からはマイナー契約を打診されていたものの、やはり36歳という年齢が影響し、実質的には戦力構想外。自身で「マイナーから出直すほどの時間的猶予はない」と判断した江夏豊のメジャー挑戦の夢は、これにてピリオドが打たれました。

江夏豊の現在や家族は?覚せい剤で逮捕された清原和博へ送った言葉とは?

江夏豊は野球解説者として活動中!離婚した妻は由緒正しい旅館の一人娘だった!

現在の江夏豊は、テレビ大阪の野球解説者を1995年から務めるかたわらで、「週刊プレイボーイ」(集英社)で連載を手掛けています。また、マスターズリーグの東京ドリームスやモルツ球団に所属するほか、阪神のOB戦や始球式に登板するなど、レジェンドとして今も人気は衰えていません。野球指導者としては、2015年に阪神の一軍で、2016年には二軍でそれぞれ春季キャンプの臨時コーチを務めました。

一方、江夏豊の家族はというと、どうやら過去に離婚歴があるようです。かつての妻は、由緒正しい旅館の一人娘で、結婚する際に「現役引退した後、養子として旅館を継ぐ」という条件があったとか。しかし、その条件が受け入れられず、結局離婚に至ったとのことです。

江夏豊が著書で明かしたところによると、その妻との間には二男一女をもうけましたが、男児の1人は早くして亡くなってしまい、残りの2人は離婚した妻が引き取って育て無事に成長したそう。現在は茨城県つくば市に在住中で、一説には、母親の面倒を見る目的で広大な土地と自宅を構えバリアフリーの家を作ったと伝えられています。

江夏豊は覚せい剤所持で実刑に服していた!同じ境遇の清原和博に「できるならサポートしてあげたい」

江夏豊には、1993年に覚せい剤所持の現行犯で逮捕された過去があります。薬物に手を出したことで、野球殿堂入りも絶望的となるなど、栄光の球歴を自ら貶めることになってしまいました。懲役2年4カ月の実刑判決を受け、刑を全うして社会復帰しています。もちろん、覚せい剤所持の事実はもう触れられたくない過去でしょう。

しかし、清原和博の覚せい剤所持による逮捕劇で、その過去が図らずもクローズアップされることになってしまいました。江夏豊と清原和博には、球界を代表するスーパースターだったという共通点があります。また、栄光の球歴に彩られながら、一方で、山あり谷ありの野球人生を送り、葛藤と苦悩の末に複数の球団を渡り歩いたという境遇も重なるところがあると言えるでしょう。

そのため、清原和博の逮捕についてインタビューを求められる機会が多くなった江夏豊。彼は、薬物使用は法に違反しているため身内にすら相談できないことなどを挙げながら、「あの薬は人間を狂わせる」と語っています。また、清原和博の今後について「復帰には時間はかかる」とした上で、「できることならサポートしてあげたい」という言葉を贈りました。

経験者にしか分からない、ズシリとした重みが伝わってくる言葉です。江夏豊は、古巣阪神の春季キャンプで臨時コーチに招請されるなど、現場復帰を果たしています。清原和博も大先輩を見習って更生し、一刻も早く現場で活動する姿を見せて欲しいものです。

江夏豊が男気を感じた王貞治のフルスイング!三振を恐れずに挑んできた姿勢に感動

かつて阪神のエースとして一世を風靡した江夏豊は、その左腕から投げ込む威力抜群の速球で、多くのファンを魅了してきました。その江夏豊と王貞治の力と力の名勝負は、今もなお伝説として熱く語り継がれています。「男気」についてインタビューを求められた江夏豊が、「グラウンドから男気が漂ってくることなどほとんどない。もう用のない言葉やろ」としつつも、唯一「男気」を感じる存在として名を挙げたのが誰あろう王貞治でした。

1968年にうなりを上げた江夏豊の左腕に、相手打者は圧倒されるばかり。当時の奪三振日本記録353個の更新ももはや時間の問題でした。その最中、「当時の日本記録354個目は王さんから奪う」と宣言していた江夏豊。次に王貞治と対峙するまでは三振を取りたくなかったため、他のバッターから三振を奪うつもりはありませんでした。

しかし、全員バットを短く持ってミートに徹してくるので、「何をしとるんや」と思っていたそうです。そうした中で唯一、奪三振の新記録達成がかかった打席でも三振を恐れずにフルスイングで挑んできたのが王貞治でした。その姿勢に、江夏豊は「王さんは男気の人だな」と感動したと振り返っています。1974年には、リリーフで登板した江夏豊が、王貞治のポテンヒットでサヨナラ負けを喫したことがありました。

江夏豊は、負け試合から引き揚げる途中で耳にしたヒーローインタビューで、「褒められた当たりじゃないけど、10年後はサヨナラヒットとして記録に残る」と王貞治が語っていたことに驚かされたと言います。胸を張って堂々と話す王貞治の姿を見て、「何てすごいバッターだ。本当に尊敬できる人物だ」と改めて思い知らされたそうです。

とはいえ、相手に敬意を払う江夏豊もまたすごいピッチャーだったことも疑いのない事実。江夏豊のプレーをリアルタイムで目にしていた野球ファンは、本当に幸せだったことでしょう。彼をしのぐスケールのサウスポーの登場にも期待したいところですが、まだしばらく出てこないかもしれません。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る