藤本怜央のプロフィール!車椅子バスケは漫画「リアル」で知名度アップ!

藤本怜央のプロフィール!車椅子バスケは漫画「リアル」で知名度アップ!

藤本怜央のプロフィール!車椅子バスケ、リオパラリンピック日本代表主将の所属や競技歴は?

藤本怜央は、男子車椅子バスケットボールのリオパラリンピック日本代表の主将であり、エースです。1983年9月22日生まれの藤本怜央は、静岡県島田市出身。島田工業高校を経て、東北福祉大学入学後から、車椅子バスケ界での、日本代表生活が始まりました。

大学卒業後は、宮城県職員として働きながら、日本選手権の絶対王者・宮城MAXに所属して、10年連続で得点王に輝いた藤本怜央。より競技生活に専念するため、障がい者アスリート雇用制度を利用して、2014年4月には、地元静岡のSUSへ転職しています。

日本の車椅子バスケは、2012年のロンドンパラリンピックでは9位に終わったものの、長年にわたってアジア王者として君臨していました。ところが、2014年7月の世界選手権で、韓国にその座を奪われてしまいます。これに大きな刺激を受けた藤本怜央は、同年9月、宮城MAXからドイツのプロチーム・ハンブルガーSVに移籍。リオオパラリンピックでは、藤本怜央の本場仕込みのプレイに、期待が寄せられています。

藤本怜央がドイツで驚いた車椅子バスケ人気!漫画「リアル」で日本にもジワジワ浸透中

藤本怜央がドイツへ渡って驚いたことは、ドイツ国内の車椅子バスケの認知度と、人気の高さでした。”障がい者スポーツ先進国”として名高いドイツでは、車椅子バスケはプロリーグを持っており、毎週末になると、ホーム&アウェイで試合が行われます。試合会場は常に超満員。日本のプロ野球やサッカーと同様に、観客は、好プレーに歓喜し、ミスプレーには容赦ない野次を飛ばすのだといいます。

車椅子バスケは、漫画家の井上雄彦によって、1999年から週刊ヤングジャンプで不定期連載している漫画「リアル」の中で、主題として扱われています。キレイごと抜きの若者の葛藤と競技の激しさが、強烈なまでに”リアル”に描かれた「リアル」。バスケ漫画の金字塔「スラムダンク」を描いた井上雄彦の作品ということもあり、車椅子バスケは、以前より広く認知されるようになりました。車椅子バスケは、依然として”障がい者のスポーツ”という先入観が燻り続けていますが、日本国内においても、少しずつ、人々の認識が変わりつつあります。

藤本怜央が車椅子バスケを始めたきっかけ!結婚した妻はどんな人?

藤本怜央と車椅子バスケの出会い!交通事故と義足での競技生活の限界

藤本怜央が障がい者となったのは、小学校3年の時でした。自転車で砂利道を走っている時に転倒し、後続のダンプカーに轢かれて、右足の膝から下を切断する重傷を負ってしまったのです。約1年間の入院を経て、学校生活に復帰した藤本怜央。義足の装着を余儀なくされながらも、もともと好きだったサッカーを続けますが、足を使うサッカーでは限界がありました。

「手を使う競技ならどうか?」と、両親がバスケットボールを勧めたのは、藤本怜央が小学校5年の時。藤本玲央は、中学、高校と、一般のバスケットボールに所属して、前向きに汗を流しました。しかし、どんなに努力をしようとも、義足では健常者のプレイを上回ることができません。そんな挫折寸前だった藤本怜央が、東北福祉大学1年の時に出会ったのが、車椅子バスケ。競技を始めて1年、19歳で日本代表入りを果たした藤本玲央は、それから猛スピードで日本のトップ選手になっていきます。

藤本怜央が10年愛を実らせ結婚!妻は元所属チームのマネージャー!

藤本怜央が車椅子バスケットボールの競技生活に専心できたのは、両親の他に、陰ながら彼を支え続けた女性の存在がありました。藤本怜央が2014年に結婚した3歳下の妻・優こそ、その女性です。妻は、藤本怜央が所属していた宮城MAXのマネージャーであり、公私共にかけがえのないパートナーとして、交際期間は10年以上にも及んだといいます。同年9月に宮城MAXを離れ、単身渡独となった藤本怜央でしたが、年末に帰国した際に入籍。

年明けにはすぐにドイツへ戻らなくてはならなかったため、挙式・披露宴は2015年5月に行っています。1日中バスケットボール漬けの日々を送る藤本怜央は、家に帰ると、妻には競技の話をほとんどしないそうです。長年寄り添ってきた妻だからこそ、口にしなくても通じ合う関係がかなっているのかもしれませんね。

藤本怜央率いる車椅子バスケ日本代表チームの活躍が障がい者スポーツの価値観を変える!

藤本怜央は、ドイツ移籍後いきなり、プロ選手として、1LDKのアパートと、家賃や光熱費まで無料という好待遇が与えられました。そこには、純粋にアスリートとして見なしてくれる環境と、報酬が用意されていたのです。しかし、競技生活は非常に熾烈で、閉鎖的な日本ではなく、本場ドイツで一回りも二回りも大きく成長した藤本怜央。「リオオリンピックは試金石、2020年の自国開催で結果を」と語ってはいたものの、彼のパワーには、メダルを予感させる威力が感じられます。

漫画「リアル」でも扱われた車椅子バスケ。1チーム5人、一般と同じ高さのゴールを巡る基本ルールは、おおむね通常のバスケットボールと変わりありません。違うのは、選手たちが車椅子を使用しているということだけ。しかし、車椅子がぶつかり合い、時には横転して床にたたきつけられるなど、一般的なバスケットボールにはない激しさが、そこにはあります。ひとたび車椅子バスケを観戦すれば、「障がい者とはハンデを背負った弱者」、「障がい者スポーツは、一般競技に劣るスポーツ」といった偏見は、あっという間に吹き飛んでしまうはずです。

日本パラリンピック委員会は、2016年大会から、所管をオリンピックと同じスポーツ庁に移しています。”障がい者のためのスポーツ”だった競技を、”スポーツ”として認識しようという動きは、2020年の東京パラリンピックに向けて、確実に加速している最中です。リオパラリンピックでの藤本怜央らの活躍によって、それらがさらなる盛り上がりを見せるとともに、多くの人々に新しい価値観をもたらすでしょう。

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