福留功男アナウンサーは性格が原因で消えた?徳光和夫やADからの悪評絶えず…

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福留功男アナウンサーは性格の悪さで嫌われていた?テレビから消えた理由が気になる

福留功男アナウンサーは、かつては「ズームイン朝」の司会を担当する”朝の顔”でしたが、近年はテレビでお目にかかることがなくなってしまいました。”トメさん”の愛称で親しまれ、温和な笑顔が印象的な福留功男ですが、性格が原因で消えたのではないかという噂が絶えません。

「ズームイン朝」は、地上から中の様子がうかがえる日本テレビのマイスタから生放送されていたため、本番中の福留功男は、常に多くの一般人の目に触れるところにいました。その見物客の目撃情報によると、カメラが回っていない時の福留功男は、まるで別人のように性格が悪かったといいます。

その噂を裏付けるかのように、福留功男がポケットに手を突っ込んだまま、スタッフに怒鳴り散らす様子が放送されるという放送事故もあったとか。そういう目で見てみると、本番中の言葉尻にも性格の悪さがにじみ出ているように思えてくるのか、福留功男は、次第に多くの視聴者から嫌われることとなりました。

福留功男アナウンサーを”独裁者”と呼ぶ徳光和夫!AD暴行事件は本当?

福留功男アナウンサーにとって、日本テレビ時代の先輩アナウンサーであり、「ズームイン朝」の前任者だった徳光和夫は、彼の性格を「独裁者みたいだった」と評しています。徳光和夫曰く、福留功男との確執は、1977年から放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。

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それぞれが、クイズの勝者と敗者側に付く対極した立場だったことがきっかけで、生まれたそうです。とはいっても、その確執とは仕事の上だけのことで、普段は、福留功男が故郷のみかんを送るなど、とりたてて仲が悪いというわけではないといいます。

しかし、徳光和夫には”独裁者”に映った福留功男の態度は、当時のADたちにとって”暴君”そのものだったという噂があります。番組の構成に権威を振りかざすだけならまだしも、ADに殴る蹴るの暴行を働いたという話が事実ならば、百歩譲っても性格が良いと評価されるはずはありません。いち視聴者には真実を知る術はなく、なぜ福留功男が消えてしまったかは、こうした風の噂をもとに想像するしかありません。

福留功男アナウンサーは「アメリカ横断ウルトラクイズ」が転機に!学歴、プロフィールは?

福留功男アナウンサー「アメリカ横断ウルトラクイズ」までの苦節時代!学歴、プロフィールは?

福留功男は、「ズームイン朝」を経て、大御所アナウンサーとしての地位を築くに至りましたが、それまでの道のりが順風満帆だったわけではありません。1942年1月28日、高知県香美郡に生まれた福留功男は、大阪府で育ち、当時は金持ちのボンボン校といわれていた私立追手門学院大手前高校に進学しています。

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その後、大阪大学医学部を目指して何度も失敗し、さらに2年の浪人生活を経て、明治大学文学部演劇科に入学。在学中からアルバイトをしていた日本テレビに入社したのは、1966年のことでした。入社時は報道記者だったものの、しゃべりの巧さが買われて、アナウンサーデビューすることとなった福留功男。

子供向け番組「まんがジョッキー」を任されたことを不服とし、降板を願い出たために、内勤へと異動させられてしまいました。その後も、なかなか表舞台に出ることができず、くすぶっていたところに、あの「アメリカ横断ウルトラクイズ」出演の話が舞い込みます。

福留功男アナウンサー「アメリカ横断ウルトラクイズ」でのブレイクの影にあった独裁者の真実

福留功男アナウンサーは、当時、多忙を極める売れっ子アナウンサーではありませんでした。「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、企画上、長期の海外ロケを要するため、レギュラー番組を抱えていない福留功男に白羽の矢が立てられたそうです。海外レポーターとクイズ出題者を兼任し、「ニューヨークへ行きたいか~!」との掛け声で参加者を盛り立てた福留功男は、その熱い司会で、瞬く間に人気アナウンサーへと駆け上がりました。

「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、1977年の放送開始当初は単発企画でしたが、その後1998年まで存続した伝説の番組として語り継がれています。その裏には、制作から進行まで、自らの手を緩めなかった福留功男の努力があり、自らの立案で「全国高等学校クイズ選手権」なる番組をも誕生させるに至りました。

徳光和夫が”独裁者”と評したのには、こうした事情もあり、半ば敬意が込められていたとも考えられます。そうでなければ、この後に徳光和夫の跡を継ぐ形で、福留功男が「ズームイン朝」を任されることもなかったでしょう。

福留功男アナウンサーがテレビから消えた理由は性格だけではなかった!高額ギャラや病気の実態

福留功男アナウンサーの司会者魂は、約2時間分の台本を全て暗記して挑むほどの熱いものだったそうです。人一倍のプロ意識とこだわりがあったからこそ、周囲への態度も厳しかったのかもしれません。「ズームイン朝」を、早朝の番組ながら視聴率20%の人気番組へと成長させた福留功男の功績は、あまりにも偉大です。

性格が悪いから消えたと噂されていますが、その実績と名声に見合った高額なギャラが、その後の福留功男の活躍の場を矮小化させていった節は否めません。福留功男は、1991年に日本テレビを退社し、フリーへ転身しました。その後に、司会を務めていた報道番組「ブロードキャスター」では、時給200万円という異常なギャラが支払われていたといいます。

ところが2000年代のテレビ不況時代に突入すると、かつての人気司会者・福留功男でさえも数字が取れなくなり、ギャラとの均衡がとれなくなってしまったようです。2009年以降、全てのレギュラー番組が打ち切りになってしまったことには、こうした理由があったとも考えられます。

また、福留功男は、かねてから心臓の病気を患っており、ペースメーカーの手術を受けたことで、身体障害者1級の認定を受けています。さらには顔面麻痺などの体調不良が続いたため、その後は、主に単発の仕事に従事しているそう。名実ともにレジェンドともいうべき福留功男も、2017年で75歳となる老体。見なくなったから消えたとは、単純に言い切れない現実があるようです。

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