五大路子の夫・大和田伸也が親父狩りに!?息子・大和田健介が気になる!

五大路子の夫・大和田伸也が親父狩りに!?息子・大和田健介が気になる!

五大路子の夫・大和田伸也が親父狩りから得た教訓とは?

五大路子は、近年、「横浜夢座プロジェクト」の座長としての活動が知られている女優です。そんな五大路子の夫・大和田伸也といえば、「水戸黄門」の2代目格さん役で有名。大和田伸也の弟は、大和田獏、弟嫁が岡江久美子で、長男・悠太、次男・健介と、芸能人だらけの一家なので、ひとまとめに「大和田ファミリー」と呼ばれることもあります。

五大路子の夫である大和田伸也は、正義感が強く、見て見ぬフリができない性格で、若者の非行行為を見かけると、後先考えずに声を掛けてしまうとか。こうした行動に危険もつきものの現代社会。実際に、コンビニでたむろしていた若者に注意をした大和田伸也は、返り討ちに遭い、いわゆる親父狩りをされたことがあるそうです。

当時を振り返り、大和田伸也はこう言っています。「こちらが高飛車ではいけない。同じ目線で」。なるほど、子供だと思って、上からものを言うと、相手も素直に聞けないのかもしれませんね。

五大路子の息子・大和田健介が気になる!話題のあのCMにも出演

五大路子の次男は、大和田健介です。横浜市出身で、1990年11月12日生まれの25才。ドラマ、映画にも出演していますが、何といっても、CMで見せる表情が印象的な俳優さんです。電車の中で、席を譲れなかった高校生が、歩道橋の階段を上るお婆さんを手助けするCMを、覚えていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。そう、ACジャパンの「見える気持ちに」というCMです。

あの高校生は誰?気になる!という声が多く寄せられましたが、それが大和田健介でした。他にもあります!カルピスウォーターのCMで、川島海荷の“憧れのあいつ”役として、爽やかな笑顔を見せる高校生、あれも大和田健介なのです。どちらのCMでも見られる、等身大の真っ直ぐな瞳が魅力的ですね。

五大路子と夫・大和田伸也の自宅は新横浜?出身高校、プロフィールは?

五大路子と夫・大和田伸也の自宅所在地が新横浜である理由とは?

五大路子と夫・大和田伸也の自宅は、新横浜にあります。五代路子は、もともと横浜市篠原町(新横浜のそば)の大地主の家柄。弟の岩岡洋志は、親からもらった土地を利用して、地元に、新横浜ラーメン博物館を設立した人物です。大和田伸也もまた横浜に縁があって、居候をしていた叔父の家が、横浜にあるのだとか。そのため、五大路子と夫・大和田伸也の2人にとって、縁が深い横浜に住むことにしたようです。

地元の横浜に愛着のある五大路子・大和田伸也夫妻には、1つ面白い情報があります。JR新横浜駅、篠原口の近くに、五大路子と大和田伸也一家の情報を専用に張り出す掲示板が立っているとか。これは、地元をこよなく愛する五大路子が、ファンクラブにリクエストして、誕生日にプレゼントしてもらったもの。PCを利用しない地元の人々にも自分帯の活動情報を発信し、手作り感のある交流を図るために設置したものだそうです。

五大路子の出身高校、プロフィールは?高校卒業後、演劇の道に進むまでの道のり

五大路子は、1952年9月22日生まれの63才。出身高校は、横浜実科女学校(現在の神奈川学園高校)です。1990年に共学の中高一貫校になっていますが、五大路子通っていた頃は、まだ女子高。もちろん、卒業した著名人も、余貴美子、宝塚出身の遥くらら、初代しずかちゃんの声でお馴染みの野村道子と、女性ばかりです。

しかもなぜか俳優が多いですよね。高校卒業後は、桐朋短大演劇専攻に進学した五大路子。桐朋短大演劇専攻は、俳優座養成所を前身とするため、教育機関でありながらも、俳優養成を目的に、現役の演出家が直接指導に当たっていました。当然、演劇関係の卒業生も多く、五大路子の1つ上には真野響子が、2つ下には高畑淳子がいるほか、長男の大和田悠太も同窓です。桐朋短大演劇専攻で、演劇の実技を学んだ五大路子は、早稲田小劇場に所属。

その後、新国劇に移り、現在所属する横浜夢座では座長を務めています。1977年に、途中降板した高瀬春奈の代役として、NHK朝ドラ「いちばん星」の主役に抜擢され、テレビドラマデビューとなりました。プライベートでは「水戸黄門」で共演したのをきっかけに大和田伸也と結婚し、2人の息子をもうけています。

五大路子が「横浜ローザ」にかける思いとは?

五大路子による一人芝居「横浜ローザ」が、8月14日~18日、横浜赤レンガ倉庫1号館で上演されます。舞台「横浜ローザ」は、1996年の初演以来、20年にわたる五大路子のライフワーク。モデルとなったのは、伝説の娼婦「ハマのメリー」。23年前に、実際に、本人と会ったことがあるという五大路子。戦後の横浜で、米軍相手の娼婦として生きてきたメリーは、1980年代から約10年間、横浜中心部で、顔を白塗りにして、フリルのついたドレスを身に纏った姿がよく見かけられたそうです。

岡山出身のメリーは、結婚の経験もありますが、人間関係に失敗して、妻の座を失います。関西で出会った米軍将校の愛人となり東京に同行したものの、朝鮮出兵が起こり、1人国内に取り残されてしまいました。それから、横須賀を経て、横浜に移ったメリー。この時代、戦争のために、意思に反した人生を歩むことになった女性は、決して少なくないでしょう。メリーもまた、戦争に奔走された人生を送った1人です。

メリーが、娼婦ではなくなってからも、道化のような装いを貫いたのはなぜでしょうか。大正、昭和、平成と生き抜いたメリーは、時代に立ち向かいたかったのでしょうか。五大路子は、「横浜ローザ」が、自分の人生に重なってきたと言います。大学から演劇を学び、舞台を続けながら、NHK連ドラの主役に抜擢され、プライベートでは結婚、出産を経験しました。傍から見たら順風満帆に見える人生ですが、ローザの人生が重なるとは、五大路子も、何かに立ち向かって生きてきたのかもしれません。

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