五味弘文はお化け屋敷プロデューサー!2016年は「赤ん坊地獄」が復活!

2020年5月15日 更新

五味弘文はお化け屋敷プロデューサー!2016年は「赤ん坊地獄」が復活!

五味弘文というお化け屋敷プロデューサーが誕生するまで!

五味弘文は、長野県出身で、1957年生まれのお化け屋敷プロデューサーです。お化け屋敷プロデューサーとは、耳慣れない言葉ですよね。大学時代に、劇団を立上げ、作演出を担当していた五味弘文は、劇団が解散する1992年まで、10年以上芝居の世界に携わってきました。

芝居を辞めるときには、社会との繋がりがなくなってしまうことに恐怖を覚えたといいます。お化け屋敷プロデューサーでありながら、意外なことに、子供の頃から臆病だった五味弘文ですが、その後、イベント系のアルバイトにつくうちに、後楽園ゆうえんちのお化け屋敷の企画を担当するようになりました。この仕事をきっかけに、五味弘文は、お化け屋敷の企画に呼ばれるように。こうしてお化け屋敷プロデューサーという不思議な職業が誕生しました。

五味弘文2016年は「赤ん坊地獄」が復活!1996年以来20年ぶり

五味弘文の演出で、1996年に開催され、大ヒットとなったお化け屋敷「パノラマ怪奇館’96~赤ん坊地獄」。お化け屋敷にストーリー性をもたせ、お客さんはストーリーに参加し、ミッションをクリアしなければならないという斬新な発想が話題を呼び、2カ月間で10万人を動員しました。それから20年。

毎年恒例の東京ドームシティアトラクションズのお化け屋敷に、五味弘文の「赤ん坊地獄」が復活します!前作から20年後のストーリーを描いている2016年度版「赤ん坊地獄」。霊界から無事に取り戻した赤ん坊・唱子も、20年の時を経て、20才になりました。結婚し、子供にも恵まれますが、またもや赤子を霊界にさらわれてしまいます。霊界に足を踏み入れて赤ん坊を取り戻すこと、それが、お客さんに与えられたミッションです。

五味弘文のお化け屋敷「呪いの指輪の家」感想!小説「憑き歯」も怖かった!

五味弘文のお化け屋敷「呪いの指輪の家」感想!

五味弘文は、2011年に、広島市で、街中お化け屋敷「恐怖のおるすばん」を作成したのを機に、全国展開を始めます。2015年にプロデュースしたお化け屋敷「呪いの指輪の家」は、東京・大阪同時開催となりましたが、指輪に秘められたストーリーはそれぞれ違うという凝りようです。

東京版では、夫となる男に、母親の形見の指輪も、夢も奪われ、怨念の塊となって死んでいった鮎子という設定に対し、婚約者を殺した男に嫁ぎ、抜けない指輪と夫を恨みながら、息絶える妙子の物語という大阪版。ミッションは、入り口で呪われた指輪をはめ、清らかな真心で、妙子あるいは鮎子の心を鎮めることです。「決して長い距離ではないのに、通路が入り組んでいるので、実際より長く感じる」とか、「ミッション型のお化け屋敷は恐怖プラス面白さがある」と、評判も上々でした。

五味弘文の小説「憑き歯」はメディアミックス展開した一大ホラープロジェクトだった

五味弘文初の小説となる「憑き歯-密七号の家-」は、大阪の「梅田お化け屋敷2013『呪い歯~密八号の家』」、名古屋「栄・矢場町お化け屋敷2013『呪い歯~密九号の家』」、そして東京で開催された「東京ドームシティアトラクション『呪い歯~密十号の家』」と同年の、2013年に出版されました。

これら3都市のお化け屋敷イベントと連動させたホラードラマ「悪霊病棟」も同年夏に放送されたことから、小説、お化け屋敷、ドラマが連動した、五味弘文原案のホラープロジェクトが展開されることに。小説「憑き歯」は、郷土史資料館に赴任した笹川という男が、古い蔵の中から、子供の乳歯が埋め込まれた人形と謎の紙片を発見したことをきっかけに、祟りの世界へと巻き込まれていくというストーリー。あらすじを文章にするだけでも、十分に怖かった!!

五味弘文が「お化け屋敷」に求めること

五味弘文のお化け屋敷プロデュース業とは、お化け屋敷に手を加え、恐怖体験以上のものにするという、あるようでなかった発想で、着眼点が面白いですよね。今では当たり前になってはいますが、「怖い」体験をするためにお金を払うというお化け屋敷の発想自体、そもそも一風変わったものかもしれません。子供の頃から社会との関わり方に不安を覚えていた五味弘文は、積極的に社会と関わらず、生産性のない仕事をしたいと考えていたようです。

主催する「五反田怪団」で、怪談と演劇をMIXさせた公演を行っている前田司郎は、五味弘文とのNHK「SWITCHインタビュー 達人達」での対談の中で、こう語っています。「芝居で笑わせたり、感動させることと、人を怖がらせることは似ている気がする」。

五味弘文もまた、学生時代から10年以上の間、劇団の演出を手がけてきた人間です。五味弘文にとって、演劇とは、己と社会との間の一種のクッションのような存在になっていたのではないでしょうか。クッションを通して社会に作用する、演劇を通して他者が怒ったり泣いたりするのを感じる……そうすることで、社会とともにあることを確認してきた部分があったのかもしれません。

広島の街中お化け屋敷の企画について、五味弘文は、「地域の人に自分たちのお化け屋敷という感覚で捉えてもらって、今後も皆で作り続けていってほしい。お化け屋敷が街の未来を考えるきっかけになれば」と話しています。お化け屋敷がお化け屋敷というだけで完結しない……今や五味弘文が取り組んでいるのは、お化け屋敷を越えた何かであるようです。

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