萩本欽一は大学を中退していた?死去後に向けたプロジェクトがスゴイ!

萩本欽一は大学を中退していた?死去後に向けたプロジェクトがスゴイ!

2023年1月27日 更新

萩本欽一が大学受験を決めたワケ!


萩本欽一のプロフィール
◆生年月日:1941年5月7日
◆出身:東京都
◆身長:164cm
◆血液型:A型
◆所属事務所:萩本企画

萩本欽一が認知症予防として始めたことは?

タレントの萩本欽一(はぎもときんいち)は、2015年2月に、73歳で駒沢大学の仏教学部に合格しました。

実は40代の頃から大学受験には興味を持っていたものの、タイミングを見計らっていたのだとか。70代になり、物忘れが増えてきたのが1つのきっかけになりました。

勉強自体が認知症の予防にもなる上に、無謀な挑戦と認識されるタイミングでもあったことから、この年齢での受験を決めたといいます。

仏教の言葉への関心から学部を選択し、社会人入試制度を利用して、見事ストレートで合格。2015年4月8日に行われた入学式にも出席し、「野球部のユニフォームを着たい」と夢を語っていました。

ところが、4年後の2019年5月に大学を自主退学しています。この理由は本人曰く、「仕事に支障をきたす」と考えたため。

どうやら様々なインタビューで語った話によると、仏教を学び続けることで頭の中が真面目になりすぎて、どんどん笑いから離れていってしまうと考えたようです。萩本欽一の哲学が感じられる行動といえるかもしれません。

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萩本欽一がテレビの王様と呼ばれたのはなぜ?

萩本欽一のコント55号、命名の由来は?

「欽ちゃん」の愛称でおなじみの萩本欽一は、父親の事業が傾いたのをきっかけに、貧しい暮らしを送っていた時期があります。

そこで、大学進学は諦め、高校卒業後は浅草の「東洋劇場」に入って修行時代を過ごします。元々お笑いの才能に恵まれていたわけではなく、周囲からは辞めるよう勧められることもあったのだとか。

それでも努力を続けて、1966年には坂上二郎とコント55号を結成。当時、読売巨人軍の王貞治選手が、年間55号ホームラン記録を樹立したのにあやかって命名したものです。

数々の冠番組を抱えるスターへと進化していった、コント55号ですが、1972年頃からは単独の仕事が増え始め、萩本欽一は司会者として活躍するようになります。

1976年10月より放送された「欽ちゃんのどこまでやるの!」を始めとするレギュラー番組は、どれも高視聴率を記録し、「視聴率100%男」「テレビの王様」という異名が生まれるほどでした。

萩本欽一が「仮装大賞」引退宣言の真意を告白!

萩本欽一が司会を務める「全日本仮装大賞」の初回が放送されたのは、1979年の大晦日でした。圧倒的な視聴率を誇る紅白歌合戦に対し、各テレビ局には諦めムードが漂う中、ディレクターは萩本欽一に白羽の矢を立てます。

紅白歌合戦に登場する芸能人に対抗し、素人で勝負するのはどうかと萩本欽一が提案し、「全日本仮装大賞」が誕生しました。

2021年2月6日放送の第98回大会は、コロナ禍により初めて無観客で開催されましたが、萩本欽一の「私、この番組終わり」という、引退宣言ともとれる発言が大きな話題を呼びました。

2022年1月2日放送のラジオ「欽ちゃんとオードリー若林のキンワカ60分!」では、出場者が密状態になることで、感染者が出てしまうと考えての発言だったと、真意を告白した萩本欽一。結局、番組から感染者は出なかったため、後悔したといいます。

その後、萩本欽一は新番組の構想についても話していたため、新しい形で「仮装大賞」を楽しめる日が来るかもしれません。

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萩本欽一がYouTubeで死去後の夢を語る!

2015年に、駒沢大学の仏教学部に入学した萩本欽一。地方の寺の衰退をテーマにしたリポートで、「骨を埋めずに歴史を埋める場所にする」という内容を扱い、それを実現させようとしています。

萩本欽一のアイディアは、大学で出会った同級生のお寺に、新しい形のお墓を作るというもの。自身のみならず、誰でもそこに入れるようになっており、記念碑として扱うといいます。

お寺に向かうまでの道のりも工夫しているため、もはや街づくりと呼べるのかもしれません。萩本欽一のYouTubeチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」では、このプロジェクトの様子が公開されています。

2022年7月には軽い脳梗塞で入院し、翌月には新型コロナウイルスに感染したものの、YouTubeへの出演は元気に続けている萩本欽一。新たな挑戦に取り組みつつ、多くの人に愛される”欽ちゃん”として、これからも長く活躍し続けてほしいものです。

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