ハナ肇の銅像コントやギャグがなつかしい!肝臓がんに見舞われた晩年の生活と最期

ハナ肇の銅像コントがなつかしい!ゲバゲバでのギャグと言えば?

ハナ肇は伝説のコミックバンド「クレージーキャッツ」のリーダーにして芸能界のドン

とんねるず世代より前の人で知らない人はいないでしょう。目鼻が大きく、押し出しの強い壮年のコメディアンが、銅像に扮して微動だにしないところへ、他の出演者がやってきて、一斗缶で銅像を殴ったり、水やペンキをひっかけたりして大騒ぎするというシチュエーション。

この銅像に扮していたコメディアンこそ、伝説のコミックバンド「クレージーキャッツ」のリーダーとして、昭和の芸能界を牛耳っていたハナ肇です。

ハナ肇「アッと驚くタメゴロー!」と日曜夜のお約束「スター・ダスト」

さらに上の世代ならば、日本テレビのバラエティ番組「しゃぼん玉ホリデー」のハナ肇もお覚えでしょう。番組のエンディングで、ジャズのスタンダードナンバー「スター・ダスト」を歌うザ・ピーナッツの間に割り込んできて、「たぬき顔」などと彼女たちをからかっては毎回肘鉄をくらっていました。このシーンを見ると、「日曜日も終わりか」とややセンチメンタルになったものです。

また、同じ日本テレビで、1969~1971年にかけて制作された画期的コント番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」には、当時流行ったヒッピー調のサイケな衣装に身を包んで登場。コントとコントの合間やCMの前後に突然絶叫する、ハナ肇の「アッと驚くタメゴロー!」というギャグが大流行しました。

ハナ肇の最期は「クレージーキャッツ」に囲まれて……ドラムの腕を磨いた晩年

ハナ肇は「馬鹿まるだし」など俳優でも活躍

ハナ肇は、1930年生まれで、1993年に肝臓がんで亡くなっています。まだ63歳の若さでした。実は、自らが率いたバンド「クレージーキャッツ」のメンバーの中では、ハナ肇が一番早くに亡くなってしまいました。植木等や谷啓が参加していた「クレージーキャッツ」は、1955年に結成され、所属プロダクションであった渡辺プロダクションとともに、昭和30年代の芸能界を席巻します。

しかし、ハナ肇の死とともに、渡辺プロダクションもかつての栄華を失い、芸能界は、ホリプロやジャニーズ事務所など数多くの芸能事務所がしのぎを削る時代に入りました。「クレージーキャッツ」の面々は、もとよりジャズのバンドマンとしても一流でしたが、後年は、それぞれがタレントや俳優として活躍しています。

ハナ肇もまた、豪放磊落で人情深い性格をそのままキャラクター化した、山田洋次監督「馬鹿まるだし」シリーズが大ヒット。渥美清の「男はつらいよ」シリーズにつながる作品として有名です。

ハナ肇の原点はやはりジャズドラマー

ハナ肇は、俳優活動を行う傍らで、自分の原点であるバンド活動を忘れませんでした。1985年には、バンド「ハナ肇&オーバー・ザ・レインボー」を結成し、死去する1カ月前まで活動していたと言います。彼の死を看取った「クレージーキャッツ」のメンバー安田伸は、ハナ肇の通夜の席で、「ハナは、(ドラマーとしての)技量という点では、晩年になって真のドラマーになった」と、しみじみ語りました。

ハナ肇とクレージーキャッツの笑いのセンスはジャズにあり

近年、コミックバンドとしてだけでなく、ジャズバンドとして、「クレージーキャッツ」が再評価されているそうです。その証拠ともいうべき1枚のレコードが存在します。タイトルは「横浜モカンボ・セッション」。1953~1954年は、日本におけるジャズの草創期でした。横浜・伊勢佐木町2丁目にあったナイトクラブ「モカンボ」では、毎夜、多くのジャズプレーヤーたちが集まり、ジャムセッションが行われていたと言います。

そうした時代を背景に、1954年7月27日深夜から翌朝にかけて、夜を徹して行われたセッションが、その後20年以上を経てレコード化されたものが「横浜モカンボ・セッション」。今では、日本のジャズファンにとっては伝説至高の1枚となっています。参加したミュージシャンは、ピアノ秋吉敏子、アルトサックス渡辺貞夫をはじめ、夭逝したピアノ奏者守安祥太郎、テナー・サックス宮沢昭、アルトサックス五十嵐明要、海老原啓一郎、ベース上田剛、ドラム清水閏など、錚々たるメンバーです。

その中に、「クレージーキャッ」からは、ドラムのハナ肇、ピアノの石橋エータロー、そしてギターの植木等が参加していました。「クレージーキャッツ」の垢抜けた大人の笑いのルーツは、メンバー一人ひとりが培った、音楽センスにあったに違いありません。

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