羽根田卓也(カヌー)はマツコ・デラックスのお気に入り!出身中学、高校にカヌー部は?

羽根田卓也(カヌー)はマツコ・デラックスのお気に入り!出身中学、高校にカヌー部は?出典:http://jinsei-navi.com

羽根田卓也(カヌー)はマツコのお気に入り!朝日丘中学、杜若高校にカヌー部は?

羽根田卓也(カヌー)は「マツコ&有吉の怒り新党」で紹介されて以来、マツコ・デラックスのお気に入りに!

羽根田卓也(カヌー)は、リオオリンピックのカヌー・スラローム男子カナディアンシングルで、日本人初の銅メダルを獲得しました。スラローム・カナディアンとは、全長3.5m以上もある艇に、立膝もしくは正座の姿勢で乗り、パドルを漕ぎながら河川を下り、タイムを争う競技です。

今回でオリンピック出場も3度目となる羽根田卓也ですが、思わぬところでメディアに取り上げられています。それは、「マツコ&有吉の怒り新党」の番組内での出来事。日本国内ではマイナーであるカヌー競技、「第一線でメダルにチャレンジしていても全く注目されない」と、羽根田卓也の現状を見かねた友人が、番組宛てに不満の投書をしました。結果、羽根田卓也の映像は全国ネットに乗ったばかりではなく、爽やかな風貌は、すっかりマツコ・デラックスのお気に入りとなりました。

羽根田卓也(カヌー)の出身校である朝日丘中学、杜若高校にカヌー部はあるのか?

羽根田卓也(カヌー)がカヌー・スラロームを習い始めたのは、小学3年生、9才の時のことです。羽根田卓也の父・羽根田邦彦は、元カヌー選手で、兄とともに直接手ほどきを受けました。羽根田卓也の練習場所は、地元愛知の八作川。中学は、豊田市立朝日丘中学校というカヌー部のない学校に進んだため、父と子の二人三脚で特訓を積み、ジュニア日本選手権に出場した羽根田卓也の結果は、見事に優勝。

しかし、中学3年生の時には、世界選手権に初出場するものの、42位という手痛い敗北を味わうことになりました。中学卒業後の羽根田卓也は、カヌーの強豪校として名高い杜若高校へ進学。高校3年生で日本選手権を制し、国内では向かうところ敵なしとなりました。

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羽根田卓也(カヌー)のプロフィール!スロバキアの大学へ留学したワケとは?

羽根田卓也(カヌー)のプロフィール!21才で初のオリンピック出場した実力派

羽根田卓也(カヌー)は、1987年7月17日生まれの29才。元カヌー選手であった父親の下、9才の時にカヌー人生をスタートさせます。中学、高校時代は、地元・愛知県豊田市で練習を続けますが、高校卒業を機に単身渡った先はカヌーの強豪国であるスロバキア。かの地で練習を重ね、2008年、21才の時に、自身初のオリンピックとなる北京オリンピックに出場した羽根田卓也でしたが、予選14位で敗退。2度目となるロンドンオリンピックでは、決勝まで進み、7位入賞を果たします。

そして3度目の挑戦となった今年、前哨戦となる6月のワールドカップで日本人初の3位表彰台を獲得した羽根田卓也。メダルが期待される中、リオオリンピック準決勝を6位で通過すると、決勝で、見事銅メダルに輝きました。

羽根田卓也(カヌー)が単身スロバキアの大学に留学したワケとは?

羽根田卓也(カヌー)は高校卒業後、単身スロバキアの大学への留学を決めます。理由はいくつかありますが、簡単にいうと、スロバキアはカヌー強豪国で、練習環境が整っているためです。現在、カヌー・スラローム競技は、人工コースを主流としています。世界選手権や、ワールドカップ、オリンピックなど、主要な国際大会は、全て人工コースで行われるのです。

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ところが、その人工コースが日本にはありません。人工コース特有の速い流れへの対応力や、年間を通してコンスタントに練習できる環境、指導する高レベルなコーチ陣、実力を競い合うライバルの存在……これらは、カヌー競技で世界を目指す選手ならば、どれ一つ欠くことができない要素です。ですから、羽根田卓也がこれらを求めてスロバキアに渡ったのは当然のこと。現在は、コメニウス体育大大学院に在籍し、現地人のコーチと練習を重ねています。

羽根田卓也が獲得した銅メダルの重み

羽根田卓也(カヌー)は、リオオリンピックのカヌー競技で日本人初となる銅メダルを獲得しました。そんな羽根田卓也には、交通事故による後遺症で、車いすの生活を余儀なくされている友人がいます。8年前、事故で意識不明のままだった友人の病床で、メダルを獲得することを心に誓った羽根田卓也。それから互いに励まし支え合ってきた友に、羽根田卓也は、リオオリンピックで銅メダルを獲ったことで、ようやく約束を果たすことができました。喜びも一入でしょう。

また、今回のメダル獲得により、今までほとんど知られていなかったカヌー競技にスポットが当たることとなりました。マイナー競技でメダルを獲得することは、想像以上に難しいことです。羽根田卓也がスロバキアにわたって10年になりますが、それは10年経った現在も、母国・日本の練習環境が整っていないことを示しています。家族や友人と離れ、言葉も文化も違う海外でのトレーニングの毎日。スポーツ選手として厳しい環境に身を置くことも大事でしょうが、それは選択肢があってのことです。

東京オリンピックに向けて、「日本にいたら世界と戦えない」という環境は、そろそろ見直していかないといけないはずです。羽根田卓也が所属するミキハウススポーツクラブは、マイナー競技を中心に、個人選手のサポートを行っています。所属メンバーの中には、柔道男子60kg級で3連覇を達成した野村忠宏のような有名選手もいますが、現役引退後もそのまま所属しているのは、本人の希望に応じて活動を支援する、選手主体のサポート体制があるからです。

こうしたスポンサーのあり方が、羽根田卓也のようなマイナースポーツで戦い続ける選手を支えていくことは間違いありません。メダルラッシュで日本中が沸いたリオオリンピック。羽根田卓也の銅メダルは、4年後の東京オリンピックに向けても、選手をサポートする体制を、国民、企業、そして何よりも国が考えていかないといけないことへの警鐘ともいえます。

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