馳浩文部科学大臣の妻は高見恭子!教員時代の体罰は本当?

馳浩文部科学大臣の妻は高見恭子!教員時代の体罰は本当?出典:http://www.oricon.co.jp

馳浩文部科学大臣の妻は高見恭子!教員時代の体罰は本当?

馳浩文部科学大臣の妻はタレントの高見恭子だった!

馳浩(はせひろし)は、元プロレスラーの政治家です。安倍晋三首相の命により、2015年10月から2016年8月まで、第20代・文部科学大臣を務めていました。

馳浩は過去に、「サンボ」という、ロシアの国技である格闘技を日本に広めたビクトル古賀の娘と結婚をしていましたがほどなく離婚。現在の馳浩の妻は、タレントの高見恭子で、ともに再婚同士です。馳浩と高見恭子の間には、娘が1人います。馳浩と妻の高見恭子は、2015年の「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選出されており、理想の有名人夫婦として授賞式に出席。夫婦円満の秘訣として、「1つの布団で一緒に寝ること」「感謝の気持ちを持ち続けること」などと明かしています。

馳浩文部科学大臣は母校・星稜高校教員時代に体罰をしていた!?

馳浩は、文部科学大臣などの政治家になる前は、プロレスラーとして活躍をしていました。プロレスラーになる前には、レスリングの日本代表として、オリンピックに出場しているという輝かしい経歴もあります。さらにそれ以前には、自身の出身高校である星稜高校で、古典の教師として、1年半ほど働いていた時期もありました。

その星稜高校教員時代に、馳浩が体罰を行っていたとする発言を収めた対談記事が大臣就任後に明るみになると、問題視されるように。それは、「部活動の際に、一週間に一本は竹刀が折れるほどの体罰を行っていた」という内容でした。馳浩はこれを認め、「当時、竹刀で殴ってしまった生徒らに謝罪したい」と述べ、「体罰はいけないことだ」と会見で釈明。体罰を堂々と語っていた人物を文部科学大臣にするべきではないという意見も噴出しましたが、馳浩は、内閣改造の任期満了まで文部科学大臣をつとめあげました。

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馳浩文部科学大臣の出身地やプロフィール!国会議員としての評価は?

馳浩文部科学大臣の出身地やプロフィールをおさらい!現役プロレスラー議員誕生の経緯

馳浩は、1961年5月5日生まれの55歳。馳浩の出身地は、富山県小矢部市ですが、石川県の親戚宅に養子へ行ったため、石川県金沢市も出身地といえます。馳浩は、星稜高等学校を卒業した後、専修大学の文学部国文学科へ進学。国語の高校教員免許を取得し、1984年の大学卒業後は、母校の星稜高等学校で、古典の教諭として働いていました。

同年、ロサンゼルスオリンピックに出場しますが、残念ながら予選敗退。翌年8月に星稜高等学校を退職し、プロレスラーの道へ進みました。1995年には、現役プロレスラーとして参議院選挙に出馬し、初当選。2006年にプロレスラーを引退してからは、衆議院・参議院あわせて20年以上、政治家として活動しています。

馳浩文部科学大臣の国会議員としての評価は?あの大物の忠犬だった?

馳浩は、元プロレスラーとして初めて大臣に選出されました。しかしこれは、馳浩の評価が高いというより、森喜朗元首相の力だといわれています。馳浩を政界に誘ったのは、同郷の森喜朗元首相で、馳浩の国会議員としての評価には、「森喜朗の忠犬」という声が多い様子。馳浩の政治家としてのサクセスストーリーは、森喜朗元首相なくしては叶わなかっただろうというのが大筋の見方です。

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政策や実績に乏しい馳浩が文部科学大臣に選ばれたのは、森喜朗元首相が馳浩の入閣を要望し、それを受けて、森喜朗元首相の子分ともいわれる安倍晋三首相が入閣させたのだとか。2006年に行われた馳浩のプロレス引退セレモニーでも、森喜朗元首相がパイプ椅子を持ち出し、馳浩が羽交い絞めにしたレスラーに殴りかかるというタッグマッチを見せています。まさに馳浩の政治家生命は、森喜朗元首相とのタッグマッチであるといえそうです。

馳浩の政治家としての展望は?文部科学大臣を辞めた後は何をする?

馳浩は、2016年8月3日付で、文部科学大臣を交代(後任は松野博一)しました。教育・生涯学習・人材育成、学術、スポーツ・文化振興、科学技術、宗教などといった幅広い分野を管轄する文部科学省のトップを、たった10カ月間ながらも務めあげた馳浩。

やり残したこととして、「もんじゅの新しい運営主体を国民に示せなかったこと」を挙げています。文部科学大臣就任中に着手した、工芸館を石川県へ移転させるプロジェクトも遂行途中でもあった馳浩。移転実現のために、新しい大臣を支え、自民党の一員として継続して取り組んでいきたいとも語っています。

文部科学大臣を辞めた後の馳浩は、安倍首相から、「文学・教育の分野をよろしく」と言葉をかけられたそう。それを受けて、現在は、フリースクール・夜間中学・不登校問題など、幅広い教育体制を整えていきたいと意気込んでいます。森喜朗元首相の片腕として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の顧問会議で顧問も務めている馳浩は、プロレスの引退セレモニーで、最後に「総理大臣になったらまたリングに上がりたい」と宣言してみせました。

……馳浩が総理大臣になる日が来るとは思えませんが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが大成功すれば、馳浩の株も上がっているかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックの混乱の元凶との呼び声高い森喜朗元首相と心中となるのか、五輪成功の功労者となるのか、馳浩の今後の身の振り方に注目です。

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