橋幸夫はあの新興宗教の信者なのか?パク・シフに似ていると話題に

橋幸夫はあの新興宗教の信者なのか?パク・シフに似ていると話題に出典:http://www.kasugai-bunka.jp

橋幸夫はあの新興宗教の信者なのか?パク・シフに似ていると話題に

橋幸夫と新興宗教団体の交際はあった!妻は信者ではないと断言するも……

橋幸夫といえば、「子連れ狼」などで知られる昭和の大スター歌手。その橋幸夫が、かの有名な新興宗教信者であると報道されたことがありました。新興宗教といは、有名芸能人が参加した1992年の合同結婚式も有名な、韓国発の某キリスト教系宗教団体。

この翌年、合同結婚式に参加していた新体操の元女王・山崎浩子が失踪事件を起こし、相手と入籍しないまま脱退。”橋幸夫もその新興宗教の会員である”という情報がマスコミに流れたのは、その直後でした。これを受け、橋幸夫の都内の自宅には、取材陣が殺到し、対応した橋幸夫の妻も、「10年ほど前に、関連団体と仕事を通じて付き合いがあった」と認めています。

しかし、「入信勧誘用のビデオを見せられたものの、夫婦ともに入信しようと思ったことはない」と、新興宗教への入会自体は否定。山崎浩子ネタで騒げなくなったマスコミが、勝手に騒いでいただけとの着地点に落ち着きました。しかし、ある信者は「橋幸夫は離教した」と、意味深な発言をしている模様。事実関係を確認する術はありませんが、現時点で、信者ではないことだけは確かです。

橋幸夫が韓流スターのパク・シフに似ている?在日韓国人説を検証

橋幸夫は、日本でもおなじみの韓流スター、パク・シフに顔が似ていると話題になっていますが、若い頃の橋幸夫と比べても、似ていると言えるかどうか……。ただし、橋幸夫が、韓国顔と言われがちなのは事実。韓国の有名人に例えられるのは、今に始まったわけではありません。

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このためか、橋幸夫の在日韓国人疑惑は、昔からまことしやかに囁かれ続けています。橋幸夫は、1943年5月3日、東京都荒川区出身。このプロフィールを、帰化情報の全てが掲載される官報の中に探し出した人もいるようですが、確たる記載事項が公表されたわけではありません。そこで1つ、橋幸夫の出自を証明する情報を発見。

1966年3月号の雑誌「明星」の中で、橋幸夫が、「先祖は、祖父の代まで滋賀県草津の神主だった」と、発言していたのです。橋幸夫は、2005年8月15日に靖国神社へ参拝。その時、「正しい歴史認識をする、よい機会」と語っていたことからも、韓国にルーツを持っているとは考えにくいと思われます。

橋幸夫デビュー曲「潮来笠」からの軌跡!吉永小百合とはデュエットも!

橋幸夫はデビュー曲「潮来笠」で彗星のごとく現れた大型新人!”舟木一夫”でデビュー予定だった?

橋幸夫は、呉服屋の9人兄弟の末っ子として生まれ、学生時代は、ボクシングに熱中するアウトロー少年。歌手になるきっかけは、橋幸夫の素行を心配した母に入れられた、作曲家・遠藤実の歌謡教室でした。1960年17歳の時、ビクターから「潮来笠」で歌手デビューを果たした橋幸夫。

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のっけから、第2回日本レコード大賞の第1号新人賞を受賞し、同年の紅白歌合戦にも出場するなどの活躍を見せ、以後、紅白歌合戦には17回連続出場。舟木一夫や西郷輝彦とともに、大人気アイドル「御三家」として、空前のブームを巻き起こします。

実は、デビュー前にコロムビアのオーディションに不合格になったことがある橋幸夫は、もし合格していたら、”舟木一夫”としてデビューさせられる予定だったとか。その時は、デビュー曲は「潮来笠」ではなく、「高校三年生」となっていたのかもしれませんね。

橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」で地位確立!映画でも大活躍だった!

橋幸夫は、デビュー曲「潮来笠」で波に乗ると、2年後には、人気絶頂期にあった吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」で、30万枚以上のセールスを叩きだします。そして、「いつでも夢を」では、日本レコード大賞を受賞。その2年後に発売した「霧氷」で、2度目となるレコード大賞も受賞しています。

その後も「しとしとぴっちゃん」でお馴染みの「子連れ狼」が、ドラマ主題歌になってお茶の間で人気を博すなど、この時代の名実伴った若手ナンバーワン歌手といえば、間違いなく橋幸夫でした。そして、デビュー曲「潮来笠」と同名映画で銀幕デビューを果たしていた橋幸夫は、数多くの映画で主演も務めています。

その多くは、橋幸夫の楽曲がタイアップされ、倍賞千恵子や由美かおるといった、そうそうたる名女優らと共演。吉永小百合主演映画「いつでも夢を」にも、橋幸夫が出演しています。

橋幸夫の家族に支えられた歌手人生!最新曲「ちゃっきり茶太郎」は母に捧げる股旅歌謡!

橋幸夫ブームは、1980年前後に去り行きましたが、「股旅歌謡・リズム歌謡・ムード歌謡」と多彩な輝きを放ったことで、早くも昭和歌謡界の伝説的存在となっています。ちょっと年若い方ならば、「盆ダンス」「ゆるキャラ音頭」と、愉快な作品も記憶に新しく、何と、橋幸夫がこれまでに発表した楽曲は通算500以上。

今でもコンサートを開催すると、「御三家」時代に青春を過ごした往年のファンでにぎわいます。その歴史は、橋幸夫が、母に薦められて通い始めた歌謡教室から始まりました。週2回、学校から帰るなり、兄に強制的に連れて行かれる日々。中学2年生の暴れん坊少年だった橋幸夫にとって、見も知らぬ歌の世界は馴染めぬものでしたが、母や兄の顔を潰したくない一心で、3年間のうち1度も休まずに通い続けたそうです。

こうして高校2年の春に決定したデビューは、芸能活動を反対していた父親が心臓病で入院中に、秘密裡に決行されました。橋幸夫の母や兄姉たちは、デビュー番組となった「ロッテ歌のアルバム」の生放送を、病室の父に見せて説得してくれたそうです。デビューから2年は、マネージャーを務めてくれた姉と、撮影所を頻繁に訪れては応援してくれた兄。そして、追っかけ1号となった母親への想いこそ橋幸夫の原動力。

橋幸夫の母親は、認知症に罹り、88歳で亡くなっていますが、デビュー曲「潮来笠」だけは覚えていて、病床でも最期まで口ずさんでいたのだといいます。デビュー56年目にして、2016年7月20日に発売となった橋幸夫の最新曲「ちゃっきり茶太郎」は、母親も大好きだった股旅歌謡。20年ぶりとなったレコーディングは、より感慨深いものとなったようです。

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