花柳貴彦と花柳流家系図!泥沼お家騒動の発端は?

花柳貴彦と花柳流家系図!泥沼お家騒動の発端は?

花柳貴彦が四代目に指名された花柳流家元の家系図とは?

花柳貴彦(はなやぎたかひこ)とは、日本舞踊の最大流派である花柳流のプリンスと呼ばれる舞踊家です。花柳流とは、江戸末期に花柳壽輔(はなやぎじゅすけ)が創始した150年以上続く日本舞踊最大の流派で、門弟は全国で約2万人といわれています。

1849年(嘉永2年)、初代壽輔が花柳流を創始。二代目は初代壽輔の子供が、三代目は二代目の長女が家元を引き継ぎました。この世界は、日本の伝統芸である歌舞伎同様、家元は、代々血縁関係のある直系の子供が継承する世襲制で決められていましたが、本家の三代目家元だった花柳若葉には子供がいませんでした。

花柳流のプリンスとの呼び声高い花柳貴彦(青山貴彦)は、本家の親族にあたる花柳流二代目の故花柳壽楽(じゅらく)の直系の孫にあたります。そのため、花柳貴彦は、花柳壽楽が後見人を務めていた三代目家元の花柳若葉から「次期家元に」と直々に指名されたことをきっかけに、2003年に務めていた会社を退職します。

花柳貴彦が花柳流を除名された泥沼お家騒動の発端とは?

花柳貴彦は、三代目家元だった若葉から家元教育を受けていましたが、あろうことか、現家元の花柳寛が、三代目の葬儀の席で、「自分が花柳流の後継者だ!」と理事会に正式に発表。花柳貴彦を差し置いて四代目に就任したことが、泥沼お家騒動の発端でした。この花柳寛も、花柳貴彦の祖父花柳壽楽同様、三代目の後見人を務めていた実力ある人物ですが、家元とは血縁関係がありません。

その上、2014年、「家元から2002年に後継者との指名を受けた」と主張する花柳貴彦を、花柳流から除名するという強硬手段に出ます。これに対し、除名の無効を求めた花柳貴彦は裁判を起こしますが、三代目家元が正式に花柳貴彦を次期家元に指名したという事実を証明する書類は存在していません。どうやら口約束だったようで、急逝した家元の遺言状には、何も書いてありませんでした。

花柳貴彦の大学卒業後が意外!除名無効裁判の結末は?

花柳貴彦は大学卒業後に意外な職に就いていた!

花柳貴彦は、1975年生まれの41歳。人間国宝だった祖父・花柳壽楽の手ほどきを受け、5歳で初舞台「土蜘蛛」を踏み、16歳の時に名取になって、花柳貴彦の名前を許されました。しかし、大学に進学するにあたって、「踊りの道に進むか、一般的な社会人になるか」で悩みます。結果的に後者の道を選びますが、その理由には、舞踊家として活動していた従兄弟の存在があったそうです。

「自分が社会に出ることで、踊りの世界の外から彼らの力になりたかった」。そう語る花柳貴彦は、早稲田大学の理工学部に進学し、同大学院を経て、平成12年に清水建設株式会社に入社しました。ところが2年後に、三代目家元から、「次期家元への要請」を受けたのです。結婚して子供も生まれていた花柳貴彦は、苦渋の選択を迫られます。しかし、悩み抜いた末に舞踊の道に戻る決心をした花柳貴彦は、会社を辞し、三代目の元で研鑽を積む決心をしました。

花柳貴彦が除名無効を求めて起こした裁判の結末は?

「花柳貴彦を次期家元にする方針で家元教育を行っている」と周囲に話していた三代目でしたが、その旨を正式に発表する前に急逝してしまいます。そして、正式な発表がなされない中、「私が次期家元だ!」と勝手に家元に就任した花柳寛は、その後も家元としての活動を継続。一方で、家元に就任できなかった花柳貴彦は、2010年に、初めての自主公演である「花柳貴彦の会」の開催や、弟子の指導、明治座アカデミーでの講師を務めていました。

しかし、花柳貴彦の自主公演を良しと思わなかった花柳寛は、「許可なく花柳流の演目を演じた」「花柳流から除名する」との旨を花柳貴彦に通知します。この除名処分に対して、花柳貴彦は、除名無効を求める裁判を起こしたのです。2016年5月25日に出された裁判の結果は、花柳貴彦の訴えは正式に認められ、除名処分は無効となりましたが、四代目家元になることは認められませんでした。

その理由は、入院生活が11カ月と長かった三代目が正式な書面を遺さなかったこと。そして、花柳寛が全会一致で家元に就任して6年間務め上げているという事実があるからだそうです。

花柳貴彦が「踊る続けることが私の宿命」と語った理由とは?

花柳貴彦は、三代目家元から直々に指名を受けながら、現家元との争いで四代目の就任を阻まれている「悲劇のプリンス」ですが、「踊り続けることは私の宿命です」と、花柳流の未来に並々ならぬ熱意を抱いています。現世の定めである「運命」と言わずに、あえて「宿命」(生まれる前から定められたこと)と語る花柳貴彦の胸の内にあるものは何なのでしょう。

これまで育てていただいた花柳流と家元への恩義は重々承知していたものの、社会人3年目で仕事の面白さが分かりかけていた花柳貴彦は、「このまま仕事を辞めてしまっていいのだろうか」と、花柳流と仕事との狭間で心が大きく揺れていました。そんな花柳貴彦の背中を大きく推したのが、「血筋」という大きな責務。もともと花柳貴彦が大学進学を決めたのも、社会で成功することで、舞踊家として活動していた従兄弟たちを外から応援するためで、血筋に貢献するためでした。

三代目が自分を次期家元に要請するのならば、血筋である自分が受けなければ理が立たない、そう考えた花柳貴彦は、次期家元になる決意をしました。「踊り続けることが私の宿命」と悟った花柳貴彦でしたが、目の前にはいばらの道が待ち受けています。除名無効を訴えた裁判には勝訴したものの、花柳寛は、花柳貴彦の除名無効を不服として控訴する意向を示していますし、四代目の就任に至っては認められていません。

それでも花柳貴彦は、「花柳流の名取として、花柳寛氏による流儀運営に不安を抱いている多数の方々の声に耳を傾け、是正するべく行動したい」とのコメントを出しました。次回裁判の期日は2016年10月31日とのこと。今後の裁判の行方を見守りたいと思います。

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