林家木久扇 ラーメンだけじゃなかった!ナポリタンも好調で年収は?病気(喉頭がん)克服は落語への情熱!

林家木久扇、ラーメンだけじゃなかった!ナポリタンも好評で年収は?

林家木久扇、林家木久蔵ラーメンとは?

林家木久蔵ラーメンの誕生は1982年、林家木久扇(前・林家木久蔵)が横山やすしと「全国ラーメン党」を結成したのをきっかけに、自宅調理用のラーメンの販売と他店舗への商品提供を開始したのが最初です。

全国ラーメン党の屋号店は全盛期で27店舗もあったそうですが、今は渋谷の代々木駅西口に一軒を残すのみで、後は全て閉店しました。木久扇師匠の目指したラーメンはちぢれ麺で関東では馴染みのしょう油味。

昔懐かしい屋台のラーメン風だったそうですが、代々木駅西口にある木久蔵ラーメンこと「代々木ラーメン党」には「とんこつ・しょう油・塩・みそ・辛口とんこつ・つけめん」とバリエーション豊かなラーメンが勢ぞろい!

それもランチタイムはお得なワンコインの500円で提供されています。半チャーハンをセットにしても600円。セットの半チャーハンは、一品一品注文を受けてから丁寧に調理されます。

ランチタイムに足を運ぶお客様のほとんどがこの「ラーメンと半チャーハンセット」を注文するようです。

林家木久扇、ラーメンだけではなくナポリタンも好評!年収は?

肝心の木久蔵ラーメンのお味ですが「返品が多い」「まずい!」「お腹こわした」など、出演中の国民的人気番組『笑点』では林家木久扇自虐ネタとして、他のメンバーからイジられ放題でしたが、自宅調理用の木久蔵ラーメンは「あっさりしていて美味しい」と大評判です。

アマゾンなどのネット上でも10食セットのラーメンに「現在在庫品切れです」の表示が。なんでも毎週日曜日の夕方になると大ブレイクしてしまうのだとか。

これも『笑点』でのイジられネタの影響でしょうか。そんな大人気の木久蔵ラーメンに今回新メニューとして「木久蔵ナポリタン(半生麺)」が登場しました。二食入り800円(税抜)。

昔、喫茶店で鉄板をジュージューさせながら出てきた思い出のナポリタン、給食で出ていたソフト麺のナポリタン、誰もが哀愁を覚えるあの懐かしい味が師匠の匠の技で見事に復活!その上人気なのはラーメンだけでなく、極太麺に魚介類のスープが絡んだ「東京つけめん」でも東京土産で常に上位にランクされています。
林家木久扇の笑点のギャラは、1回30万円と言われています。1年間で50回の出演と計算すれば、笑点のギャラだけで年間1500万円の計算となります。しかし、笑点の収録は2週間に1回ですので半額の750万円?

しかし、これほどの人気番組の出演料が750万円とは到底思えませんね?
また、木久蔵ラーメンの売上、講演会(1回60~80万円)など年収の方も相当稼いでいらっしゃるようですね!

林家木久扇 病気(咽頭がん)克服は落語愛!林家木久扇一門落語界の評判とは

林家木久扇、病気克服の鍵は落語愛 落語がしたくてしょうがなかったから

昨年7月、木久扇師匠は初期の咽喉がんであったことを発表。放射線治療を選択し、完治するには一か月半の期間が必要で、その間全ての仕事をキャンセルして治療に専念しました。

咽頭がんで声帯を切除した音楽プロデューサーのつんく♂や残念ながらお亡くなりなったミュージシャンの忌野清志郎、最近ではスマップの中居正広がポリープを切除するなど、芸能人にも喉のトラブルを抱える人が多くなっています。

木久扇師匠も70歳半ばを過ぎてからの放射線治療は本当に大変だったと思いますが、「落語がしたくてしょうがない」師匠の落語に賭ける思いが病魔に打ち勝ったのでしょう。

約束通り九月には仕事に復帰し、ご自身の誕生日である10月19日に『笑点』に帰ってきました!病気が完治して本当によかったですね。

林家木久扇、一門の落語会の人気・評判は?

林家木久扇一門の弟子にはきく姫・彦いち・久蔵・2代目林家木久蔵(木久扇の長男)・きく麿・ひろ木・扇・木りん・けい木・扇兵衛がいます。

きく姫は女性でありながら師匠の一番弟子のようですね。木久扇一門の落語会では長男である2代目林家木久蔵とひろ木、木りんの三人が組んで出演する機会が多くあるようです。

内容は会場からお題をもらって落ちを付ける「大喜利」や「寿限無」などの古典落語に始まり、林家ひろ木に至っては得意な三味線を披露。最後は二代目林家木久蔵がびしっとしめて、なかなかの盛況ぶりです。

また木久扇一門の落語とトークショーにおいては、参加費は別途ですが、当日出演した落語家さんたちと打ち上げが一緒に出来るなど、ユニークな特典もあります。

林家木久扇「食べるものにこだわって」木久蔵ラーメン

林家木久扇は1937年生まれ。東京日本橋で生まれました。ハマッコを自負する歌丸師匠同様、日本橋生まれに誇りを持っています。

小学四年生の時に両親が離婚し、駅で新聞や宝くじを売りながら働き続ける母親を助けるために小学生の頃から働き始めます。

「まずは空瓶拾い。それから映画館でアイスキャンディを売ったりね。でも、辛いと思ったことはなかったなぁ。学校の勉強は出来なかったけれど、生きていくための知恵はあったんだね」と語る師匠。

子供時代に貧しい経験をしたせいか、食べるものに困らないという理由で高校卒業後に森永乳業に入社。しかし、漫画家への道が諦めきれずに退社して漫画家・清水崑のところに弟子入りをします。

漫画家としてデビューも果たしますが、1960年に清水から落語家への転身を説得されて3代目桂三木助に入門。翌年、師匠の三木助の死去に伴い8代目林家正蔵一門に移籍し、「木久蔵」と改名します。

紆余曲折の人生でしたが、その後も食べ物へのこだわりはずっと捨て切れませんでした。そのこだわりは「今でも冷蔵庫が空になると、とにかく買い物に行ってパンパンになるまで押し込んでしまう」とか。高校時代に新聞配達をしながら貯めた小遣いで剣道部の同級生や後輩たちにラーメンを奢っていたという木久扇師匠。

よく通ったのは「春木屋」というラーメン屋で鶏がらスープに煮干しの出汁、しょう油味のシンプルな東京の中華そば。少年時代に皆で食べた思い出のしょう油ラーメン!この味こそが今や全国区となった「木久蔵ラーメン」のルーツなのです。

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