ヒラリー・クリントン メール問題で大統領選失速?次期大統領としての政策は?

ヒラリー・クリントン メール問題で大統領選失速?次期大統領としての政策は?

ヒラリー・クリントンがメールを私的利用?次期大統領としての政策は?

アメリカ次期大統領候補であるヒラリー・クリントンが、国務長官時代に国務省サーバーを使わずに、自分のメールアドレスで発信したことが大問題になっています。

どう考えても国務省と自宅サーバーではセキュリティーに大きな差異がありますし、政府のセキュリティーシステムと企業とを比較すれば、企業側のシステムなど形だけの代物。また、ハッカーに狙われて機密情報を盗まれたとなると、核戦争勃発の恐れもあり、アメリカ政府のみならず、国民全体を極度の危険にさらすことにもなりかねません。

それにしても、ヒラリー・クリントンほどの聡明な女性が、どうしてこのような事態を招いたのでしょう。次期の政策として「強いアメリカ経済への復活」を打ち出したからには「携帯電話を二台に分けたくなかった」などの馬鹿げた弁明は、到底受け入れらない気がします。

ヒラリー・クリントンがメール問題で次期大統領選は失速?

2015年4月12日、ヒラリー・クリントンは次期大統領選出馬を正式に表明しました。このタイミングで起こった個人メール問題に、反ヒラリー派の陰謀説と唱える評論家もいるようです。しかし、これはヒラリー・クリントンの時期大統領選の失速云々の前に、現実に起こったアメリカ合衆国に危機を及ぼす大問題。

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加えて、ヒラリー・クリントンが、政府の官僚という立場から個人メールを使用し、業務メールを残さなかったのは、現オバマ大統領の「政府の透明性の確保」に反する行為でもあります。メール問題がヒラリー・クリントンの次期大統領選にどれだけ影響をもたらすのかはまだ不明ですが、この問題を真摯に受け止めたヒラリー・クリントンは早急に電子メールを世間に公開すると宣言しました。

しかしながら、国務省アカウントではなく自分でサーバーを立てた個人メールのため、全てを消去することも可能なはず。「時、すでに遅し」とならないことを切に願います。

ヒラリー・クリントン 経歴・名言!親日or反日?

ヒラリー・クリントンの経歴 夫に発した名言とは?

ヒラリー・クリントンは1947年10月26日生まれ。本名はヒラリー・ロンダム・クリントン。イリノイ州のシカゴ生まれで幼い頃から政治に興味を抱き、1964年の大統領選では共和党のバリー・ゴールドウォーター候補の応援隊「ゴールド・ウォーターガール」を務めました。1969年に名門ウェルズリー女子大を優秀な成績で卒業後、イェール・ロー・スクールに入学し、そこで夫ビル・クリントンと運命の出会いをします。

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1975年に二人は結婚。1991年に夫ビルが大統領選に出馬し、1993年に大統領に当選すると、ファーストレディ史上初めてのキャリアレディとして夫を支えます。それまでファーストレディは政治に関与しないことが常でしたが、「最高のアドバイザー」と称されたヒラリー・クリントンは、閣議に臨席し首脳の外国訪問に同伴する特別な存在でした。

ウイットにも富んでいたヒラリー・クリントンが、故郷に帰った時に夫ビル・クリントンと交わしたエピソードは余りにも有名です。ガソリンスタンドに立ち寄った時のこと、経営者の男と親しげに話すヒラリー・クリントンに嫉妬したビル・クリントン。

「昔のボーイフレンドなの」さらりとかわした彼女に「もし彼と結婚していたら、君は田舎町のガソリンスタンドの奥さんになっていたんだね」皮肉交じりに言ったところ、ヒラリー・クリントンは笑みを浮かべながらこう答えたといいます。「何言っているのよ。彼が私と結婚していたら、彼がアメリカの大統領になっていたわ」。

ヒラリー・クリントンは親日?それとも反日?

夫ビル・クリントンにとって、ファーストレディとしてだけではなく、政治的にも最高の右腕だったヒラリー・クリントン。ビル・クリントンが大統領在任中の2001年には、選挙区民でもないニューヨーク州の上院議員に出馬するという、ファーストレディとして前代未聞の偉業を成し遂げ、見事当選します。ヒラリー・クリントンは政治家になるべくして生まれてきた女性なのでしょう。

ですから彼女は、アメリカにとって良かれと思えば親日となり、そうでなければ反日として掌を返すことも十分ありうるといえそうです。ヒラリー・クリントンは何事も自国優先、国益を最優先に考えるのではないでしょうか。

ヒラリー・クリントン「知性と行動力」次期大統領に一番近い女性

ヒラリー・クリントンは、夫であるビル・クリントンが大統領に就任した時に「私は自宅でクッキーを焼いているだけの女性ではありません」との旨を発言して、全米中の女性から猛反発を受けたと言います。しかしながら「ファーストレディは政治に一切関与しない」このしきたりを塗り替えたのがヒラリー・クリントンでした。夫ビルの片腕として「共同大統領」などと陰口を叩かれながらも、夫を支え、女性スキャンダルにも屈せず、八年間の任期を全うさせました。

その後、ヒラリー・クリントンは、2007年に大統領選に出馬しますが、民主党予備選でオバマ現大統領に敗れてしまいます。しかし、翌年就任したオバマ大統領から国務長官に指名され、「合衆国に全てを捧げる」と受け入れたヒラリー・クリントンの「知性と行動力」は、他を寄せ付けないパワーがありました。

自らを「理想主義的な現実主義者」と称し、国務長官就任以前の40年余りを社会活動家・ファーストレディ・弁護士・上院議員として、教育と人権に力を注いできたヒラリー・クリントン。自らの信念を貫くまでは一歩たりとも引かないヒラリー・クリントンの「揺るがない強さ」。これこそが、今のアメリカに最も必要とされているのかも知れません。

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