平野啓一郎おすすめ小説「ドーン」「決壊」あらすじネタバレ!

平野啓一郎おすすめ小説「ドーン」「決壊」あらすじネタバレ!

平野啓一郎が「ディヴ」をテーマに描いたSF小説「ドーン」とは?

平野啓一郎が2009年に発表したSF小説「ドーン」で、要所に出てくるワード「ディヴ」とは「dividualism」(分人主義・個人が場所や対人関係ごとに多数の顔を持つこと)の略です。物語の舞台は、近未来の2033年。人類史上初めて火星に降り立った宇宙船「DAWN」と、乗組員である6人の宇宙飛行士は、無事地球に生還してたことで、一時は英雄と崇められます。

しかし実は、宇宙船内で起きていた出来事の背景には、大統領選や世界の未来をも左右するという巨大な陰謀が隠されていました。6人の宇宙飛行士の中で唯一の日本人であり、主人公である医師の佐野明日人(さのあすと)の視線で語られるこの物語。

「火星生物からの攻撃か?」なる場面もあり、一見、宇宙を舞台にしたよくあるハリウッド的なSF映画?と思いきや、そこは芥川賞出身者である平野啓一郎です。「ディヴ」なるコアな概念「場所や相手に対して、自然と人は、異なる人格を使い分ける」をテーマに、主人公を取り巻く人間・家族関係を軸に人の心を最深部まで掘り下げ、正に純文学の王道を行く展開になっています。

平野啓一郎のおすすめミステリー小説「決壊」のあらすじネタバレ!

平野啓一郎の小説「ドーン」はSF小説でしたが、2011年に出版した「決壊」は、ジャンルでいうとミステリー小説になります。ただ、探偵の謎解きや犯人のトリックがメインになる一般のミステリーとは異なり、「トリックを見破り、犯人を捕まえてジ・エンド!」という終わり方を期待してはいけません。確かに、あるサラリーマンのバラバラ殺人事件が発端で物語は展開しますが、同時に、ネット社会でのイジメ問題も絡んできます。

また、「決壊」でも、「ドーン」でキーワードとなった「ディヴ」(分人主義)の概念を匂わせているので、2冊を読み合わすのも面白いかも知れませんね。「決壊」には、「堤防などが崩れて水があふれ出す」という意味があります。平野啓一郎が、作品のタイトルにどうしてこの言葉を選んだのか。最後の砦を崩したのは誰なのか?大いに考えさせられる小説です。

平野啓一郎デビュー作「日蝕」で芥川賞受賞!佐野亜紀「鏡の影」のパクリなの?

平野啓一郎がデビュー作「日蝕」で芥川賞を受賞!

平野啓一郎のデビュー作である「日蝕」は、1998年8月号の「新潮」(新潮社)に掲載され、同年10月には単行本刊行と、無名の新人としては異例のスピードデビューを飾りました。そればかりか、翌年の2月には、ほぼ全員の選考委員の支持を得て、第120回芥川賞を、当時最年少の23歳で見事受賞。難解な文体と、類なき才能から、「三島由紀夫の再来」とまでいわれました。

しかし、当時の選考委員だった石原慎太郎だけは、「果たしてこの文体でなければ現代文学は蘇生しないのだろうか。私はそうは思わない。軽々しく三島由紀夫の再来と呼ぶのは止めていただきたい」と酷評しています。実は、平野啓一郎のデビューは、新人賞への応募ではなく、出版社への「持ち込み」。平野啓一郎本人に芸術至上的な考えが強く、賞とは無関係な作家としての生き方への憧れが強かったことからそのような成り行きになったとか。「作品だけを送っても編集者には読んでもらえない」と、出版社に、作品に関するあらすじや意見書を事前に送るなど、自らの作品に関して相当な自信があったようです。

平野啓一郎の「日蝕」がパクリ疑惑で佐野亜紀「鏡の影」が絶版に?

平野啓一郎は、「三島由紀夫の再来というべき神童」とのコピーで、華々しいデビューを飾りましたが、デビュー作「日蝕」にパクリ疑惑が持ち上がります。疑惑となった小説は、1993年に同じく新潮社から刊行された佐藤亜紀の「鏡の影」。佐藤亜紀によると、「鏡の影」が絶版になったのは、平野啓一郎の「日蝕」が芥川賞候補になった1998年12月。

さらに翌年には「戦争の法」の文庫版も絶版に。その上、新潮社は、絶版の事実を佐藤亜紀に知らせなかったそうです。「日蝕」が刊行されたのは1998年。「鏡の影」は1993年。平野啓一郎はパクリ疑惑に関して、「『鏡の影』も、佐野亜紀という作家も、その時に初めて知った」とコメントを出しましたが、それならば「佐藤亜紀の作品を絶版にする理由があるのか」との疑念を持たざるを得ません。一方で佐藤亜紀は、「今後、新潮社とは一切仕事をしません!」との決別宣言を発表しました。

平野啓一郎の作品は面白いだけじゃないから疲れる?

平野啓一郎はもともと、ネット社会に懐疑的な考え方を抱いています。「ウェブ人間論」においては、「現実で嫌なことがあるときには避けていきたい」との他者の意見に対し、「現実が嫌な時には改善する努力をするべきである」と述べています。ネット上の仮想世界に対しても、「確かに刺激的ではあるけれど、面白いところだけをピックアップするだけでは血肉に成りえない」と批判的です。

事実、平野啓一郎が小説に取り組む際の取材に掛ける時間たるや、尋常ではありません。文体は必ずしも読みやすいとはいえませんが、「本は面白いところばかりではないので途中で嫌になることもあるけれど、実はそれこそが肝だったりする」と本人が語るように、仮想ではなく、目の前の現実にこだわることが平野啓一郎の世界観なのでしょう。現実は面白いことばかりではなく、むしろ辛いことのほうが多いけれど、そこにチャンスもある……これは人生にもいえることかもしれません。

現在、作家と呼ばれる人種は数多くいますが、自分の書きたい作品を書くことのできる作家は数少ないはずです。その中でも、平野啓一郎のように専業で食べていける作家は氷山の一角ほどもいません。平野啓一郎は、多くのファンに読まれる作家ではなく、むしろコアなファンに支持される作家です。「平野啓一郎の作品は疲れるし、面白くないところもあるけれど、読み続けていきたい」そんなコアなファンを満足させる作品を、今後もずっと書き続けて欲しいものです。

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