市川猿之助が四代目を継ぐまで!家系図、格が飛び抜けている!

市川猿之助が四代目を継ぐまで!家系図、格が飛び抜けている!

2022年6月27日 更新

市川猿之助が四代目を継ぐまで!歌舞伎家系図、格が飛び抜けている!

市川猿之助・四代目の軌跡!溢れる才能と一門離脱

市川猿之助が四代目を襲名したのは2012年6月のことでした。四代目市川猿之助の本名は、喜熨斗孝彦(きのしたかひこ)。1975年11月26日、澤瀉屋の歌舞伎役者・四代目市川段四郎の長男として生まれました。喜熨斗孝彦は、幼い頃から叔父である三代目市川猿之助(当代猿翁)に強い憧れを抱き、三代目が「義経千本桜」で宙乗りする姿を見て、「ボクも、ああなる」と話していたそうです。

4歳になった喜熨斗孝彦は1980年、7月歌舞伎座「義経千本桜」の安徳帝で初お目見得し、1983年に二代目市川亀治郎を襲名。立役、女形、舞踊の理解力と表現力は突出しており、特に亀次郎時代には女形を務めることが多く、花形役者の1人として将来を嘱望されてきました。しかし2003年に猿之助一門を離脱した後は、2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」の武田信玄役でドラマ初出演を果たしたあたりからドラマや映画へと活動の幅を広げ、しばらくは歌舞伎座の舞台から遠ざかっていました。

市川猿之助が四代目を継いだワケ!澤瀉屋の歌舞伎家系図の格は?

市川猿之助の初代は、成田屋を九代目市川團十郎に破門にされた後に、澤瀉屋を掲げます。歌舞伎家系図を見ると、成田屋などに比べて歴史は浅いですが、「市川猿之助」「市川段四郎」の宗家名跡を二枚看板として力をつけてきた澤瀉屋。叔父である三代目から市川猿之助の名跡を継いだ四代目は、本来なら父・四代目市川段四郎の名跡を受け継ぐ存在です。

しかし、三代目市川猿之助が女優・浜木綿子と離婚したことで、長男・香川照之が幼い頃から澤瀉屋とは無縁の生活を送っていたため、名実ともに四代目の名に相応しい二代目市川亀治郎が、三代目亡きあとの”市川猿之助”を受け継ぐことになりました。

一度は澤瀉屋を出たことから、その頃”歌舞伎界の異端児”と呼ばれていた四代目市川猿之助。「これまでにやってきたことを認めていただいた上で名が譲られたと思っています」と語り、”市川猿之助”の精神を引き継ぐと共に、歌舞伎界にさらなる革新をもたらす意気込みを見せていました。

市川猿之助の学歴、市川亀治郎時代の当たり役は?結婚できないのは性格に難あり?!

市川猿之助の出身大学!市川亀治郎時代の「四ノ切」が四代目襲名のきっかけに!

市川猿之助は、慶應義塾大学文学部国文学学科を卒業しています。澤瀉屋宗家に生まれた子息ですから、おそらく幼少から慶應畑を歩んできたのではないでしょうか。市川猿之助といえば、市川亀治郎時代から「スーパー歌舞伎」のイメージが強く、また、女形としての存在感は突出していました。しかし、市川猿之助の脳裏に始終あったのは三代目に憧れを抱くきっけとなった「義経千本桜」の通称「四ノ切」、源九郎狐の宙乗りです。

そして、市川猿之助自身が「四ノ切」を初演したのは2010年8月の国立劇場「亀治郎の会」でのことでした。三代目市川猿之助は、これを見て、四代目の名跡を譲る決意をしたそうです。以来、「四ノ切」は、「亀次郎の会」で200回以上も上演され、市川亀治郎時代最大の当たり役といわれるまでになりました。市川猿之助にとって、「生涯千回以上は演じたい」と語るほど思い入れの強い役なのです、

市川猿之助は結婚に向かない?トラウマ?ゲイ?それとも性格に難あり?!

市川猿之助は40歳になった今も結婚していません。世襲を重んじる歌舞伎界で、結婚せずに子供をもうけないなど異例中の異例です。しかし、市川猿之助は「結婚をして良い家庭をもつと、そこが逃げ道になってしまう」と、結婚願望自体を否定しています。当然、熱愛の噂もありません。過去6年間にわたってストーカー被害に遭った経験がトラウマになって、結婚できないのではないかとも言われていますが、一部では、女形だったことや、福山雅治ファンを公言したことで”ゲイ説”も囁かれていた市川猿之助。

しかし、”性格に難あり説”が最も有力かもしれません。市川猿之助は芸に関しては恐ろしいくらいにストイック。書店が開けそうなほどの本を所蔵して読書に勤しむ努力家なのだそうです。こだわりが強いゆえに物をハッキリ言い過ぎる傾向もありますし、金銭感覚も一般的ではありません。変わり者の三谷幸喜が「あいつは変わっている」と言うくらいですから、市川猿之助が結婚という枠組みにはまる人物とは考えにくいのです。

市川猿之助「スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』」への思い入れ!

市川猿之助が演出を手掛け、3役を務める「スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』」が、4月2日に福岡・博多座公演の初日を迎えました。歌舞伎界の異端児と呼ばれてきた四代目市川猿之助は、このスーパー歌舞伎を「ディズニーランドのような、夢の国のような芝居」「古典歌舞伎の現代語訳」と語っています。もともと大衆文化だった歌舞伎を、現代の若者に身近なものとして説明するため、国民的人気漫画「ワンピース」を演目に取り入れる発想は斬新そのもの。

市川猿之助自身が「原作1巻の10ページしか読んでいない」と発言したこともあって、原作ファンから「原作殺し!」と大バッシングを受けつつも、歌舞伎通からは「何でも自由に取り入れるのが歌舞伎」「若い世代が歌舞伎を知るいい機会」と好評です。四代目襲名にあたって「歌舞伎の発展」を約束した市川猿之助にとって、三代目が1986年から始めたスーパー歌舞伎にさらなる勢い風を吹かせる意味でも「ワンピース」に対する思い入れは並大抵ではありません。

そして、三代目に憧れを抱くきっかけになり、自らの当たり役となった「四ノ切」の”宙乗り”に対する思いも、市川猿之助の心の中では常に重要な位置を占めているのだろうと思われます。4月2日の博多座公演初日で、市川猿之助は、宙乗り通算800回を達成しました。三代目の5000回という記録に到達するにはまだまだ時間がかかりますが、「芸は超えるものではなく、厚みを増すもの」と語っている四代目市川猿之助。衝撃的でめくるめく展開を魅せるスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」は決して異端ではなく、何百年にもわたって築き上げられてきた歌舞伎の最新進化形なのかもしれません。

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