井伊直虎の家系図を徹底解説!NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の人物相関

井伊直虎の家系図を徹底解説!NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の人物相関出典:https://thepage.jp

井伊直虎の家系図を徹底解説!NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の人物相関

井伊直虎を生んだ井伊家の家系図を徹底解説!

井伊直虎(いいなおとら)は、群雄割拠の戦国時代に、女性で城主となったとされる稀有な人物です。2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公に決まってから、にわかに注目を集めています。

井伊直虎の家系である井伊家は、現在の静岡県西部にあたる遠江井伊谷を治めていた一族で、貴族の血の流れる藤原利世の子孫であると伝わる名門でした。NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で描かれる時代の家系図は、井伊直虎の曽祖父である井伊直平から始まり、今川家に嫁いだ娘の佐名や、息子の井伊直宗・井伊直満と続きます。

井伊直宗の子である井伊直盛と妻・千賀の間に生まれたのが、後に井伊直虎となるおとわ(歴史上の幼名は不明、おとわはドラマでの名前)です。一方、井伊直満の子である井伊直親が、妻しのとの間にもうけた男子が虎松(幼名)。後に、徳川四天王の1人となる井伊直政です。

井伊直虎が主役!NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の人物相関を公開!

井伊直虎は、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主役です。井伊谷当主・井伊直盛は、妻・千賀との間に男子には恵まれず、一人娘のおとわ(後の井伊直虎)がいました。一方、直盛の叔父である井伊直満の息子が井伊直親(幼名・亀之丞)。

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おとわと直親、そして、井伊家家臣の1人である小野政直の息子・小野政次(幼名・鶴丸)の3人は幼馴染として育ちます。直盛の叔母にあたる佐名は、今川義元率いる今川家の家臣に嫁いでおり、娘を生みました。この娘が、後に徳川家康の正室となる築山殿で、幼名を瀬名といいます。

同じ頃には、井伊直虎の叔父にあたる新野左馬助も今川家に仕えていました。実質的に井伊家を支配していた今川義元の存在は、厳しい戦国の世において、いつしか井伊家にとって大きな脅威となっていきます。そんな井伊家を支えるのが、後におとわが出家することにもなる井伊家の菩提寺・龍潭寺の住職の南渓和尚や、僧の傑山や昊天たちです。井伊家の有事の際には知恵を出し合い、井伊直虎とともに戦国時代を生き抜いていきます。

井伊直虎と井伊直親の運命!おんな城主になったワケとは?

井伊直虎と婚約者・井伊直親の運命!歴史に翻弄された若き2人

井伊直虎は、いかにも強そうな戦国武将の名前。しかし実は、女性であったと伝えらえています。婚約者もおり、それが、井伊直満の子の井伊直親です。しかし、今川義元への謀反を疑われた直満が死に追いやられた時から、運命は狂い始めます。自身の命も危険になった直親は、井伊谷を脱出。現在の長野県、当時の信濃国に逃れます。

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このことは、直親の命を守るために絶対の秘密とされ、婚約者であった井伊直虎に対しても、生死も所在も不詳のままとされました。その後、潜伏中の信濃国で、直親が、井伊家家臣・奥山朝利の娘しのと結ばれて生まれるのが、後の井伊直政です。

一方、婚約者の直親と生き別れる形となった井伊直虎は、次郎法師と名乗り、龍潭寺で出家生活を送ることに。最初は婚約者であった井伊直虎と直親ですが、歴史の波に翻弄され、それぞれが激動の生涯を送ることとなっていきます。

井伊直虎はなぜおんな城主になったのか?そのワケとは?

井伊直虎が生きた時代、城主は、いくつかの例外はあったものの、大半は男性でした。井伊家の当主は、井伊直平の息子の井伊直宗でしたが、戦死。もう1人の息子である井伊直満は、今川義元に謀反の疑いを掛けられて死に、その息子の井伊直親も領地から逃れざるをえなくなります。そのため、井伊家を継いだのは、直宗の息子の井伊直盛です。

しかし、その後、桶狭間の戦いにおいて、井伊直盛が討ち死にしたことに加え、逃亡先から舞い戻った井伊直親も今川氏真に殺されてしまいます。これにより、井伊家には男子の後継者が1人もいなくなってしまいました。そこで、一度は出家した次郎法師が還俗し、名を井伊直虎と改め、おんな城主となったのです。

井伊直虎は男だった?今なお謎多きおんな城主!

井伊直虎が主役の、2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に抜擢されたのは、女優の柴咲コウ。2016年から、さまざまな準備に奔走していた様子ですが、放送開始を前に、「きっと花が咲くと信じている」とのコメントを発表しました。初回放送は、関東で16.9%、関西では17.3%と、好スタートを切った「おんな城主 直虎」。

戦国の世にあって、女性が城主となったという設定が目を引きますが、ここにきて新史料が見つかり、「実は男だったのでは?」と騒がれています。今回史料が見つかったのは、京都市にある井伊美術館に所蔵されている「雑秘説写記(ざつひせつしゃき)」と呼ばれるものです。

今川家の家臣であった新野親矩の娘の話を井伊家の家老が書き記したものを、子孫が約100年後にまとめたものだといわれています。この史料に記載されているのが、「関口越後守の息子を井伊次郎と名付けて井伊谷の所領を与えた」と解釈できる内容。しかし、聞き書きのスタイルである上、編集が100年後ということで、内容の信憑性は薄い見込みです。

とはいっても、もともと井伊直虎についての史料はとても少なく、幼名も明らかではないなど、ドラマ化するにあたっては推測の部分も多いようなので、今後も新たな事実が明らかになる可能性はゼロではありません。いずれにしても400年以上前のこと。2017年は、謎が多いことで生み出される歴史ロマンを楽しみましょう。

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