飯塚翔太が怪我乗り越えリオオリンピックへ!イメージトレーニングが凄かった

飯塚翔太が怪我乗り越えリオオリンピックへ!イメージトレーニングが凄かった

飯塚翔太が怪我を乗り越えリオオリンピックへ!和製ボルトの2度目の挑戦は雪辱戦!

飯塚翔太にとって、リオオリンピックの陸上男子200mの舞台は、2度目の挑戦でした。170cm台が多い日本の陸上男子短距離選手の中で、飯塚翔太の身長は185cm。身長195cmのウサイン・ボルトを思わせるダイナミックな走りから、「和製ボルト」と称されています。

飯塚翔太の夢は、ウサイン・ボルトと、オリンピックの舞台で対決すること。しかし、2012年のロンドンオリンピック200mでは、20秒81という平凡なタイムで、決勝進出はなりませんでした。「日本記録の更新」、「19秒台」を掲げ、リオオリンピックへと歩き出した矢先の、2015年日本選手権。

レース中に右足の肉離れを起こしてしまった飯塚翔太は、最下位でゴールする屈辱を味わいます。肉離れが癖付いていたことから、それから約1年間は、尻の筋肉を鍛えてフォームの安定化を図りました。2016年2月からは米国でトレーニングを積み、栄養改善も行っています。

飯塚翔太の秘策はイメージトレーニング!リアルな想像で勝利を引き寄せた!?

飯塚翔太は、陸上男子200mだけではなく、400mリレーのリオオリンピック出場権も獲得しました。飯塚翔太は、ロンドンオリンピックの400mリレーで、アンカーを務めていましたが、着順は5位。米国の失格で繰り上げ4位となったものの、メダルに届かなかった無念は、リオオリンピックで晴らさなければなりません。フィジカルトレーニングもさることながら、飯塚翔太には、高校時代から続けて来た秘策がありました。一発勝負の要素が強く、メンタルに大きく左右される短距離走では、”イメージ力”が必要です。

大会中の宿泊先で、ユニフォーム・スパイクを身に着け、ガッツポーズ!これは、勝利した瞬間をリアルに体感し、それに近づくためのイメージトレーニング方法です。また、リオオリンピックの舞台を想像する時は、決勝の場で、ウサイン・ボルトと競い合い、最後にガッチリ握手を交わすところまでイメージします。飯塚翔太によると、このイメージトレーニングによって、実際の記録にも着実に変化が見られるそうです。

飯塚翔太の熱愛彼女や弟の噂!世界ジュニア陸上優勝は日本男子初!

飯塚翔太の熱愛彼女は美人陸上選手?弟は藤枝明誠高校陸上部の精鋭!

飯塚翔太の熱愛彼女については、青山学院大学陸上部に所属していた鳥原早貴という陸上選手の名前が挙がっています。鳥原早貴もまた、日本選手権の上位選手だそうですから、中央大学出身の飯塚翔太とのロマンスがあっても不思議ではありません。また、大学陸上のマドンナ的存在だったともいわれており、長身イケメンの飯塚翔太とのツーショットを見てみたい気もします。

ただし、これらは2012年以前にネットに書き込まれた情報ですから、どちらにせよ過ぎたる話かもしれません。飯塚翔太は、静岡県藤枝市にある陸上の名門校・藤枝明誠高校出身ですが、現在、弟が同校に在籍しているそうです。弟の名前は、飯塚拓巳。現在17歳です。

飯塚翔太と同じく陸上部で、100m、200mの選手として活躍しており、2016年のインターハイ東海地区の表彰台にも上がっています。実は、4人兄弟の飯塚翔太。弟の飯塚拓巳とは、同じ道を目指す兄弟として、メディアに登場することもあります。

飯塚翔太の世界ジュニア陸上で日本男子初の金メダル!大学時代の成長がスゴイ!

飯塚翔太は、藤枝明誠高校時代から肉離れと戦いながらも、全国大会の100m、200mの常勝選手として名を上げていきました。中央大学入学直後の2010年5月には、関東学生選手権400mリレーのアンカーとして、日本学生記録樹立、優勝に貢献しました。

日本学生選手権の200mを大会新記録で優勝すると、同年の7月に開催された世界ジュニア陸上選手権の200mでも、20秒67の記録で優勝します。この大会で、日本人男子が金メダルを獲得したのは、飯塚翔太が初めて。しかも、日本人が勝てないといわれてきた短距離での優勝とは、鮮やか過ぎる世界戦デビューでした。それをきっかけに、100mで10秒22、200mで20秒21(当時の日本歴代3位)をマークするなど、大学4年間での成長には、目を見張るものがあります。

ただ、さらに高みを目指すために始めた負荷トレーニングが、飯塚翔太のフォームバランスを乱してしまうことになってしまいます。よりによって、怪我をしてしまったのがリオオリンピックまで1年と迫った頃でしたから、精神的なダメージも大きかったでしょう。

飯塚翔太のメンタルがスゴイ!リオオリンピック200m落とすも400mリレーで見事な銀!

飯塚翔太の強みは、日本人には珍しい堂々たる体格と平静なメンタルです。いつもマイペースに普段通りに食事を摂り、普段通りに振る舞い、常に冷静に自己分析に務める性格。弟・飯塚拓巳が、陸上選手として、兄を最も尊敬する理由でもあります。だからこそ、オリンピック1年前の怪我に対しても、その過程にあった大会の結果に一喜一憂せずに仕上げることができたのです。

そして、あの飯塚翔太のイメージトレーニング。2010年の世界ジュニア選手権で、米国の選手との戦いに緊張することがなかったのも、前日からウイニングランや優勝インタビューを受けているシーンを、繰り返し刷り込んだ結果でした。迎えたリオオリンピックの200mでは、準決勝にすら進むことができませんでした。

しかし、その後に控えていた400mリレーには、何の迷いもなかったといいます。桐生祥秀、山縣亮太、ケンブリッジ飛鳥という、信頼のおける最高の仲間と磨き上げた、”スピードダウンしないバトンパス”に、勝利のイメージを描いていた飯塚翔太。

入場時に見られた、4人揃って刀を抜く”侍ポーズ”も、彼の発案だったそうで、いかに適度なリラックスができていたかが分かります。見事に強豪国・米国を撃破し、日本初の短距離競技”銀”を獲得した、日本代表短距離チーム。その立役者の1人である、第2走者の飯塚翔太には、まだ歴史を塗り替えてくれそうな予感がします。

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