池谷直樹と樹兄・池谷幸雄の確執や性悪説の真相は?

池谷直樹と兄・池谷幸雄の確執!性格や目つきが悪すぎる!?

池谷直樹が苦しめられた兄・池谷幸雄の横暴!確執は思ったより根深かった!

池谷直樹は、肉体派タレント。兄は、日本男子体操界のスーパースターで、オリンピック銀メダリストの池谷幸雄です。表面上は仲が良い兄弟に見えた池谷兄弟に、30年来の根深い確執があったことが分かったのは、2014年5月放送の「私の何がイケないの?」でした。

池谷直樹は、幼い頃から兄と同様に体操を始めており、高校、大学と同じ道を歩みました。常に全国トップクラスだった兄は、「お前は才能がない」と弟を罵るばかりでなく、傲慢さから後輩をシゴくことも多く、池谷直樹は体操部内でも厳しい扱いを受けてきたそうです。さらにオリンピックのスターとなってからは、「体操で結果が出せないなら、これくらいしか役に立たないだろう!」と、徹夜でサインの代筆を強いるなど、横暴な態度はますます酷くなるばかりでした。

そんな兄に、「殺してやろうか」と何度も思ったという池谷直樹。これに対して池谷幸雄も「俺が殺してやる」と応戦したと言いますから、これはかなり深刻な状況です。

池谷直樹の性格や目つきに兄弟不仲の原因?母親が語る本当の性格とは?

池谷直樹に対する兄・池谷幸雄の態度は、確かに横暴極まるものでした。その一方で、池谷直樹にも、性悪説や目つきの悪さが囁かれているのも事実です。池谷直樹は、1995年から出演している「スポーツマンNO.1決定戦」で、他の選手に対する態度の悪さが指摘されていました。

他の選手が自分以外の選手に声援を送る中で、池谷直樹だけは素知らぬ顔。ストレッチに専念し、たまに嫌な目つきでニヤニヤしていると言われました。しかし、池谷兄弟の母親によると、実際の池谷直樹は、言いたいことも飲み込んでしまう大人しい性格なのだそう。

「自分を主張しないから、兄とうまくやれていた」と語っています。2014年5月放送の「私の何がイケないの?」では、その母親の言葉を聞いた池谷幸雄が、「弟の気持ちが少し分かった」と反省し、池谷直樹と握手を交わすシーンがありました。長らくくすぶっていた確執は、おそらく以前よりは軟化したものと思われます。

池谷直樹の結婚した嫁や子供は?身長体重、プロフィール!

池谷直樹の結婚した嫁・明子も元体操選手!3人の子供たちの名前に込められた期待とは

池谷直樹は2001年、28歳の時に、現在の妻・明子と結婚しています。妻も元体操選手であり、その弟・北村隆二は、名古屋グランパスなどで活躍した元サッカー選手。池谷直樹と同じく、アスリートの血筋である妻との間に生まれた子供には、将来の期待が膨らむというものです。

そんな池谷直樹夫妻には、長男・匠翔(たくと)、次男・美久翔(みくと)、三男・優久翔(ゆくと)と、3人の男児がいます。池谷直樹といえば、「スポーツマンNO.1決定戦」の跳び箱競技「モンスターボックス」で、番組公認世界記録である23段を跳んだ男。3人の息子たちの名前に、それぞれ”翔”が用いられていることには、深い思い入れを感じさせられます。この中から、池谷直樹が成し遂げてないモンスターボックス24段を跳ぶ子供が現れれば、父親冥利に尽きるというものでしょう。

池谷直樹の身長体重!”池谷幸雄の弟”からモンスターボックスのヒーローへ

池谷直樹は、身長168cm、体重58kg。兄の池谷幸雄より、やや細長い印象を受けます。1973年12月1日、大阪府大阪市に生まれた池谷直樹は、3歳上の兄の背中を追うように、大阪の私立清風高等学校、日本体育大学と、体操の名門校を渡り歩きました。中学で全国制覇を成し遂げた兄の池谷幸雄は、18歳で出場した1988年のソウルオリンピックで銅メダル2つ、4年後のバルセロナオリンピックでは、団体銅メダルの他、個人種目別ゆかで銀メダルを獲得しています。

一方、弟の池谷直樹はというと、大学時代の全日本選手権で総合9位、学生選手権でも3位に終わり、世界選手権に出場することも叶いませんでした。「スポーツマンNO.1決定戦」などに出場するようになってからも、国民的スターの弟という肩書が先につけられてしまった池谷直樹。

しかし、1995年当時のモンスターボックスにおける世界記録を次々と更新していったことで、”池谷幸雄の弟”ではなく、超人的なヒーローとして子供たちの憧れの的に。以来、「SASUKE」「最強スポーツ男子頂上決戦」と、身体能力を競う番組の常連タレントとなりました。

池谷直樹の獲得賞金に驚き!モンスターボックスに入れ込んだ理由とは?

池谷直樹が、2017年3月23日放送の「じっくり聞いタロウ」に出演し、「スポーツマンNO.1決定戦」における「モンスターボックス」で稼いだ賞金額について語りました。池谷直樹が番組に初めて出演したのは、日本体育大学在学中の1995年でした。その頃の池谷直樹は、すでに番組では敵なしだったケイン・コスギにモンスターボックスの手ほどきをしており、それをきっかけに番組出演が決定。

ケイン・コスギのモンスターボックス22段という記録を破った悪役的位置づけで、池谷直樹が名を馳せるようになりました。性格が悪い、目つきが悪いと叩かれながらも、1日最高1200万円、賞金総額3000万円とは、体操選手よりもボロイ商売です。「体操選手時代よりも熱心にトレーニングを行った」という、やや批判の声も聞こえてきそうな言葉も残しています。しかし、長らく”池谷幸雄の弟”と呼ばれ続ける暗黒時代を過ごしてきた池谷直樹にとって、モンスターボックスは、初めて自分が輝くことができた新しいステージだったに違いありません。

もちろん賞金額も魅力的ですが、兄が活躍する体操よりも、熱が入ったワケは何となく分かる気がします。そんな池谷直樹も、最近では、スポーツ系の番組で見かけることがめっきり減ってしまいました。しかし、資格を取って、スマートフォンやデジカメのデコレーション専門店を経営したり、アスリート集団「サムライ・ロック・オーケストラ」を率いて「マッスルミュージカル」を復活させたりと、充実した人生を送っているようです。

家族のために働く池谷直樹は、現在43歳と、肉体的にはピークを過ぎた年齢ですが、その跡を継いで、息子がモンスターボックスに参戦する日がくるかもしれません。

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