今川義元と徳川家康の関係!再評価される武将の真実とは?

今川義元と徳川家康の関係!再評価される武将の真実とは?

今川義元と徳川家康の関係! 桶狭間の戦いまでは今川家の人質だった

今川義元は、東海地方に一大勢力を築いた戦国大名ですが、徳川家康とは、主君と人質の関係にありました。今川義元は、1547年に、弱体化していた松平家に庇護を与える代わりに、松平広忠の6歳の嫡男である竹千代(後の徳川家康)を人質として要求します。

家臣の裏切りに遭った今川義元は、一旦は竹千代を織田側へ奪われますが、2年かけて奪還に成功。1555年に元服した竹千代は、今川義元の”元”を一字賜って松平元信と名乗るようになり、同時に、今川義元の姪である瀬名を正室に迎え、今川義元と縁戚関係となりました。松平元信は1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にしたことがきっかけで独立し、名を徳川家康と改名。後に江戸幕府を開く絶大な力を持つ将軍へと成長します。

今川義元が再評価される武将の真実とは?政治面や外交面でも優れた手腕を発揮していた

今川義元は、桶狭間の戦いで、織田信長軍勢にあっけなく討ち敗れたことから、愚将のレッテルを貼られている一方で、「海道一の弓取り」と異名を持ち、内政面や外交面での才能もあったと再評価されてきています。今川義元は、1536年に家督争いに勝利し、今川家当主の座を射止めました。

その後、今川義元に軍学を教えていた太原雪斎を軍司・政治顧問として傍に置き、軍学を実戦に応用しつつ、勢力を拡大。武田、北条、織田などの強敵が隣接している地で、互角に渡り合い勢力を伸ばせたのは、今川義元が優秀な戦国武将であった証ともいえそうです。外交面においても、今川義元の才覚には、目を見張るものがあります。太原雪斎の働きかけにより、1554年に、武田家や北条家と和平協定である甲相駿三国同盟を結んだ今川義元。西側の織田家を攻めるのに有利な条件を整えたその手腕は、高く評価されています。

また、政治面においても同様です。今川義元は、今川家の分国法「今川仮名目録」に追加条項を加え、今川領を幕府から独立させることに成功。最期は桶狭間の戦いで急襲を受け戦死しますが、臨機応変に戦国時代を生き、今川家の繁栄に尽くした今川義元が遺した功績は決して小さくはありません。

今川義元の首や子孫のゆくえは?井伊直虎との関係を解説!

今川義元の首や子孫のゆくえは?今川家を加護した戦国大名とは?

今川義元は、1560年の桶狭間の戦いにおいて、織田信長の家臣である毛利義勝に首を取られますが、その首は愛知県の東向寺に埋葬されています。これは、今川義元の家臣であった岡部元信が、鳴海城で奮闘を続けて織田信長と交渉をし、鳴海城を明け渡すという交換条件で、今川義元の首を取り戻したからです。今川義元亡き後に、今川家を継いだのは、息子の今川氏真でした。

しかし、氏真には、周囲の戦国大名たちと渡り合えるような力量もなく、次々と領地を奪われ、味方の中でも謀反が相次ぐ始末。武田家や徳川家康にも攻め込まれ、妻の実家である北上家に逃げ込みます。結局、桶狭間の戦い以降、今川家の人質から強敵へと化していた徳川家康の加護を受けた今川氏真は、徳川家康に建ててもらった屋敷で晩年を過ごしたとか。

今川氏真以降の今川義元の血を受け継ぐ子孫たちも江戸幕府の高家旗本となりますが、1887年(明治20年)に、今川家最後の当主である今川範叙が亡くなったことにより、今川家の直系は途絶えたといわれています。

今川義元と井伊直虎の関係を解説!井伊直虎がおんな城主になった理由とは?

今川義元は、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎がおんな城主となり、生涯独身を貫いたことに大きく関係があります。井伊直虎は、いとこの井伊直親と将来結婚する予定でした。しかし、直親の父が、井伊家家臣である小野道高の策略により、主君であった今川義元に謀反の罪で命を絶たれると、直親も逃亡生活を強いられることとなります。

そのため、結婚の約束も流れ、井伊直虎は出家することに。その後、今川義元と井伊直虎の父・井伊直盛は桶狭間の戦いで戦死。今川家は今川氏真が、井伊家は直親が跡を継ぎますが、直親も、父親と同じように謀反の疑いをかけられ、今川氏真の家臣によって誅殺されてしまいます。その結果、井伊家で家督を継ぐ者は井伊直虎のみとなったことから、仏門から還俗し、おんな城主となりました。

今川義元を演じるのは落語家の春風亭昇太!NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で見せる怪演に注目!

今川義元も登場するNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が、1月8日からスタートしました。今川義元役を演じるのは、長寿番組「笑点」で司会を務めている落語家の春風亭昇太。「おんな城主 直虎」は、女性でありながら、井伊家の当主となった井伊直虎の波乱万丈な生き様を描いたドラマで、主人公の井伊直虎は柴咲コウが演じています。

その井伊家を従えていたのが今川家であり、その当主が、春風亭昇太演じる今川義元です。今川義元が支配していた駿河は、今の静岡県にあたります。春風亭昇太の出身地は、その静岡県。郷土愛の強い春風亭昇太は、一大勢力を築き上げた戦国大名でありながらも桶狭間の戦いで敗れ、織田信長の引き立て役の印象が強い今川義元のイメージを変えたい、と前々から思っていたそうです。

そのことが大河ドラマ制作統括の岡本幸江に伝わり、オファーが実現したといいます。噺家が一言も喋らないのは恐いのではないかと狙いから、眼鏡を外して眉毛を消した白塗り姿で、言葉を発せず表情のみで回りを動かす今川義元像が誕生。初回放映で、早くも怪演を見せている春風亭昇太には、「笑点」で見せる落語家姿からは想像がつかないほどの凄みを感じます。

井伊家を従え、井伊直虎の人生を描くには欠かせない人物である今川義元。最近は再評価されているとはいわれながらも、いまだ愚将の印象も根強い今川義元のイメージを、郷土愛に燃える春風亭昇太が、「おんな城主 直虎」で、今度こそ払拭することができるでしょうか。「静岡県の人に怒られないように演じたい」という春風亭昇太の演技にも注目しつつ、新たな今川義元像を楽しみましょう。

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