忌野清志郎の結婚相手・栗原景子、子供・栗原竜平の現在は?

忌野清志郎の結婚相手・栗原景子、子供・栗原竜平の現在は?

忌野清志郎の結婚相手・栗原景子、子供・栗原竜平の現在は?

忌野清志郎は、恩師の一言で30代半ばまで独身だった!

忌野清志郎は、2009年、癌性リンパ管症で亡くなりました。1951年生まれですから、まだ58歳という若さでした。しかし忌野清志郎は、死を持って、その生き様を世に示したといえるでしょう。忌野清志郎は、生涯の恩師である美術教師に、「本当にやりたいことがあるなら、結婚はするな」と言われ、30代後半まで独身を通していました。

しかし、長年、忌野清志郎のファンだった景子さんという女性と30代中頃に結婚。忌野清志郎と結婚相手の栗原景子さんとの間に、1男1女をもうけました。長男の栗原竜平は、すでに大学を出て成人しています。実は、息子の栗原竜平は「Baby ♯1」で、娘の栗原百代は「プリプリ・ベイビー」でコーラス参加していたのだとか。忌野清志郎が結婚していたことや子供がいたことが一般に知られたのも、彼が亡くなってから。忌野清志郎は、常に、マスコミやメジャーの音楽界と距離を置き、独自の活動を続けていたのです。

忌野清志郎のRCサクセションは、日本ロック界に孤高の金字塔

忌野清志郎のRCサクセションは、日本のロックシーンにおいて、メジャーに反旗を翻した孤高の存在でした。1966年のビートルズの来日以後、ロックやフォークなど、さまざまなジャンルの洋楽が一挙に流れ込み、日本の若者の間で、空前のバンブームが起こりました。まだ高校生だった忌野清志郎も、さっそく友人とフォークソングのバンドを結成し、音楽にのめり込みます。

最初、ビートルズに憧れていた忌野清志郎は、やがてブルースやR&Bに傾倒するようになり、その後の音楽性が形成されていきました。そして1970年、忌野清志郎のRCサクセションが、フォークバンドとしてデビューします。1972年には「僕の好きな先生」がヒットしましたが、その後は泣かず飛ばす。事務所のトラブルなどもあり、長い低迷期に入ります。しかしバンド活動は旺盛で、メンバーの脱退加入を繰り返しながらも、精力的にライブ活動を行ってきた忌野清志郎。

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70年代の終わりには、デビッドボウイやパンクロックの影響を受け、忌野清志郎独特のビジュアルが生まれます。そして1980年、「雨上がりの夜空に」に続き、珠玉のバラードあ「トランジスタ・ラジオ」が大ヒットしたRCサクセションの人気は不動のものに。さらに1982年には、坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表し、一般にも知られるようになります。

しかし、幾度かのテレビ出演で物議を醸してからは、一切テレビに出なくなり、ライブ中心の活動に逆戻り。戦争や原発に反対するメッセージ性の強い歌で、忌野清志郎は、ファンにとってカリスマ的存在となっていきます。

忌野清志郎と三浦友和は高校の同級生だった!熱い名言集!

忌野清志郎は、高校時代とても物静かな少年で、同級生は三浦友和だった

忌野清志郎は、高校の頃、決して不良ではありませんでしたが、授業をさぼりがちなもの静かな少年でした。ただし、絵を描くことが大好きだった忌野清志郎。彼を支え、生涯の師となったが美術の先生でした。そして音楽に出会い、ぶれずに音楽を続けてこられたのも、また結婚ができたのも、この恩師のさまざまなアドバイスがあってこそだったそうです。

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初めてのヒット曲「僕の好きな先生」は、この美術の先生に捧げられたもの。忌野清志郎の曲に一貫する、愛情や優しさは、高校時代からすでに育まれていたということでしょう。そして、高校時代の同級生であり、生涯の友人が、俳優の三浦友和です。高校の頃は一緒にバンドを組んでいたこともあるそうで、半世紀の時を経て、片や孤高のカリスマミュージシャンに。片や、日本を代表する俳優となったのです。

忌野清志郎、魂の言葉を聞け!

忌野清志郎は歌だけでなく、多くの名言を残しています。そのいくつかをご紹介しましょう。「こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに」。まさに、忌野清志郎の歌の神髄です。今の社会、政治についてどう思いますと聞かれると、「僕がちょっと油断していたから、悪くなりました。どうもすみません」と答え、ミュージシャンとしての使命感を顕わにし、「いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ」「俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争がなくなること、それが俺の夢です!」とメッセージし続けた忌野清志郎は、本物のロッカーでした。

忌野清志郎で甦った名曲「上を向いて歩こう」が、映画のエンディング曲に!

忌野清志郎の歌に託したメッセージは、ことあるごとによみがえり、人々の心を揺さぶります。つい先日も、忌野清志郎がカバーした坂本九の名曲「上を向いて歩こう」が、阿部サダヲ主演の映画「殿、利息でござる!」の主題歌に決定したことが伝えられました。この映画は、江戸中期の仙台藩吉岡宿で、年貢の取り立てや労役で困窮する宿場町を守るため、決死の覚悟で立ち上がり、ついに地域を立て直した庶民たちの実話を描いた作品。

「殿、利息でござる!」の池田史嗣プロデューサーは、今回の楽曲起用について、「映画のラストを飾る歌を、最も敬愛するアーティストが歌った、一番大好きな日本語楽曲にできたら」という思いだったと説明しています。作曲した中村八大や忌野清志郎の事務所に交渉したところ、彼らの生き方と共通する反権力や平和、郷土愛といった映画のテーマに、両事務所が快く応じてくれたそうです。日本のニューミュージックを担った80年代以後の多くのアーティストは、そのほとんどがメジャーとなり、よくも悪しくも、ビジネスとして、音楽にかかわらずを得ませんでした。

忌野清志郎とRCサクセションは、このような現代の音楽シーンの中で、独自の音楽を貫き、一方で、コアなファンたちもこれに応えて忌野清志郎とRCサクセションを支え続けました。彼らの音楽スタイルは、ザ・ハイロウズや、エレファントカシマシ、ウルフルズなど、数多くのバンドに多大な影響を与えています。最後に、忌野清志郎珠玉の名言を1つ。「愛しあってるかい!」。

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