石原慎太郎 病気、病状、病名とは?息子たちの職業、現在!三島由紀夫との関係は?作品、映画の評価は?

石原慎太郎 病気、病状、病名とは?息子たちの職業、現在!三島由紀夫との関係は?作品、映画の評価は?

石原慎太郎 病気、病状、病名とは?息子たちの職業、現在!

石原慎太郎 病気・重病説から奇跡の回復

石原慎太郎。誰もが知っている超有名人で、良くも悪しくも、戦後と昭和を代表する人物と言ってもよいでしょう。石原慎太郎は1932年生まれで、すでに82歳になります。

2014年に政界引退の後、病気・重病説が流れます。病名は脳梗塞。今年6月にも、講演先で不調を訴え、救急搬送される騒ぎがありました。しかし、石原慎太郎の病状はすでに改善し、今ではジョギングをするまで回復しているとか。石原慎太郎は、恐るべきパワーの持主です。

石原慎太郎 4人の息子たちの職業と、慎太郎の足跡

石原慎太郎の輝かしい経歴は後で紹介するとして、石原慎太郎には、戦後世代にめずらしく、妻である典子との間に4人の息子たちがいます。

石原慎太郎の息子たちのそれぞれ職業は、長男伸晃が衆議院議員で、今や自民党の重鎮。次男良純は、テレビタレントで気象予報士。三男の宏高も自民党の衆議院議員です。そして四男は、都の予算で彼の画が買われたことが問題になった画家の延啓。それぞれの職業でそれなりに活動はしているものの、父親である慎太郎の強烈な存在感には、まだ誰も及びません。

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石原慎太郎は1956年、一ツ橋大学在学中に、「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞します。その小説は、「太陽族」と呼ばれる、湘南の海に徘徊する無軌道な若者たちの生態を赤裸に描いたもの。「もはや戦後ではない」といわれた時代背景と、戦前の日本には存在しなかった若者たちのライフスタイルを描いた点で、石原慎太郎は一作家の域を超え、新時代のオピニオンリーダーとして脚光を浴びます。

つまり、後年の超保守的なスタンスとは真逆の、反抗する若者の代表格だったのです。石原慎太郎は1968年、作家から一転、現実社会の政治家をめざし、36歳で参議院議員に初当選。以後の人生を政治の世界で過ごします。

しかし、1975年には都知事選挙に出馬し敗れ、また1989年には自民党総裁選で敗れるなど、常にキーパーソンでありながら、中央の政治家としては、思いのほか不遇であったのも事実。そして勤続25周年を機に衆議院議員を辞め、1999年、67歳で都知事戦に出馬して当選。

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様々な批判やトラブルはあったものの以後4選を果たし、都政に尽力します。そして2012年には、なんと80歳で衆議院議員に返り咲き、維新の党結党の立役者となります。けれども、昨年の2014年、衆議院議員選挙落選をもって、政界を引退したのです。

こうしてみると石原慎太郎は、類まれな戦後政治家として位置付けることができますが、決して職業的な政治家であったとは言えず、最後まで国を憂うる作家であり批評家であり、ロマンチストであり芸術家であるという、自己矛盾を抱えていたのではないでしょうか。

石原慎太郎 三島由紀夫との関係は?作品、映画の評価は?

石原慎太郎 三島由紀夫との邂逅と別れ

石原慎太郎と同世代に、もうひとり、石原慎太郎と同じような矛盾を抱えた天才作家がいました。それは三島由紀夫です。父は戦前の高級官僚であり、自身も1947年東京大学法学部を卒業後高等文官試験に合格し、大蔵省の官僚となります。しかし、その文学的才能は幼少時代から突出しており、1948年には大蔵省を辞めて、同性愛をテーマにした問題作「仮面の告白」を出版。文学の道を目指します。

その後も次々と、戦後の新しい社会風俗を文学にまで昇華した若き天才、三島由紀夫。石原慎太郎と同じく、新時代のオピニオンリーダーとして祭り上げられます。三島由紀夫は石原慎太郎より7つ年上。石原慎太郎の「太陽の季節」を高く評価し、同世代の作家として顔を合わすことも多く、石原慎太郎と三島由紀夫は親交を深めていきました。

けれども、三島由紀夫は、背の低さや虚弱な体質にひどくコンプレックスがあったようで、慎太郎の心身ともに健康的な姿に、どうやら引け目があったようです。そして石原慎太郎が1968年、現実政治の世界に入っていくのに対して、三島は日本の現状に幻滅し、極めて観念的でかつ耽美的とも言える民兵組織「盾の会」を結成。

1970年、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に会のメンバーとともに乱入します。そして自衛隊員たちにクーデターを促しますが失敗、自決して果ててしまうのです。この二人に共通して言えることは、小説家でありながら、時代が、また自分自身が一小説家のままでいることを許さなかったことでしょう。

ただ文学的才能においては、三島由紀夫のほうが石原慎太郎よりはるかに抜きんでている分だけ、三島由紀夫は、悲劇的であったと言えます。

石原慎太郎 弟石原裕次郎が映画で具現化した、戦後の青年像

石原慎太郎を語る上で、昭和の大スター、弟の石原裕次郎を外すことはできません。芥川賞の「太陽の季節」は、日活により、長門浩之・南田洋子主演ですぐに映画化されました。当時の倫理観からいくと、世間にも受け入れ難い部分も多く、公開直後から、賞賛の声と同じくらい批判の声も高まったこの映画。

既成概念に反逆する太陽族に世間の注目が集まったわけですが、当時まだ慶応の学生であった弟の石原裕次郎は、まさに太陽族そのもの。慎太郎の弟ということもあり、「太陽の季節」にチョイ役で主演します。そして石原慎太郎原作の映画化第二作目となる「狂った果実」では、裕次郎のスター性を見抜いた慎太郎が、裕次郎を主役に推薦。

映画が話題を呼ぶのと同時に、爆発的な裕次郎ブームを巻き起こします。石原裕次郎は以後数多くの作品で、戦後の全く新しい青年像を華やかに具現化し、30年代の日本映画隆盛期を代表する、昭和の大スターとなったのです。

しかしその裕次郎も、1987年、52歳の若さでなくなり、いよいよ昭和の時代が終わりをとげました。

石原慎太郎 新国立競技場建築費補填の新税提案は、果たして老害政治家のたわごとか

石原慎太郎の政治家としての資質は、意外に遅咲きだったのかもしれません。要は、お山の大将にしておくほうがその実力が発揮できたのでしょう。旧態然とした政府や多くの反対勢力と伍しながら築き上げてきた、10年にも及ぶ都政の実績は、それなりに評価されてもよいでしょう。

つい先日も、新国立競技場の東京都による建築費負担に関して、東京で働く都民以外の居住者から月千円を徴収すればいいという石原慎太郎の新税提案が、首都圏の住民に顰蹙を買ったようですが、果たしてどうでしょうか。

ほとんどの人々が、自分の損得が本音なのに、それを住民の権利平等に言い換えて、反対を唱えているだけではないでしょうか。なんらかでも既得権を得る者が、その負担を担うのは当然と言えば当然。

是非は別として、この提案は、極めて現実的な政策と言えます。金儲けが目的のオリンピック誘致に目がくらみ、新国立競技場にとんでもない予算を計上した上、さらに倍近い予算オーバーになった責任を誰も取るものがいない政治家たち。

それに比べれば、石原慎太郎のほうが、ずっと気骨と実践力のある政治家であると言えます。しかし、その石原慎太郎も82歳。昭和はすでに遠く、時代は新たなリーダーを求めています。

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