伊藤若冲生誕300年!江戸時代の天才日本画家に海外からも絶賛の声

伊藤若冲生誕300年!江戸時代の天才日本画家に海外からも絶賛の声出典:https://matome.naver.jp

伊藤若冲生誕300年!江戸時代の天才日本画家に海外からも絶賛の声

伊藤若冲が生誕300年!各地で記念イベントが開催された!

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸時代に活躍した人気絵師です。1716年生まれで、京都を中心に活動した伊藤若冲。写実と想像を織り交ぜた「奇想の画家」として有名で、その独特の画風が、国内外を問わず、高い評価を集めています。その生誕300年を記念して、今年は、各地でさまざまなイベントが開催されています。

京都市美術館では、「若冲の京都 KYOTOの若冲」と題する展覧会を開催し、数々の作品の展示と共に、専門家による講演会もあります。一風変わったものでは、伊藤若冲の世界に触れるために、ミニ屏風を造るワークショップも行われます。東京都美術館でも、「生誕300年記念 若冲展」として特別企画展示が実施されました。こちらでは、宮内庁で収蔵する「動植綵絵(さいえ)」シリーズの展示など、普段は見ることができない伊藤若冲の貴重な作品が展示され、多くの人々の目を楽しませています。

伊藤若冲は江戸時代中期に活躍した天才日本画家!海外からも絶賛の声が上がる

伊藤若冲は、江戸時代に生まれた天才日本画家ですが、現在では、海外からも絶賛の声があがっています。中でも、アメリカでの伊藤若冲人気は根強く、ロサンゼルス郡立美術館をはじめ、メトロポリタン美術館や、デンバー美術館も、伊藤若冲の作品を収蔵しています。たしかに、伊藤若冲作の「付喪神図」などは、かなりモダンで、前衛的なアート作品といってもおかしくありません。どこかパブロ・ピカソをも思わせるような作風で描かれた絵は、墨絵独特のグラデーションが美しく、描かれる付喪神には抽象的な印象を受けます。

もちろん、生まれたのは、世界的に知られる天才画家パブロ・ピカソより、伊藤若冲のほうが先。この時代に、対象物の持つ本質や、秘めたる生命力、ちょっとしたおかしみを、現代にも通ずる絶妙なバランス感覚で描き出す絵師がいたとは驚きです。もしかしたら、浮世絵からも多大な影響を受けたというパブロ・ピカソが、伊藤若冲の作品からもインスピレーションを受けていたのでは、などと想像を巡らせるのも楽しいものです。

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伊藤若冲代表作「群鶏図」の驚くべき技法!見ておくべき作品は?

伊藤若冲の代表作「群鶏図」を描くための驚くべき技法!

伊藤若冲の代表作ともいえる「群鶏図」を描くためには、驚くべき技法が使われていました。この「群鶏図」は、伊藤若冲の30枚の連作からなる「動植綵絵」のうちの1枚。現在は、宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されている作品です。東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」でも展示され、多くの人の注目を集めていました。とても色鮮やかで、写実的に描かれた鶏の躍動感が、画面いっぱいにあふれる「群鶏図」。

この絵は、絹本着色と呼ばれる技法で描かれています。絹本着色とは、絹地に着色して絵を描くことです。しかし、「群鶏図」の場合は、表からだけでなく、絹地の裏側からも着色する「裏彩色」という技法が使われています。「裏彩色」を施し、絹地の表裏に色付けされた作品が実現するのは、単色ではなしえない特有の奥行き感。伊藤若冲は、描かれた鶏1羽1羽の模様を描き分け、それぞれに漏れなく「裏彩色」を行うことで、「群鶏図」を、より鮮やかで精緻な作品へと昇華させました。

伊藤若冲は秀作揃い!見ておくべき作品は?

伊藤若冲の作品は、どれも秀作揃いです。2016年12月4日まで開催されている京都市美術館の「若冲の京都 KYOTOの若冲」では、「波濤鯉魚図」や「鵜にどじょう図」などの、躍動感あふれる動物画がおすすめです。「象と鯨図屏風」や「樹花鳥獣図屏風」など、大作の屏風絵も見ごたえがあります。

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12月以降には、京都国立博物館において、「特集陳列 生誕300年 伊藤若冲」が行われる予定で、展覧会には、「果蔬涅槃図」や「蝦蟇河豚相撲図」が展示されるようです。「蝦蟇河豚相撲図」は、文字通り、カエルとフグが相撲を取る様子を描いたもの。どこかとぼけた、ゆるささえ漂う様子は、まさに「奇想の画家」伊藤若冲の真骨頂ともいえるでしょう。

伊藤若冲は孤高の天才画家!生誕300年記念の展覧会が各地で!

伊藤若冲は、「孤高の天才画家」や「奇想の画家」などと呼ばれており、日本国内はもとより、海外からもその実力が絶賛されている画家です。伊藤若冲の描いた作品の数々は、写実的で躍動感あふれ、「ホンモノ以上の絵」とも評されています。1716年に生まれ、今年は生誕300年を迎えることから、各地でにぎにぎしく取り上げられている伊藤若冲。

実は、伊藤若冲の技法は、19世紀末に西洋絵画で発展した新印象派の絵画技法を、200年も早く実現していたともいわれています。写実から、ユーモアあふれる空想の世界まで、自在に描いた伊藤若冲は、どのようにしてそのような境地を見出したのでしょうか。若くして稼業の青物問屋を継ぐことになった伊藤若冲は、絵を描くこと以外にはほとんど興味を示すことがなく、商売にも不熱心だったといいます。酒も飲まなければ、芸事もせず、挙句は結婚もしないまま、30代になってから、本格的に絵の修行を始めたようです。

40才になった伊藤若冲は、早々に弟に家督を譲って隠居します。ここから、伊藤若冲の絵師としての経歴が本格的にスタートしました。作画三昧の日々を過ごした伊藤若冲は、さまざまな技法を学ぶうち、次第に、模写、写生に注力するようになりました。こうして初期に生み出された作品が、「動植綵絵」。鹿苑寺の壁画や、金毘羅宮の襖絵も伊藤若冲の作品です。

近年の研究によると、隠居後の伊藤若冲は、町年寄として、錦市場の再開に尽力したなど、知られざる一面も明らかになりつつあります。その人生や技法において、まだまだ謎の多い伊藤若冲ですが、今後、その謎が少しずつ明かされるのが楽しみですね。

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