岩渕香里(スキージャンプ)がスーツ規定違反で失格!?大怪我を乗り越え平昌オリンピック出場

岩渕香里(スキージャンプ)がスーツ規定違反で失格!?大怪我を乗り越え平昌オリンピックへ!

岩渕香里(スキージャンプ)がスーツ規定違反で失格!?熾烈をきわめるスーツ事情

岩渕香里は、2018年の平昌オリンピックで初めて代表入りを果たしたスキージャンプ選手です。平昌オリンピックが目前に迫った、2018年1月13日に行われたワールドカップのジャンプ女子個人第5戦で、スーツの規定違反のためスタート前に失格になる事態に見舞われています。

予選を5位で通過し、自身の自己最高順位更新も狙っていただけに残念な結果となってしまいました。なぜ失格となってしまったのでしょうか?そこには、各国が繰り広げているジャンプスーツの激しい開発競争も関係している様子です。ジャンプスーツ開発の現場では、高いジャンプを飛ぶための浮力を得ようと、股下や両脇部分の表面積を広げることに注目が集まっていると言います。

そのため、規定ギリギリのラインを狙ったスーツが増え、選手が実際に着用した時の誤差で規定に触れる可能性が高まっているようです。失格した時の岩渕香里は、公式練習1回目は黄色とオレンジ、2回目は黒で、予選は白と、それぞれ違うジャンプスーツで飛行。さらに、本戦では前日の3着とはまた違ったジャンプスーツで挑んだところ、飛ぶ直前に行われる計測で、股下までの長さが規定に引っかかりスーツ規定違反となりました。

岩渕香里(スキージャンプ)が大怪我を乗り越え平昌オリンピックへ!

長野県出身で、幼少の頃からスキーに慣れ親しんでいた岩渕香里は、小学6年生の時にアルペン競技からジャンプ競技に転向。中学生だった2009年からは国際戦にデビューし、数々の大会で結果を残してきました。2012年の国内戦では、すでにスキージャンプ界で知らない人はいなかった高梨沙羅を破って優勝したこともあります。

しかし、松本大学の1年生だった2012年9月に、両膝の前十字靭帯を断裂するという、選手生命を危ぶまれるほどの大怪我を負いました。それから3回の手術を受け、10カ月以上ものリハビリ期間を経て、2013年7月に復帰。当初は、焦ってジャンプをすると痛みが再発するなど、思うようなジャンプができない時期もあったと言います。

そういう焦りもあってか、2014年のソチオリンピックでは残念ながら代表入りを逃してしまった岩渕香里。めげずに続けてきた努力が結果に表れたのは、2016年2月に開催されたワールドカップ第15戦でした。自己最高位の6位を更新した岩渕香里は、2017年の世界選手権でも個人で11位を獲得。

今シーズンは、個人戦では一桁順位を維持し続け、団体戦では100メートル以上のジャンプを2本そろえるなど順調で、平昌オリンピック代表入りを確実にものにしました。

岩渕香里(スキージャンプ)の持ち味や課題は?勢藤優花らとW杯の団体戦初代王者に

岩渕香里(スキージャンプ)の持ち味とは?課題は助走時の姿勢

岩渕香里が取り組むスキージャンプは、その時の雪の感触や風向きなどで結果が大きく変わってくる競技で、選手はそれらを微調整しながら、より長く高いジャンプを目指します。技には粗さがありながらも恵まれた身体を空中で絶妙にコントロールするノルウェーのマーレン・ルンビや、空中に飛び出した直後に美しい飛行姿勢を取れる高梨沙羅など、各選手の持ち味はさまざまです。

岩渕香里(スキージャンプ)は、大怪我を負った後には気持ちが下向きになった時期もあったと言います。しかし2016年、名門実業団・北野建設のスキー部に所属し、ジャンプ男子の竹内択や、ノルディック複合の渡部暁斗らオリンピアンと環境を同じくしたことで意識に変化が。オリンピックを目指す気持ちが芽生え、さらに出場からメダル獲得へと、その目標は高くなっていきました。

こうして、一度は大きな挫折を味わいながらもそれを乗り越え、さらに高みを目指すようになったメンタルの強さこそ岩渕香里の持ち味といえるのではないでしょうか。一方で気になるのは、メダル獲得に向けた課題です。平昌オリンピック直前に開催されたノルディックスキー・ジャンプ女子の公式練習を終えた際、3回ジャンプを飛ぶも「しっくりこない」「完全に後ろになっている」と語った岩渕香里。

以前は、着地の際に取るテレマーク姿勢を挙げていた岩渕香里ですが、大舞台を前に、課題は、助走時の姿勢の重心の位置に変わっていった様子。克服すべき課題が明らかになれば、あとは解消に励むだけ。持ち前の粘り強いメンタルで、雪や風の変化に柔軟に対応して自分らしいジャンプをみせてほしいですね。

岩渕香里(スキージャンプ)と勢藤優花らで勝ち取ったW杯団体女子初代王者!

岩渕香里(スキージャンプ)は、2017年12月16日、ドイツのヒンターツァルテンで開催されたワールドカップのジャンプ女子に出場しました。この大会では、女子では初開催となる団体戦が行われ、日本が見事初代王者に輝いています。この時の優勝メンバーは、岩渕香里、勢藤優花、高梨沙羅、伊藤有希の4人です。1番手の伊藤有希が104メートルを飛び、1回目のジャンプからトップに立った日本。岩渕香里、勢藤優花に続き、アンカーを務めた高梨沙羅までリードを保ち続けた日本は956.0点を叩き出しました。終わってみれば、ライバルといわれていたドイツの転倒というアクシデントはありましたが、2位のロシアとは90点以上もの差をつけて日本が圧勝。普段はライバルとして戦っている4人ですが、団体戦ではお互いに高め合い、深い絆を見せました。

岩渕香里(スキージャンプ)が初出場したオリンピックは12位!苦い思いを経た今後に期待大

岩渕香里(スキージャンプ)は、同じくオリンピック初出場となった勢藤優花や、メダルが有力視された高梨沙羅、伊藤有紀らと平昌オリンピックに出場。ファイナルラウンドまで進む健闘を見せました。オリンピック前には、出身地の長野で有名な武将・真田幸村をモチーフにした深紅色に槍を描いたヘルメットを新調し、地元愛を示した岩渕香里。地元・上田の市役所で行われた壮行会には、海外で調整中のため不在だった岩渕香里に代わり父親が出席して約250人もの人から激励を受けて送り出されました。

そして迎えたオリンピック当日、日本勢ではトップバッターとなった岩渕香里は、1回目93.5メートル、98.2点でファイナルラウンド進出を決めます。続くファイナルラウンドでは、89メートル、188.3点の暫定2位につけるも、最終的には12位という成績に終わりました。同じ日本勢では、高梨沙羅が銅メダルを獲得したほか、勢藤優花は17位、伊藤有希は9位という結果となっています。

金メダルを目指していた岩渕香里にとって、一桁台にも届かなかった順位は不本意なものかもしれません。しかし、次回開催の北京オリンピックに向けた新たな目標や課題も見えてきたのではないでしょうか。岩渕香里は24歳とまだ若いので、これからの伸びしろもたっぷり。選手生命の危ぶまれる大怪我を乗り越えて、奇跡のオリンピック出場を成し遂げた岩渕香里には、平昌オリンピックの経験も糧にさらなる飛躍を遂げてください!

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