上地結衣は二分脊椎症!車椅子テニス世界ランキング1位のメンタルが圧巻

上地結衣は二分脊椎症!車椅子テニス世界ランキング1位のメンタルが圧巻

上地結衣は二分脊椎症!どんな病気・症状?

上地結衣は、リオパラリンピック日本代表の車椅子テニス選手。生まれつき二分脊椎症を患っている上地結衣は、現在は、両足に麻痺があります。

二分脊椎症は、1万分の6の確率で発症するとされており、まだ母子手帳をもらう前の妊娠超初期である3週頃に、胎児の神経の管が正常に形成されなかったことが一因といわれています。上地結衣の二分脊椎症は、潜在性二分脊椎症(脂肪腫)という種類のもので、幼少期は、装具を着けて自力で歩行できていたものの、成長期になってから症状が重くなったということです。

上地結衣は車椅子テニス世界一!圧巻のメンタルとは

上地結衣は車椅子テニスを11歳で始め、その後わずか3年で日本一の座に。2014年には、シングルスで世界ランキング1位、ダブルスでも世界ランキング1位の快挙を達成しています。2016年現在、シングルスのランキングは僅差で2位に甘んじている上地結衣ですが、ダブルスでは、世界ランキング1位をキープしている上地結衣。

感情の波に負けず、起伏なく安定した高いレベルのプレイを維持できることが上地結衣の特徴だと、男子車椅子テニス世界ランキング1位の国枝慎吾は評価しています。世界の強豪相手に、プレッシャーに押しつぶされずに、気持ちを切り替え、ここぞというところで勝負を決められる上地結衣のメンタルの強さこそが、心技体を伴った世界一の証明です。

上地結衣のプロフィール、大学は?地元・明石市のコートで腕を磨いた少女時代

上地結衣のプロテニスプレイヤーになるまでのプロフィール!大学には進学した?

上地結衣のプロフィールは、1994年4月24日生まれの22歳で、兵庫県出身・大阪府在住です。身長は143cmと小柄ながら、その体格を生かした素早いチェアワーク(車椅子を操ること)で世界一に登りつめました。性格は「負けず嫌い」で、好きな芸能人は岩城滉一や舘ひろしなど、ちょっぴり渋め!ウィンブルドンで石黒賢を見かけて写真を撮ってもった上地結衣は、本当にかっこよかったと満面の笑みで語っています。

高校卒業後、上地結衣は、大学には進学せず、プロテニスプレイヤーの道へと進みました。しかし、車椅子テニスは賞金も少ないため、世界中の大会に遠征へ行くだけで賞金が消えてしまうことも多々あり、競技生活は厳しいものがあるようです。

上地結衣が地元・明石市のコートで腕を磨いた少女時代とは?

上地結衣は、二分脊椎症を生まれながらにして患っていましたが、親の「普通の子と同じように育ってほしい」という意向から、特別学校や特別クラスではなく、小・中・高と健常者に囲まれ、普通学級で過ごしました。上地結衣が、地元・明石市のコートで車椅子テニスを始めたのは11歳の時。

競技人口が少ないこともあり、年上の男性相手にテニスの練習をしていたといいます。もともと車椅子でバスケットボールをやっていた上地結衣ですが、やればやるほど目に見えて上達する車椅子テニスにどんどんのめりこんでいき、14歳で日本一に、16歳でジュニア世界一に輝きました。

上地結衣がすすめる車椅子テニスをより面白く見る方法

上地結衣は、リオパラリンピックで、日本選手団の旗手を務めました。高校3年生のとき、出場すること自体が目標だった前回のロンドンパラリンピックで8位入賞を果たした時とは違い、「最低でもメダル」を目標に、金メダル目指し、挑んだリオパラリンピック。オリンピックに比べると、世の中の注目や関心は少なくなってしまいがちなパラリンピックですが、車椅子テニスは、他の多くの障害者スポーツとは異なり、選手が抱えている障害は人それぞれ。

パラリンピックの車椅子テニスでは、「この選手はこんな障害を持っていて、このような戦い方なのか」といったような、選手それぞれの障害を踏まえたうえで、選手の戦術やプレイスタイルにも注目することでより面白く見てもらえると思う、と上地結衣は語っていました。

結果は堂々の銅メダル!車いすテニス女子シングルで、日本選手としては史上初のメダル獲得です。松岡修造も、「錦織圭とプレイスタイルが近い」と太鼓判を押している上地結衣。2020年東京オリンピックにむけて、すでに始動しているに違いありません

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