金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」あらすじネタバレキャスト!

金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」あらすじネタバレキャスト!

金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」は豪華キャスト陣で臨んだ超大作!

金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」は、東宝の怪獣映画ゴジラシリーズ第25作目として、2001年に公開されました。本作では、前作までの設定がリセットされ、1954年に公開された第1作目の世界観が、わずかに踏襲された形となっています。

それでいて、後続シリーズで多くの怪獣映画ファンを熱狂させてきた、ゴジラの天敵キングギドラや、ゴジラと同じく東宝三大怪獣に数えられるモスラとの対戦も盛り込まれるという豪華絢爛ぶり。主人公を演じる新山千春をはじめ、宇崎竜童、佐野史郎、津川雅彦ら約80名のキャスト陣も、主要キャスト級の名優ばかりが名を連ねています。

さらに、金子修介が、旧・大映の怪獣映画をリブートした超傑作”平成ガメラ三部作”の監督とあっては、ファンの期待感は高まるばかりです。こうして、満を持しての公開となった「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」でしたが、さまざまな点で評価が分かれる作品となってしまったようです。

金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」あらすじネタバレ!迷走の原因は?

金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」は、ゴジラが東京を壊滅させてから50年後の世界を描いた作品です。日本の防衛軍は、グアム沖で消息を絶った原子力潜水艦の捜索中に、ゴジラを思わせる巨大生物を目撃します。一方、主人公のニュース番組リポーター立花由里は、日本各地で次々と発生する若者の死亡事件を追ううちに、伝記に記されている護神たる聖獣「パラゴン・モスラ・ギドラ」にたどり着くことに。

伝記の著者は、太平洋戦争で死亡した人々の怨念を宿すゴジラの来襲に備えるべく、聖獣を蘇らせようとしていました。そして、ついにゴジラが日本上陸……となりますが、人間を意にも介さず暴れまわるものであってほしい怪獣たちに、日本を守る神とか、戦死者の霊といった背景を盛り込んでほしくないというのが、怪獣ファンの本音です。

とはいえ、戦闘シーンや殺戮シーンの臨場感や迫力には、高評価する声が多く聞かれました。金子修介は、平成”モスラ三部作”では、自衛隊の許可が下りず実現できなかった戦闘機の墜落シーンを、今作では鬱憤を晴らすかのように緻密に描いています。

しかし、同時上映映画が「とっとこハム太郎」だったということは、東映側としては、子供をターゲットにした特撮ものを意識していたはず。それがなければ、スケールの大きさにおいて、金子修介監督映画「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」は、もっと評価されてもいい作品である気がします。

金子修介監督が織田裕二を大批判!学歴やプロフィールは?

金子修介監督の批判手記をきっかけに織田裕二のワガママ説が浸透した!

金子修介監督は、1993年9月に発売された雑誌「シナリオ」に寄せた手記の中で、俳優・織田裕二を痛烈批判しました。織田裕二は、ブレイク作となったドラマ「東京ラブストーリー」と同年の1991年に、金子修介監督映画「就職戦線異状なし」に出演しています。

2人は気心の知れた関係だったはずですが、雑誌の発売時に公開中だった、金子修介監督映画「卒業旅行 二ホンから来ました」の現場で事件は起きてしまいました。金子修介によると、主演の織田裕二は、撮影前から、「この脚本には興味がない」として、シナリオ変更を要求して脚本家と揉めており、その後も身勝手な要求を繰り返したといいます。花火を使った撮影時には、髪を焦がしてしまったことに対するスタッフの謝罪姿勢に不満を示して、撮影をボイコット。

再度頭を下げるスタッフを怒鳴り散らし、スポンサーを介してクビにしてしまったそうです。手記は、”たった1人の若い俳優をコントロールできなかった自分の非力”として締めくくられていましたが、内容の大筋は、織田裕二への批判を示すものでした。

織田裕二側にも言い分はあったようですが、これをきっかけに、”織田裕二ワガママ説”が、世間に浸透することとなりました。

金子修介監督の学歴!始まりは日活ロマンポルノの助監督だった!

金子修介監督は、1955年6月8日生まれの東京都出身です。東京都立三鷹高校入学後に映画を自主制作するようになった金子修介は、東京学芸大学教育学部に進学すると、映像芸術研究部に所属して青春を謳歌します。この映像芸術研究部に先輩として所属していたのは、後に劇場版アニメ「攻殻機動隊」の監督として知られるようになる押尾守です。

現在は、怪獣映画監督のイメージが強いですが、大学卒業から数年は、日活ロマンポルノの助監督として活動していた金子修介。監督昇進へのきっかけとなったのは、押尾守が手掛けていたテレビアニメ「うる星やつら」の6話分の脚本を任されたことでした。

その後、金子修介は、ロマンポルノにアニメパロディを取り入れるなどのオリジナル性の高い手法が話題となり、精力的に活動の場を拡大していきます。幼い頃からの憧れであった怪獣映画の分野に自ら名乗りを挙げ、1965年から続くガメラシリーズの監督に就任したのもこの時期です。

金子修介監督”平成ガメラ三部作”で特撮怪獣映画に新たな道を切り拓いたの偉大な功績!

金子修介監督が手掛けた”平成ガメラ三部作”は、特撮史上最高傑作として、多くの怪獣映画ファンに語り継がれています。金子修介にとって、怪獣映画は幼い頃の憧れでしたが、CG映像が発達しつつあった平成の世で、特撮ものはすでに衰退の一途にありました。

1984年の復活に盛り上がったゴジラシリーズに続けとばかりに企画された平成ガメラシリーズでしたが、あまりの予算の少なさに、金子修介は愕然としたそうです。そんな中で監督に就任した金子修介は、シリーズ1作目となった1995年の「ガメラ 大怪獣空中決戦」で第38回ブルーリボン賞監督賞を、シリーズ最高傑作とも謳われる翌年の「ガメラ2 ギオン襲来」では第17回日本SF大賞を受賞しています。

「ガメラ3 邪神覚醒」では、CG技術駆使した迫力満点の戦闘シーンが登場しますが、それ以前のものが平成時代に受け入れられた理由は、やはり金子修介の怪獣映画愛にあったのではないかと思われます。ゴジラ、ガメラなど、日本の怪獣映画黎明期に少年時代を過ごした金子修介は、幼い頃から怪獣辞典を作るほどの怪獣少年でした。

巨大生物が街を破壊しつくすインパクト、ことさらに格好よく描かれた自衛隊など、強いものに憧れを持った子供時代。夢があるからこそ、死傷者を極力出さずに成立させたいという葛藤もあったといいます。こうして制作された三部作シリーズは、「ガメラ3」という完結編で、以前にはなかったオタク的要素満載の病んだ展開をみせました。

こうして、”昭和ガメラ”に新風を吹き込み、”平成ガメラ”を完成させた金子修介の功績は、あまりにも偉大です。後にも先にも、「ガメラ」「ゴジラ」の両方を手掛けた監督は、金子修介だけ。2016年は、鮮烈な作風の庵野秀明監督映画「シン・ゴジラ」が世を賑わせましたが、金子修介が、その道を拓いたと言っていいのかもしれません。

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