兼高かおるの世界の旅は今も継続中!移動距離は地球180周分!

兼高かおるの世界の旅は今も継続中!移動距離は地球180周分!出典:http://www.jalan.net

兼高かおるの世界の旅は今も継続中!ハーフジャーナリストがテレビにもたらした功績とは?

兼高かおるは、88歳にして世界を駆ける女性ジャーナリストのフロンティア

日本人の若者が、Tシャツにジーパン、「地球の歩き方」というガイドブックを手に、気楽に海外旅行に出かけられるようになったのは、1980年に入ってからでした。

それよりも20年も前、1959年12月13日から1990年9月30日まで、足掛け31年にわたって、女性1人で世界各国を旅して回り、旅番組を作り続けた女性映像ジャーナリストの草分けというべき存在が兼高かおるです。兼高かおるは、1928年生まれの88歳。今なお現役で世界各国を飛び回っています。

兼高かおるが今から半世紀も前に確立していた海外ロケシステム

兼高かおるの名を一躍有名にしたのは、1959年末からTBSで放映が始まった「兼高かおる世界の旅」(当初は「兼高かおる世界飛び歩き」)でした。番組は、兼高かおるが旅した世界各地の旅の映像を、彼女と、後に「必殺シリーズ」や「水戸黄門」のナレーションで有名となった名アナウンサー芥川隆行との掛け合いで紹介していくというもの。芥川隆行の軽妙縦横なつっこみに、兼高かおるが、美しい山の手言葉で切れ味鋭く切り返す番組スタイルでした。

毎回、当時の日本人のほとんど誰もが行ったことのない海外各国の素晴らしい映像が評判を呼んだ「兼高かおる世界の旅」。兼高かおるが凄かったのは、単に海外ロケのフロンティアであっただけにとどまりません。リポーターやナレーターに加え、彼女自らが、制作演出を担い、ロケのコーディネートから編集仕上げまで一貫してこなす、現在のビデオジャーナリストのような取材システムをすでに確立していたということです。

スポンサーリンク

兼高かおるの結婚やプロフィール!黒柳徹子との関係は?

兼高かおるは黒柳徹子の先輩!絶世のハーフ美女だった女学校時代とGHQ秘話

兼高かおるは、インド人を父に持つハーフでした。神戸に生まれた彼女は、東京に出て、中高一貫の名門ミッションスクール香蘭女学校で過ごします。学校の後輩にあたるのが黒柳徹子で、彼女らにとって、兼高かおるのエキゾティックな美貌は、もはや学校の伝説だったようです。香蘭女学校の自由で自立的な校風が、戦時中の日本から、彼女たちを守り育てたのかもしれません。

兼高かおるは、戦後いち早くロサンゼルス市立大学に留学します。帰国後は、ツアーライターとしてキャリアをスタート。そして1958年、スカンジナビア航空が主催した「世界早回り」に挑戦し、73時間9分35秒の新記録を樹立したことがきっかけで注目され、「兼高かおる世界の旅」のレポーターを務めるようになりました。

兼高かおるが旅した国は150カ国以上。移動距離は地球180周分!

兼高かおるがこれまでに旅した国の数は、半端なものではありません。実に世界150カ国以上に及び、移動距離は、なんと地球180周分になるといいます。アメリカのケネディ大統領に直接面会している兼高かおるはまた、初めて南極点に到達した日本女性でもありました。

スポンサーリンク

さらに、ミクロネシアの大酋長に気に入られ、マーシャル諸島の島の1つをプレゼントされたことも。世界各地のどんな猛獣にも臆することない動物好きですが、どういうわけか、猿だけは相性が悪いそうです。しかし、あまりに世界の旅を愛したせいか、自身は独身のまま。現在に至るまで、結婚には価値や意味を見いだせないと明かしています。

兼高かおるが27年ぶりに「徹子の部屋」で語った、戦後の自立した女性第1号としての半生

兼高かおるが、2017年2月7日、27年ぶりに「徹子の部屋」に出演しました。紫のスーツを着こなした兼高かおるは、88歳という年を全く感じさせない毅然とした貴婦人ぶりで、若き日のことを、美しい山の手言葉で涼やかに語っています。父がインド人であったことからか、戦後は進駐軍と早くに交流があり、彼女もまた、鉄道を管轄する部署で通訳のような仕事を得ました。

当時、混雑を極めた鉄道には運転手席に乗ることができ、Cレーション(兵隊の食糧パック)も暗黙の了解でもらい放題だったようです。兼高かおるは、とても美しく利発な女性であったため、進駐軍を伝手に、ロサンゼルス市立大学への留学を叶えます。アメリカでの身元引受人は、大学教授。ここで、アメリカにおける、自由な議論や教養に溢れたハイソサエティの暮らしに接したことが、彼女のその後の人生に大きな影響を与えました。

兼高かおるが結核になり日本に戻らなかったならば、彼女はそのままアメリカで暮らし、成功を遂げていたかもしれません。病を得て日本に戻った兼高かおるは、スカンジナビア航空が主催した「世界早回り」で新記録を樹立したことにより、パンアメリカン航空の支配人(かつて大相撲の表彰式で、自社の賞を贈呈し有名になったアメリカ人)に見出され、日本のさまざまな観光地を海外に紹介するトラベルライターとしてキャリアをスタートさせます。

そしてそれが、「兼高かおる世界の旅」を都合31年も続けるきっかけとなりました。さすがに番組を辞めようと思ったのは、当時80歳を越えて1人で暮らしていた母を思いやってのことだったそうですが、兼高かおるは当初、その母も連れて、海外に出かけていました。

兼高かおるが、一緒に旅をして何が一番良かったかと母に聞くと、「何が一番かって、毎日の夕飯の献立を考えなくていいことだ」と答えたとか。これには、兼高かおるも、さすがにまいったといいます。兼高かおるは、ある意味、戦後における新しい女性の生き方を、最も早く体現した女性なのかもしれません。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る