柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故で逝った夫・坂本九が遺したもの

柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故で逝った夫・坂本九が遺したもの出典:https://citydiver.net

柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故で逝った夫・坂本九が遺したもの

柏木由紀子が再婚しないワケ!日航機墜落事故に夫・坂本九を奪われた悲痛

柏木由紀子が夫・坂本九を亡くして30年以上が過ぎました。「そろそろ再婚は?」と人々が口にする中、68歳になった今でも未亡人のまま。柏木由紀子にとって、あの日の悲しみは、いくら月日が経っても褪せることがありません。1985年8月12日、羽田発伊丹行きの日本航空123便が、群馬県の御巣鷹山尾根に墜落しました。乗客520人の命を奪った日航機墜落事故。

犠牲者の中に、「上を向いて歩こう」の世界的ヒットで知られる歌手・坂本九の名があったことは、日本のみならず、世界中に大きな衝撃を与えました。墜落の衝撃はあまりにも大きく、犠牲者の身元特定は困難を極めたといいます。柏木由紀子が、坂本九の遺体を本人と認めたのも、彼が普段から身に着けていたペンダントだけが頼りでした。あまりにも突然で、あまりに壮絶な最期に、柏木由紀子は、以後10年もの間、夫の死を受け入れられずにいました。

柏木由紀子に夫・坂本九が遺したもの!あの笑顔に支えられた30年の壮絶人生

柏木由紀子にとって、日航機墜落事故は、まさに青天の霹靂でした。38歳で未亡人となって以来、悲しみに暮れ、残された2人の娘と共に、泣いて過ごすばかりの日々。そんな辛い気持ちを救ってくれたのは、坂本九のファンから送られた、5000通にも及ぶ激励の手紙だったといいます。生前、歌と同様に、笑顔でファンを魅了してきた坂本九。「夫に褒めてもらえるように、毎日笑顔で過ごして行こう」と誓った柏木由紀子は、坂本九の自慢だった2人の娘たちと、ファンの想いを守るべく、再び芸能界に復帰することを決意しました。

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30年以上経ってもなお、柏木由紀子は、夫・坂本九が遺した家を修繕して住み続けています。ガレージには、生前の坂本九が乗っていた”9”のナンバーが付いたままのベンツが、今でも眠っているそうです。坂本九が遺した”成功の証”を守りたい想いもあり、そうすることで、夫に守られている気がするという柏木由紀子。再婚は、夫への”感謝”に代わる拠り所とはなり得ないのでしょう。

柏木由紀子の収入は大丈夫?娘たち、舞坂ゆき子と大島花子の現在は?

柏木由紀子は自力収入で娘たちを育て上げ、豪邸の建て替えまで!

柏木由紀子は、夫・坂本九を亡くして以来、女手一つで娘たちを育てながら、家を守り続けました。坂本九が遺した豪邸を維持するだけでも相当な苦労が想像されますが、10年ほど前には建て替えも行っているという話。生前の坂本九の活躍を考えると、確かに、収入面の苦労はなさそうにも思えます。

ところが、柏木由紀子の話では、実際の印税収入は、それほど多くないのだとか。そのため、一家を支える主な収入源は、坂本九音楽事務所に所属する柏木由紀子の芸能活動。本業の女優として、ドラマや映画、舞台出演を続けながら、講演会や執筆活動と、寝る間も惜しんで働き続けたのだといいます。その傍らで、ボランティア活動に一生懸命だった坂本九の遺志を継ぎ、自らも、家族を失った悲しみに暮れる人々を支える活動を行っているそうです。

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柏木由紀子の娘たち、舞坂ゆき子と大島花子の現在!その姿が感動を呼ぶ!!

柏木由紀子の次女・舞坂ゆき子は、宝塚歌劇団出身の歌手であり、女優。長女・大島花子が選んだ道も、父親と同じ歌手でした。日航機墜落事故当時、小学校3年生と6年生だった娘たち。彼女たちの中にも、父親を失った経験は、常にトラウマとして生き続けていました。それと同時に、生前の坂本九の歌声と、亡き夫を想って強く生きる柏木由紀子の姿は、生きる指標にもなっていったのです。柏木由紀子は、2人の娘と家族ユニット「ママエセフィーユ」を結成して、坂本九の曲を伝えるコンサートを続けています。

一方で、柏木由紀子にプレゼントされた愛犬に、父親を亡くした悲しみを癒された舞坂ゆき子は、「人と動物の絆」をテーマにした活動も。大島花子が、「グリーフケア」として、東日本大震災の被災者に寄り添った活動をするのも、両親から受け継いだ心です。現在は、結婚して、1児の母となっている舞坂ゆき子と大島花子。坂本九の忘れ形見である娘たちを、再婚もせずに立派に育て上げた柏木由紀子の信念に、心を動かされない者はいないでしょう。

柏木由紀子が抱く夫・坂本九への自責の念!「上を向いて歩こう」に励まされ……

柏木由紀子の女優デビューは、1964年、17歳で出演した映画「明日の夢があふれている」でした。柏木由紀子が、昭和の大スター歌手であった夫・坂本九と出会ったのは、1970年に放送開始されたドラマ「細うで繁盛記」の撮影所。柏木由紀子に一目ぼれした坂本九の猛アプローチの末に交際がスタートし、1971年にめでたく結婚となりました。家事を全くやったことがなかった柏木由紀子に、坂本九は、常に笑顔を絶やさなかったといいます。

結婚後は女優活動を減らし、坂本九の歌手活動と、福祉活動を支えてきた柏木由紀子。「24時間テレビ・愛は地球を救う」で活躍する傍ら、1973年、1976年と2人の娘に恵まれ、結婚生活は幸せそのものでした。あの日の日航機墜落事故は、そんな、何の落ち度もない夫婦を、突然にして、一瞬のうちに引き離してしまいました。

その日の朝、「友人に会いに行く」といって家を出た坂本九は、やはり笑顔。だからこそ、柏木由紀子が遺体安置所で受けた衝撃は大きく、「なぜ夫だけ、1人で苦しんで死なせてしまったのか」と、自責の念に駆られるようになったといいます。柏木由紀子は、その時に目にした惨状を、娘たちに話すことはありませんでした。

彼女の胸に30年以上も押し込められた悲しみは、「再婚は?」と軽々しく口にできないほど、誰の想像も及ばないものだったのです。上を向いて歩こう、涙がこぼれないように……。亡き夫・坂本九の名曲は、悲しいかな、柏木由紀子の運命を知っていたかのようでもあります。「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔が他界した2016年、この曲は再び大きな注目を集めました。しかし、柏木由紀子の中では、生涯にわたって、1度たりとも鳴り止むことない夫の励ましなのです。

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