クルム伊達の夫、子供は?身長、体重、血液型や国籍は?

クルム伊達の夫、子供は?身長、体重、血液型や国籍は?

クルム伊達の夫、子供は?身長、体重、血液型や国籍は?

クルム伊達公子の夫はレーシングドライバー!その出会いの場は?

クルム伊達公子は日本女子プロテニスプレイヤーの第一人者で、1970年生まれの現在45歳です。クルム伊達公子の夫はドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルム。フォーミュラニッポンやGTカーなどで活躍したトップドライバーです。
二人の出会いは1999年。フランスで行われたルマン24時間レースにクルムが出場し、そこに当時現役を引退していた伊達がリポーターとして訪れていた事がきっかけでした。

当初友達として交際していましたが、翌年から急接近。2001年に結婚を発表しました。結婚後、子作りに励んでいましたが妊娠せず、夫婦で不妊治療を行ったものの上手くいきませんでした。現在、現役復帰した事でテニスのトレーニングとの両立は負担が大きく、不妊治療は行っていないようです。

身長、体重、血液型、国籍は?なぜ「クルム伊達」と名乗っているの?

クルム伊達公子の身長は163cm、体重は53kg、血液型はO型です。163cmですと日本人女性としては標準よりも高身長の方に入りますが、現在WTAランキングトップのセリーナ・ウィリアムズ選手が170cm70kg、マリア・シャラポア選手が188cm59kgですから、テニスプレイヤーの中では小柄な部類に入ります。

ドイツ人と結婚しましたが、クルム伊達公子の国籍は日本のまま。また現在、「クルム伊達」という姓を名乗っていますが、ご両親が「嫁いだら姓も相手に合わせるという古風な考え方」を受け継いで、入籍時にはクルム姓を選び「クルム公子」となりました。しかし、テニスで実績を重ね、世界に認知された「伊達」という姓を失った事に大きな喪失感を感じたクルム伊達公子。ドイツでは結婚した女性が両方の姓を重ねるのは珍しくない為、夫・クルム氏の理解も後押しし、家庭裁判所へ姓の変更を申し出て、「クルム伊達公子」となりました。

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クルム伊達のWTAランキング推移!全仏、全豪での成績は?

日本女子プロテニスプレイヤー史上初の4大大会ベスト4!WTAランキング最高4位!しかし絶頂期の突然の引退・・・。

クルム伊達公子は高校卒業後の1989年にプロデビュー。1989年のWTAランキング119位、1990年の79位と徐々に順位を上げ、1991年「バージニア・スリムズ・オブ・ロサンゼルス」大会で予選から勝ち上がり、準決勝で当時世界ランク3位のガブリエラ・サバティーニを破る金星を挙げて決勝進出。女王セレシュに敗れて準優勝に終わるも、その活躍で年間最終WTAランキングで32位までジャンプアップしました。

翌1992年には、「東レパンパシフィックオープン」で世界ランク5位のビカリオを破り、全米オープンで初めて4大大会のシード選手になるなどで21位に上昇。1994年にオーストラリアの「ニュー・サウスウェーあルズ・オープン」で海外初優勝。世界トップ10に躍進すると、直後の全豪オープンでクルム伊達公子は初の4大大会ベスト4進出を果たし、この年のランキングは9位まで上がりました。
翌1995年、東レパンパシフィックオープンにて決勝でダベンポートを圧倒して優勝。リプトン国際で準優勝、全仏オープンベスト4など素晴らしい成績で自己最高のWTAランキング4位まで上昇しました。

1996年、フェドカップで女王シュテフィ・グラフを逆転で破る大金星。この時の0-2からの大逆転劇は、スタンドでの松岡修造の熱烈な応援もあいまって、日本テニス史上の名勝負のうちの一つと言われています。

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ウィンブルドン準決勝でもグラフと対戦し、日没順延にもつれ込む熱戦の末惜敗。ところが激戦の中痛めた膝の故障が悪化し、海外を転々とするツアー生活やトップレベルでプレイし続けるプレッシャーに耐えきれなかったのか、クルム伊達公子は26歳の若さで現役を引退します。

クルム伊達公子、長いブランクを経て現役に復帰!

一旦現役を離れて12年の月日が経った2008年、クルム伊達公子は37歳で現役復帰しました。そのきっかけは、エキシビションマッチでグラフやマルチナ・ナブラチロワと対戦した事でした。再びテニスへの情熱が燃え上がり、12年ぶりにテニスコートに戻りました。復帰の際「引退した時はテニスのことが好きではなく、テニスと少し距離を置いていた。今は『テニスは素晴らしい』と思えるようになった」と、テニスへの愛情が復帰の要因であると語っています。

復帰後は2010年にクルム伊達公子は全仏オープン1回戦突破。39歳7ヶ月での勝利は同大会史上2番目の年長白星の記録となっています。2013年の全豪オープンでは1回戦でペトロワに勝ち、42歳の同大会最年長勝利記録を更新しました。同じ年のウィンブルドンでは42歳での同大会最年長で3回戦進出、という記録を作っています。

復帰後のシングルスでのツアー優勝は1度だけですが、ダブルスでは年の離れたパートナーとコンビを組み5勝をマーク。4大大会でも2014年にクルム伊達公子、ストリコバ組で全米オープン準決勝進出。WTAダブルスランキングでも2015年に一時28位まで上げ、その実力と経験を生かして活躍しています。

クルム伊達、競技人生懸け左膝手術を決断「引退も考えました」

クルム伊達公子は今年1月、前年秋から痛みを感じていた左膝の手術を受ける事を決断しました。当初半月板に亀裂が入っていると診断されるも、全豪オープンから帰国しMRI検査を受けたところ、その半月板が断裂していた事が判明。一度は引退も考えたようですが、そのままの状態ではリハビリに相当の時間を要し、その上膝が持つのはたった数試合。アスリートを引退したとしてもスポーツも楽しむ事が出来ないのでは、手術するしかない、とこれまでアキレス腱を断裂した時にも受けた事がなかった手術を受ける事を決めた、とクルム伊達公子はブログに記しています。

そして、2月21日、ブログでクルム伊達公子は左膝の手術を受けた事を明らかにしました。ところが当初断裂している半月板の縫合を予定していたものの、内視鏡で調べたところ予想以上に状態が悪かった為、膝内部のクリーニング手術を行うに留め、半月板の縫合は先延ばしになり、完治するには再手術が必要になりました。

このままの状態ではアスリートレベルではなくてもスポーツを楽しむ事すら出来ない、スポーツなしで人生を送るのは辛い、しかし再手術をするとカムバックするまでにさらに長い時間がかかる・・・と、再手術を受けるかどうかについてまだ逡巡しているようです。左膝は実生活を送る上では痛みはほとんどない、との事ですが、アスリートとしてまだやり残した事があるという事と、引退したとしてもスポーツ無しでは生きられないという思いから、クルム伊達公子はおそらく再手術に踏み切るのではないでしょうか。

今年で46歳となるクルム伊達公子。年齢を考えれば怪我からの復帰が果たして叶うのか、難しい局面にあるかもしれません。しかし、それまで日本人が見ることすら出来なかった舞台にクルム伊達公子が立つ事が出来たのは、彼女のたゆまぬ努力とそのチャレンジングスピリッツの賜物だと思います。だとすれば、手術後の厳しいリハビリもその精神できっと乗り越えてくれるでしょう。また、「自分の引き際は自分で決める」という姿勢もある意味クルム伊達公子らしいのではないでしょうか。

以前のような大活躍は難しいかも知れませんが、手術から見事カムバックし、再びコートの中で躍動するクルム伊達公子の姿を楽しみに待ちたいものです。

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