木村敬一は全盲のパラリンピック水泳選手!生い立ちやプロフィールは?

木村敬一は全盲のパラリンピック水泳選手!生い立ちやプロフィールは?出典:http://www.pref.shiga.lg.jp

木村敬一は全盲のパラリンピック水泳選手!生い立ちやプロフィールは?

木村敬一は日本最強の視覚障スイマーでもっとも金メダルに近い男

木村敬一は、2016年、ブラジルで開催されるリオパラリンピックで、視覚障害者の水泳において、もっとも金メダルに近い男といわれています。パラリンピックという、身体障害者によるスポーツの世界大会は、第2次大戦後、負傷して帰還した兵士のリハビリ向上をめざしてスタートしました。日本ではいち早く、1964年に行われた東京オリンピックから参加。パラリンピックの前組織から、その普及に努めてきました。

オリンピックの開催後、続けて同じ国でパラリンピックの開催が正式に決まったのは、意外に最近で、2000年のシドニーオリンピックからです。当初は、肢体不自由な人たちだけに限られていたパラリンピックも、今ではさまざまな身体障害者に門戸が開かれ、クラス分けがされていて、スポーツを行うにあたって、大きなハンデとされる視覚障害者も、多くの人が参加できるようになりました。しかし選手たちは、健常者にはうかがい知れない、並々ならない努力や自己克服が必要とされます。

木村敬一は小学4年の時に水泳で自由に運動する喜びを見つけた

木村敬一は、2008年のロンドンパラリンピック、2012年の北京パラリンピックに出場し、北京パラリンピックでは、100m平泳ぎで銀メダル(SB11クラス)、バタフライで銅メダル(S11クラス)を獲得しています。1990年、滋賀県に生まれた26歳の木村敬一ですが、2歳で、すでに全盲となっていました。

特別養護学校の4年生の時から水泳を始めた木村敬一は、小学校卒業と同時に上京して、筑波大学附属視覚特別支援学校に入学。同校の水泳部で、めきめきと頭角を現します。2009年には、日本大学文理学部に進学し、健常者と一緒の水泳サークルに入部してさらに水泳を続けた木村敬一。日本大学の博士課程を経て、現在は、東京ガスに所属しています。

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木村敬一の北京パラリンピック後の苦悩!ロンドンでメダル獲得できたワケ

木村敬一をトップスイマーに導いたのは寺西コーチと河居純一の存在

木村敬一は、視覚障害者ながらも特別水泳の才能があったというわけではありません。小さい頃は、水泳を心の糧としていた木村敬一。やがて良き指導者や目標とする先輩に恵まれたことで、スポーツ競技として水泳に目覚めたからこそ、今の彼があります。木村敬一は、特別養護学校に通っていた小学生の頃から運動神経は良かったそうで、全盲を気にするわけでもなく、投げられたバレーボールをバットで打つことが大好きな少年でした。

しかし、外で行う運動は怪我も多く、両親は、木村敬一を少しでも自由に運動させてやりたいと、週1回のスイミングスクール通いを始めます。そこで木村敬一は、健常者が暗黒の中で泳ぐことの恐怖の代わりに、自由に体を動かすことができる喜びを得ました。

そして、筑波大学付属視覚特別支援学校では迷うことなく水泳部に入部。ここで、多くの視覚障害者のスイマーを育てた寺西真人コーチと出会います。また同校の高校部には、視覚障害者水泳のトップアスリート、河居純一がいました。河居純一は、バルセロナ大会からロンドン大会まで、パラリンピック6大会に出場し、計21個のメダルを獲得した視覚障害スイマーの第一人者。

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木村敬一は、寺西コーチの指導の元、河居純一の活躍に触発され、競技としての水泳に挑むように。そして2008年、高校3年生で北京パラリンピックに出場した木村敬一は、100m自由形、100m平泳ぎで5位、100mバタフライで6位入賞を果たします。さらに、2010年のアジアパラリンピックでは、王者河居純一を制し、50m自由形で金メダルを獲得しました。

木村敬一のプレッシャーを跳ねのけた「水泳は記録との勝負」

木村敬一は、快進撃を続けたものの、河居純一に次ぐ視覚障害スイマーとしての重責が、次第に重くのしかかってくるようになりました。河居純一を抜くために励んできた2012年の北京パラリンピックでも、レース直前までプレッシャーが木村敬一を苦しめ、実際、50m自由形では5位という不本意な成績に。

しかし、大村敬一は、負けてみて初めて肩の力が抜けたのか、続く100m平泳ぎで銀メダル(SB11クラス)。バタフライで銅メダル(S11クラス)を獲得することができました。木村敬一は、北京パラリンピックでの経験から、自分の水泳は、メダルを取るためや先輩を超えることではなく、あくまで「水泳は記録との勝負」、つまり自己との闘いであることに気付いたのです。

木村敬一ブラジルリオパラリンピックへの道

木村敬一は、2014年秋、韓国仁川で開催されたアジアパラ競技大会に、日本水泳陣のキャプテンとして出場し、50m、100m自由形、100m平泳ぎ、100mバタフライで優勝し、4冠を達成しました。そして、2016年7月に開かれた、リオパラリンピックの選考会にも出場した木村敬一。100mバタフライにて1分1秒61で、アジア・日本記録を更新する快挙を成し遂げます。

さらに、100m自由形では、59秒56で、日本記録を更新。100m平泳ぎは、1分12秒88で、自己ベストにせまりました。この3競技への出場は、リオパラリンピックを前にして、世界トップとの記録の差を見極めておく意図もあったそうです。水泳は記録との勝負と悟った木村敬一ですが、どんなに記録に集中しても、心の中ではさまざまな不安がよぎります。

リオパラリンピックを前に、木村敬一は、専門家の指導を受け、免疫力の変動を計測して、強い肉体作りを目指し、1日5食で体も大きくして、倒れ込むほどの筋力トレーニングや泳ぎ込みを続けています。オリンピックであってもパラリンピックであっても、一流のアスリートたちに共通していえるのは、誰よりも努力し、自らの持つ記録を更新していく強い肉体と精神力を持っているということなのでしょう。ガンバレ日本!ガンバレ木村敬一!

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