Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/diagonal/anincline.com/public_html/wp-content/plugins/head-cleaner/head-cleaner.php on line 2895

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/diagonal/anincline.com/public_html/wp-content/plugins/head-cleaner/head-cleaner.php on line 2895

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/diagonal/anincline.com/public_html/wp-content/plugins/head-cleaner/head-cleaner.php on line 2895

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/diagonal/anincline.com/public_html/wp-content/plugins/head-cleaner/head-cleaner.php on line 2895
岸田繁(くるり)のTwitter発言がたびたび話題!性格に問題ありという噂

岸田繁(くるり)のTwitter発言がたびたび話題!性格に問題ありという噂

岸田繁(くるり)のTwitter発言がたびたび話題!性格に問題ありという噂出典:http://matome.naver.jp

岸田繁(くるり)のTwitter発言がたびたび話題に!性格に問題ありという噂

岸田繁(くるり)のTwitter発言がたびたび話題!「レコード会社の犬」発言

岸田繁はロックバンド・くるりのボーカリスト兼ギタリストで、くるりのフロントマンでもあります。くるりの大半の楽曲の作詞・作曲を担当し、ギター以外にも、さまざまな楽器の演奏をこなす多才ぶりを発揮している岸田繁ですが、最近、公式Twitterでの口の悪さや歯に衣着せぬ内容が話題となっています。

たとえば、2016年10月のツイートでは、CCCD(コピーコントロールCD)問題について憤りを見せていました。「CCCDの時レコード会社の犬状態やったアーチストのことは全員覚えている」と切り出した岸田繁。どうやら手持ちのCDの中からCCCDを見つけて、当時の苛立ちが再燃してしまったようです。

CCCDとは、まだ音楽配信の技術が発達していなかった頃に、CDの内容をパソコンに取り込んだり、デジタルコピーしたりすることを防ぐ目的で導入されました。従来のCDの内容がコピーされ、インターネット上で不法に共有されることが、著作権的にも商業的にも問題視されたことへの対策です。

スポンサーリンク

しかし、CCCDは、従来のCDのような規格の統一が図られておらず、各メーカーがそれぞれの手法で製造している上、技術も完成されていませんでした。そのため、オーディオ機器で正常に再生されない、再生機器が故障する、音質が劣化する等の問題が、導入当初から指摘されていました。

とはいえ、商業的な問題でCCCDを導入する大手レコード会社は多く、レコード会社に逆らえずに、自身の作品にCCCDの導入を許してしまったアーティストも少なくありませんでした。そんな中で岸田繁は、自分の耳で従来のCDによる音質とCCCDの音質とを聴き比べ、CCCDで音質が劣化する事実とその原因を確認して、レコード会社と「クビ覚悟で戦ってた」と言います。

アーティストとして「結局出したらあかんモンを出したら負け」と断言する岸田繁。たしかに、一部の言葉遣いは悪い印象は受けますが、岸田繁の音楽へのこだわりが包み隠さずあらわれているともいえます。岸田繁の譲れない部分と、社会の流れとの間に摩擦が生まれ、それでも戦い続けるその姿勢から出る言葉が、他の人たちには過激に響くのかもしれません。

スポンサーリンク

岸田繁(くるり)の性格に問題ありという噂!きつい言葉に隠れる音楽への誠実さ

岸田繁がフロントマンを務めるバンド・くるり。くるりは、その音楽性の高さや柔軟さとともに、メンバーの入れ替わりが激しいことでも有名です。2016年に結成20周年を迎えたくるりにいるオリジナルメンバーは、岸田繁と佐藤正史のみ。こんなにもメンバーの入れ替えが激しい原因を、岸田繁の性格に帰す人たちも多くいます。

岸田繁のTwitterを見ると、はっきり意見を述べている箇所では言葉がきつくなっていることが分かりますし、くるりや岸田繁のファンの中でも、彼の性格を問題視する声があることは事実です。しかし、メンバーが辞めたタイミングをみると、バンドの音楽性が変化し始めた時期が多いと指摘する声も。

くるりは、もともとロックバンドとしてよくある編成でデビューしました。しかしその後デジタルサウンドの積極的な採用や、クラシック音楽との融合を図るなど、音楽性の大きな転換期を何度も迎えています。そうした転換期に、一部のメンバーが置き去りにされてしまったのでしょう。岸田繁にとって、またくるりにとって、その音楽はメンバー本位ではなく、あくまで楽曲本位だということです。

岸田繁は、サウンドトラックを担当した映画「まほろ駅前多田便利軒」でも、その強いこだわりを見せました。役者の声のトーンや、台詞が言われる文脈に対して、曲の和音やリズムを調整し、台詞の方向付けを音楽でするなど、非常にテクニカルな計算高さが発揮されています。

「楽曲はずっと残っていく、バンドにとっては背骨のようなもの」と語り、楽曲本位で活動しているくるり。岸田繁は、もし楽曲が自分の声を必要としていないのであれば、自分が歌う必要もないとまで言い切っています。

岸田繁(くるり)の結婚や子供、実家は?出身校とプロフィール!

岸田繁(くるり)の結婚や子供、実家は?父方の家訓「外へ出ろ」

岸田繁は、2000年5月に、一般人の女性と結婚しています。相手がどのような女性か、現在はどうしているのか、子どもはいるのか等の詳細は分かっていませんが、結婚式で「春風」という曲が歌われたという話は有名。「春風」は、くるりがインディーズ時代から演奏している楽曲であるにもかかわらず、アルバムには収録されておらず、「はっぴいえんど」へのオマージュとして作られた曲とのことです。

そんな岸田繁のルーツが、NHKの番組「ファミリーヒストリー」で紹介されました。岸田繁の実家は、江戸時代から、代々仏具製作を生業としてきた家系。跡取りがいないということで、岸田繁の曾祖父が養子に入るのですが、なんと仏具店を継がずに、パン屋を始めてしまいます。しかしそれが成功して、岸田家は大地主となりました。

その息子である岸田繁の祖父・藤一は、結婚後に出征し、戦地で気象観測手を務めたといいます。終戦後は捕虜となり、マラリアに羅患してしまい、昭和21年に帰国しました。帰国した藤一は、岸田繁の父・昭夫を含む幼い息子たちに、「学校を卒業したら、外へ出ろ。日本にいたらあかん」と言い続けたといいます。

息子たちはその言葉通りに外国へ渡り、昭夫も中国に赴任。岸田繁自身も、父・昭夫から「外国へ行け」と言われていたそうで、もはや家訓のようなものになっているようです。
岸田繁の両親は年4回のお墓参りを欠かしません。自分のルーツを知った岸田繁も、「お墓参りに行かなきゃ」と、うなずいていました。

岸田繁(くるり)の出身校とプロフィール!くるりの前身は大学サークルのバンドだった

岸田繁(くるり)は、1976年4月27日、京都府京都市に生まれました。父のクラシック好きに影響を受けて、幼少の頃から音楽に親しみ、京都交響楽団の公演を一緒に見に行ったといいます。

学習塾でいじめに遭ったことがきっかけで中学受験をした岸田繁は、立命館中学校に入学。その頃からロックに興味を持ち始め、レッド・ツェッペリンなどをコピーしながらギターの技術を上げ、高校1年生の時に、佐藤正史と出会います。1995年に立命館大学商業社会学部に入学した岸田繁は、音楽サークル「ロックコミューン」に入り、そこで佐藤正史とバンドを組みます。これが後のくるりの前身となりました。

サークルで初期くるりのメンバーとなる、森信行(ドラム)や、大村達身(リードギター)とも出会っています。くるりが正式なバンド名となるのは、1996年9月の、アマチュアバンドコンテスト出場して、優勝を勝ち取ったときです。1997年11月に、Bad News Recordsからインディーズ1stミニアルバム「もしもし」、2ndミニアルバム「ファンデリア」をリリース。翌1998年には、SPEEDSTAR REDORDSから「東京」をリリースしてメジャーデビューを果たしました。

くるりを率いる岸田繁は、2011年に、映画「まほろ駅前多田便利軒」で音楽を担当し、初めてソロ名義の作品を発表。2016年には、60周年を迎える京都市交響楽団のために、30分を越える交響曲を書き下ろし、2016年12月に京都での初演が決定しています。また、現在は、京都精華大学の客員教員として、岸田繁は、大学で教壇にも立っています。

岸田繁(くるり)のせいで「くるりはブラック企業」?楽曲本位のくるりの一貫した姿勢とは

岸田繁率いるくるりの多すぎるメンバーチェンジを見て、くるりは「ブラック企業」だと噂されるようにもなってしまいました。2016年10月現在、くるりは8期目となっており、岸田繁自身も、ファンから「また自分勝手に辞めさせた」と批判を受けたり、炎上したりしたことすらあるといいます。しかしその実情は、必ずしも岸田繁の「自分勝手」とも言い切れないようです。

結成当初のメンバーであるドラムの森信行については、その脱退の原因は、彼の熱意の不足にあったとのこと。技術は、岸田繁・佐藤征史より高かったものの、プロデビューしたてのくるりは、決してプロらしいパフォーマンスができているわけではありませんでした。

そこを新人ならではの熱意でカバーしようとしますが、森信行はうまくのれなかった様子。解決策として、ギタリストの大村達身を迎えるも、結局上手くいかずに脱退となってしまいます。これについては、森信行自身も「浮かれてたのかもしれない」「戦っていくというような感覚というのがあまりなくて」と振り返ります。それが分かり始めたのは、くるりを脱退して、バンドサポートをやるようになってから。「ああ、なるほど」と感じたそうです。

また、2人目のドラマーであるクリストファーについては、岸田繁も、彼によってくるりの音楽がとても良くなったことを認めつつも、クリストファーの精神的な不安定さが深刻な事態となり、解雇に至ったと説明します。岸田繁は、「本当にひどい状態になる前に、もうちょっとコミュニケーションとれてたら」と、クリストファーの当時の心中を思いやり、悔やんでいました。

そして2006年の末には、大村達身も脱退。これはくるりの音楽性の転換によるといいます。一般に、バンドでは、コードを基本として演奏することの多いギター。岸田繁の曲作りも、最初はコード主体であったものの、クラシック音楽との融合を模索する過程で、メロディ主体に。そのため、ギタリスト・大村達身にとっては、非常にやりにくい環境となってしまいました。岸田繁が作品重視のアーティストであったため、結果として、大村達身が身をひくこととなっています。

近年では、2011年に、田中佑司、吉田省念、ファンファンが加入するも、田中佑司は、メンバー同士のコミュニケーションを理由に半年で脱退し、吉田省念も2013年にシンガーソングライターとして独立します。

くるりの激しい出入りは、岸田繁の性格が原因といえばその通りかもしれません。しかし、それは、彼の音楽に対する誠実さと柔軟性のあらわれであり、決して「お前の性格が気に入らないから」とか、「俺の言うことをきかないから」という自分勝手なものではありませんでした。メンバーチェンジを経ても、くるりの楽曲本位の姿勢が徹底されていることで、対応できないメンバーが去って行くというのが実情です。

そんな紆余曲折のあったくるりですが、2016年は結成20周年。2016年9月14日に、オールタイムベストアルバム「くるりの20回転」が発売されています。また、くるりの結成からこれまでをロングインタビューで振り返り、関係者などの証言も豊富に盛り込まれた書籍「くるりのこと」も9月16日に発売。

くるりの音楽性の転換で一度は彼らの音楽から離れてしまった方も、ずっとくるりを見守り続けてきた方も、あるいは一度もくるりに触れたことのない方にとっても、岸田繁の音楽に対する真摯さと、くるりの絶えざる向上心・柔軟性に学ぶことがたくさんありそうです。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る