木山裕策「home」の歌詞が感動的!病気から奇跡の紅白出場へ!

木山裕策「home」の歌詞が感動的!病気から奇跡の紅白出場へ!

木山裕策の代表曲「home」の歌詞が感動的と話題!視聴者の感想は?

木山裕策といえば、2008年の紅白歌合戦に初出場し、デビュー曲の「home」が大ヒットした歌手です。
木山裕策の「home」が生まれたのは、デビューを決めた歌番組『歌スタ!!』でのこと。平井堅の「瞳を閉じて」や、ビリージョエルの「Piano Man」を熱唱した木山裕策は、審査員として参加していた多胡邦夫の目に留まることになります。

その後、デビュー曲である「home」を完成させ、フルコーラスで熱唱したところ、木山裕策の歌唱力もさることながら、「home」の歌詞に感動した人々から、「番組史上最高の感動を与えてくれた」と大絶賛。こうして、歌手・木山裕策のデビューが決定し、紅白出場にまで至ったのです。

木山裕策の作った「home」のテーマは、『家族の愛』。純粋かつストレートに、家族の大切さや、そこにある日常を大事にしようという思いが歌詞となり、木山裕策の歌声に乗せて綴られる物語は、胸を打つものがあります。
木山裕策の「home」を聞いた人たちからは、「心が温まる」「疲れた時に聞くと癒される」といった感想が寄せられ、レコチョクでの評価も星5つに対して4.7個とかなりの高評価。

木山裕策の「home」を、クリスハートや一青窈などがカバーしていることからは、アーティストの中でも評判の良い曲であることが分かります。
紅白歌合戦にも出場した木山裕策の「home」。聞いたことない方がいらしたら、聞いてみてはいかがでしょうか。家族の在り方について考えさせられること間違いなしです。

木山裕策はがんを患っていた!!病を克服し、紅白出場を果たした奇跡!

木山裕策が紅白歌合戦に初出場したのは、デビューした2008年の12月31日です。
木山裕策が歌手を目指そうと思ったきっかけの1つに病気がありました。それは、2004年のこと。
左側の甲状腺に悪性の腫瘍が発見され、全摘出を余儀なくされた木山裕策。しかし、全摘出するにあたっては、大きなリスクがあったといいます。それは、「反回神経」という神経を傷つけてしまうということでした。「反回神経」は、声帯につながる神経なので、傷ついてしまうと、声が出なくなる恐れがあったのです。

しかし、木山裕策が臆することはありませんでした。むしろ、「手術の後に声が出るのなら、もう一度歌ってみよう」そう思ったそうです。手術は成功し、リハビリの末半年後には喉も回復。木山裕策は再び歌声を取り戻し、自身がデビューするきっかけとなる『歌スタ!』へ出場することとなります。

「自分の声をCDにして子供たちに聞かせたい」、そんな思いも、木山裕策の中にはありました。「home」には、木山裕策の人生のすべてが詰まっていると言っても過言ではないでしょう。「この一曲を何が何でも世に出したい」、それは、『歌スタ!』で木山裕策に出会った人、全員一致の答えでもありました。

病を乗り越え、厳しいリハビリの結果、紅白出場まで果たした木山裕策。今後も家族を大切にしながら、ファンのため、子供たちのために歌い続けていくことでしょう。

木山裕策の会社はリクルート?出身高校、大学、プロフィールは?

木山裕策は一般企業に就職していたサラリーマン!!その会社はリクルートだった?

木山裕策が、実は、一般企業のサラリーマンということをご存じでしょうか。インターネット上の噂では、木山裕策が働いているのは、大手企業リクルートではないかといわれています。実際のところは、勤め先がリクルートというのは噂止まりのようで、確かなことは、木山裕策が、求人サイト中の広告を担当しており、役職が課長だということだけです。

会社員と歌手活動という二足のわらじを履くことを選択したのは、大切な家族もいる中、がんという大病を患った経験を持つ木山裕策が、夢だった歌手を目指す一方で、安定した収入を得ることも重視しているためかもしれません。木山裕策は、家族のため、ファンのために、人一倍頑張っています。

木山裕策の出身高校・大学はいったいどこなの?プロフィールを紹介!

木山裕策は、1968年生まれの大阪出身で、高校教師の父親と、美容師の母親の間に生まれました。出身高校は、大阪府立大手前高等学校で、大阪外国語大学外国語学部へ入学し、スペイン語を専攻していたそうです。大阪外国語大学時代にバンドを結成し、ボーカルを担当していた木山裕策。

もっともよく歌っていたのは、『歌スタ!!』でも披露したビリージョエルの曲です。バンドでメジャーデビューする夢を断念した後は、シナリオライターを目指しながら生活するも、こちらもうまくゆかず断念。その後、会社員となり結婚した木山裕策。その後は順風満帆にいくと思いきや、甲状腺に悪性の腫瘍があることが発覚し、手術を受けることになりました。

その後、病を乗り越え、歌が歌える喜びと、家族を大切に思う気持ちを込めたデビュー作「home」を引っ提げ、紅白出場を果たすまでとなったのは有名な話です。
、自身の事を綴ったエッセイ「home 家族と歌が僕を守ってくれた」も発売されるなど、2008年は、まさに木山裕策イヤーとなりました。

木山裕策は会社員と歌手2つの顔!そんな木山裕策が一年主夫をしていた理由とは!?

木山裕策は、主夫をしていた時期が1年間あるといいます。木山裕策が主夫になったのは、四男が幼稚園の年長さんに上がったころのことです。もともとは、木山裕策の妻も働いていたのですが、3年おきに子供が生まれていたため、10年ほどブランクができてしまい、なかなか就職できていないでいました。そこで、木山裕策が専業主夫をする代わりに、妻が条件の良い仕事を探して働くという形をとったようです。

木山裕策が専業主夫を選んだ最大の理由は、子供たちと一緒にいたかったから。自身の子供だからこそ、自分で子供をきちんと育てたいという思いがあったそうです。
木山裕策が専業主夫として活動しはじめて気づいたことに、「3食食べて昼寝付きは嘘」ということがありました。もう1つ、「評価をされなくなったこと」も。

実際に専業主夫をやってみると、洗濯・掃除・買い物に、子供の幼稚園や学校のことなど、専業主夫には休む暇がほとんどなかったといいます。また、仕事をしているときとは違い、世間から「評価される」ということがなくなることにも直面し、それまで頑張り通してきた妻のありがたさにあらためて思い至ったそうです。
専業主夫の経験も持つ木山裕策だからこそ見える家族の意味や大切さは、「home」はもちろん、これからの木山裕策作品にも色濃く反映され、私たちを感動させてくれるに違いありません。

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