清原和博覚せい剤・番長伝説!エピソード集!!驚きの年俸、成績推移は?

清原和博覚せい剤・番長伝説!エピソード集!!驚きの年俸、成績推移は?

2022年3月28日 更新

清原和博の覚せい剤・番長伝説!エピソード集!!驚きの年俸、成績推移は?

清原和博 覚せい剤・番長伝説と破天荒なエピソードの数々ドラフトで振られたジャイアンツ見返す

西武ライオンズ、読売ジャイアンツなどで中心打者として活躍した清原和博。PL学園高校時代から、超高校級スラッガーとして抜群の長打力と存在感を発揮し、残したエピソードは数知れず。ジャイアンツ時代には「番長」のニックネームでも親しまれ、清原和博のエピソード集は「番長伝説」とも呼ばれて伝わっています。

有名なのは、ドラフト会議でジャイアンツに指名されず、失意のあまり涙する姿を母親に「あんたが勝手に惚れて勝手に振られたんやろ!男やったら潔くあきらめて見返したらんかい!!」と一喝され、プロ入りしたらジャイアンツを絶対に見返してやると誓ったエピソード。その後日談として、プロ入り2年目の日本シリーズで因縁のジャイアンツと対戦、決着直前に涙する清原和博の姿がテレビ中継で全国に流れたのは有名です。

そんな逸話とは裏腹に、豪快なエピソードが多いところも清原和博たるゆえんかも。たとえば、両耳につけたダイヤモンドピアスは総額400万円相当だとか、取材で隠れていた週刊誌記者を強引に夜の街に飲みに連れていくとか、キャンプ取材で白いスーツに黒い革靴で現れる、プロ入り1年目の愛車はBMW(約970万円)で2年後にはフェラーリテスタロッサ(約2600万円)に買い替えた……などなど破天荒なエピソードの番長伝説は尽きません。一般人には不可能な行いだと申し上げておきましょう。覚せい剤の使用はこの頃は無かったと信じたいものですが。

清原和博 年俸、成績の推移 最高のスタートも5年目境に成績は伸び悩み

清原和博のプロでの通算成績は、22年間で2338試合に出場し、7814打数2122安打で打率2割7分2厘。525本塁打1530打点、196死球、1955三振というものです。死球と三振はプロ野球最多……。全体的に決して見劣りはしませんが、高校時代の通算64本塁打や、プロ入り1年目に残した31本塁打が鮮烈なためか、清原和博の成績はどこか平凡に見えてしまいます。

プロ入り1年目には126試合出場して404打数123安打、打率3割4厘、31本塁打78打点という上々のスタート。清原和博は、高校卒ルーキーでは最多本塁打を記録しています。最高のデビューをかざった清原和博は、5年目ごろまでは順調に成績を重ね、年俸もうなぎのぼり。

チーム日本一奪回に貢献した5年目の1990年はキャリアハイの成績で、129試合出場560打数134安打で打率3割7厘、37本塁打94打点と本塁打、打点はタイトル射程圏内でしたが惜しくも無冠。その活躍が認められ、翌6年目には年俸1億円の大台に達し、1年目の年俸600万円と比べて大幅にアップしています。

それ以降、西武ライオンズ時代は1992年の打率2割8分9厘、36本塁打96打点が最高で伸び悩みが続きます。しかし、「西武の顔」としての価値が認められ、清原和博の西武最終年の1996年には年俸2億4000万円に達していました。

読売ジャイアンツに移籍してからの成績は2001年に134試合打率2割9分8厘、29本塁打121打点と打点タイトルに肉薄したのが最高で、年俸は3億~4億5000万円で推移しています。最後のオリックス時代の成績は見る影もないのですが、それでも年俸は2億5000万円~1億5000万円の間でした。

清原和博 桑田真澄、松井秀喜、落合博満との微妙な関係!?現在、今後の仕事は?

清原和博 桑田真澄や松井秀喜とは認め合いつつも確執 元師匠落合博満とは犬猿関係

清原和博は、チームメイトでもあった桑田真澄や松井秀喜、そして落合博満との確執が噂されていますが、実際はどうだったのでしょう?まず、PL学園高校時代から「KKコンビ」と並び称された桑田真澄との関係ですが、1985年のドラフト会議で清原和博はあこがれの読売ジャイアンツから指名されることなく西武ライオンズに入団したのに対し、桑田真澄には読売ジャイアンツから指名。

これで、絶縁状態となったとされています。のちに、清原和博はFA権を行使し読売ジャイアンツに入団、桑田真澄との「KKコンビ」再来となります。しかし、今も互いに認めるところはあるようですが、確執ともとれる関係にあります。そして、松井秀喜との関係ですが、FAで読売ジャイアンツに入団した清原和博とは、コンビで打線の中心となります。

親分肌の清原和博に対して、松井秀喜は温厚なタイプ。ジャイアンツを去って大リーグ入りした松井秀喜に、清原和博は快く思っていなかったともされています。しかし、根本では肌が合わなかったようですが、清原和博、松井秀喜ともに、お互いの能力は認め合っています。

そして、落合博満とは、かつては師匠と弟子といえる間柄でした。清原和博がプロ入りした当初、落合博満に指導を乞うことも少なくなかったといいますが、それが確執に変わったのが清原和博のジャイアンツ入りの時。当時、ジャイアンツの4番だった落合博満は、監督の長嶋茂雄に清原和博獲得を進言。その際、清原和博を三塁手で起用することを提案しますが、ジャイアンツには受け入れられず、落合博満はジャイアンツを去ります。

清原和博にすれば、プロでキャリアを重ねてきたのに、落合博満に弟子扱いされるのが煩わしかったのかもしれません。それ以来、清原和博は、落合博満との犬猿関係は根深いとされます。プロの世界では、力量のある者どうしが蜜月関係になるのは困難なのでしょうか。

清原和博 現在と今後の仕事は?ケイダッシュのサポートでタレントとして再起?

華やかなプロ野球現役生活とは裏腹に、見る影もないありさまの現在の清原和博。最近は、テレビ出演が激減し、連れ添った妻とも離婚。仕事もなくなり、地方のパチンコ店営業や、四国霊場八十八カ所のお遍路に挑むなどの様子が報道されるまでに落ちぶれていました。

そんな清原和博ですが、最近は、徐々に仕事が増えてきているようです。これは、芸能事務所ケイダッシュのサポートがあったからだといわれています。ケイダッシュは、渡辺謙をはじめ、数々の俳優・タレント・芸人・アーティスト・モデルを抱える、芸能界でも最大手の事務所として有名。

サポートの一環として、ケイダッシュの川村龍夫会長が、親しいスポーツ新聞の記者に、清原和博の遍路道中を記事にするよう頼んだといういきさつがあったようです。川村会長といえば、アントニオ猪木とも親しく、小川直也、石井慧、新庄剛志といったアスリートたちをサポートしてきたことでも知られます。

その経験から、清原和博の扱い方も十分わかっているでしょう。しかし、肝心の清原和博は今や悪名高きトラブルメーカー。これまでにも入った仕事をぶち壊しにした前歴は数知れず。ケイダッシュが後ろ盾になれば、タレントとして再起もありえますが、清原和博本人が態度を改めて仕事に臨まなければ、「最後通告」が待っていることでしょう。

清原和博が入れ墨認めるも覚せい剤使用は否定!「入れ墨は犯罪じゃない」と力説

先日、民放のバラエティー番組に出演した清原和博。巷をにぎわしている身体の入れ墨は認めたものの、薬物疑惑はきっぱり否定。今後は、監督やコーチなど指導者として野球界に戻りたいとの希望を明かしました。居酒屋でMCのダウンタウン、坂上忍とぶっちゃけトークを繰り広げた清原和博。坂上忍から「入れ墨あるんですか?」と直球の質問が来ると、首元をチラ見せして「あります。」と肯定(本放送では、入れ墨は「自主規制」の文字で隠された)。

その理由を聞かれた清原和博は「小さい頃からの憧れ」と回答しています。そして野球界復帰の思いを漏らす清原和博に、絶句するMC連。そんな雰囲気を意に介せず「東国原さん、フライデー襲撃事件とかで逮捕されたけど、知事になれる」と元宮崎県知事の東国原英夫を引き合いに出し、「(入れ墨は)犯罪じゃない。ぼくは真っ白ですよ!」と力説。

唖然とする一同の中、浜田雅功が「クスリやってんの?」と、肝心の薬物疑惑に斬り込むと、清原和博はやや口ごもりながらも「風邪薬はやりますけど」と否定。「うらみつらみ買ってるんですよ。そいつらが(清原が薬物やっていると)言うんですよ。(薬物はやって)ないです」と語り、情報源について見当がついているようでした。

清原和博の言動を見る限り、薬物疑惑はともかくとして、倫理観が著しく欠落しています。今後、徐々にテレビなどへの露出が増えてくることも予想されますが、入れ墨を消し言動を改めないことには、野球界から指導者の声はかからないでしょう。

かつては、王貞治の本塁打記録を破る大器と期待された清原和博ですが、野球界で後進を育てることなく終わってしまうのでしょうか。行いを改めて、指導者として再出発してほしいものです。このような姿は二度と見たくないと思うファンは多いはずです。

関連記事

ページ上部へ戻る