小池百合子と小泉純一郎は結婚寸前だった?サリーのコスプレが衝撃!

小池百合子と小泉純一郎は結婚寸前だった?サリーのコスプレが衝撃!

2022年7月20日 更新

小池百合子と小泉純一郎は結婚寸前だった?サリーのコスプレが衝撃!

小池百合子は小泉純一郎と結婚寸前だった?手作り弁当が繋いだ仲

小池百合子が、ついに都知事選への出馬を表明しました!外添要一前都知事の辞職に伴い、次の都知事への動きが高まる中、「ノーコメント」の姿勢を貫いていた小池百合子でしたが、「崖から飛び降りる覚悟で臨む」との決意を語っています。小池百合子の名を世に知らしめたのは、何といっても、2003年の第1次小泉内閣第2次改造内閣において、環境大臣として初入閣したことです。

環境大臣は、第3次小泉改造内閣まで務め、2006年に発足した安倍政権では、防衛大臣に起用されました。「今の小池百合子があるのは、小泉純一郎前総理のおかげ?」そんな声が囁かれる中で、「実は小池百合子と小泉純一郎は結婚寸前だった!」との怪情報も。実は小泉政権時代、独身の小泉純一郎を気遣ってか、小池百合子は、首相官邸に手作りの弁当を届けていたそうです。

その心配りに、「小池百合子さんと結婚してくれたらいいのに」と小泉純一郎の姉・信子が言ったのが、「結婚説」の出どころ。実際に、小泉純一郎も、小池百合子には、「進次郎を頼む」との絶対の信頼を置いているようで、2人の関係は今もって良好なようです。

小池百合子がハロウィンで披露「魔法使いサリー」のミラクル衝撃的コスプレ!

小池百合子は、今、ポスト外添として時の人となっています。そんな小池百合子ですが、昨年の「池袋ハロウィンコスプレフェス2015」で、衝撃のコスプレ姿を披露していました。オープニングセレモニーに登場した小池百合子は、アニメ『魔法使いサリー』の主人公・サリーちゃんのコスプレ衣装に身を包み、「こんにちは~!魔法使いユリーです!」と、集まった人々にアピール。

観客席からは、「可愛い~」との大声援がわきました。このハロウィンのセレモニーは、「再開発で若者が多く集うようになった豊島区と池袋を、コスプレを通して、世界へと発信できる国際カルチャー都市にしていきたい」との豊島区長の一声で開催されたもの。小池百合子も、豊島区長の熱意に共感して、参加を決めたのだとか。しかしながら、サリーに対し、「百合子」をもじっての「ユリ―」とは、今もって美貌衰えずスタイル抜群の小池百合子だからこそできたミラクルな衝撃的コスプレですよね。

小池百合子の父親がアラビア語習得のきっかけ!経歴、プロフィールは?

小池百合子がアラビア語を習得したきっかけは父親?小池家の家訓とは?

小池百合子の父方の祖父は、20世紀の初頭にアメリカのシアトルで貿易を学び、神戸に会社を立ち上げたパイオニア。小池百合子の実父も、祖父の意志を引き継いで、神戸で石油関連の会社を経営し、中東や欧米諸国を飛び回っていました。「国家の基本はエネルギーだ」などと、エネルギー関連の話題や中東情勢が日常会話だった海外志向の強い小池家。そんな非日常的ともいえる家庭環境の中、「アラビア語を習得したい!」と、小池百合子の好奇心がムズムズと動き出しました。

しかしながら、当時は、中東といえば「戦争」のイメージしか情報のなかった時代。カイロに留学したい旨を恐る恐る両親に切り出したところ、「それは面白い!」と反対するどころか、手を打って大賛成。そこには、「人とは同じことをするな。日本という安心な国に甘んじないで、どんどん挑戦しろ!」という小池家の家訓がありました。

小池百合子の経歴とプロフィールは?

小池百合子は、1952年7月15日、兵庫県芦屋市に生まれの63歳。甲南女子中学・高校在学中には、ソフトボール部やテニス部、得意な英語を生かしてESS部にも所属するなど、文武両道に長けた利発な少女時代を過ごしました。高校を卒業した小池百合子は、関西学院大学・社会学部に進学しますが、「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という旨の書かれた新聞記事を読んだことがきっかけで、アラビア語に興味を抱きます。

アラビア語の通訳になりたいとの思いから、1971年9月に関西学院大学を中退して、エジプトに留学した小池百合子。カイロ市内のアメリカン大学カイロ校にてアラビア語を修学し、カイロ大学に進学します。1976年10月に、カイロ大学・社会学部を首席で卒業した小池百合子は、アラビア語通訳として、会見のコーディネーターやインタビュアーなどで活躍。日本テレビ『竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスターを務めたことがきっかけで、1988年より、テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』の初代キャスターに抜擢されました。

小池百合子の「誰もやらないのなら、私がやってみよう!」果たして日本初の女性総理になれるのか?

小池百合子が、『ワールドビジネスサテライト』のキャスターから転身し、政治の世界に踏み込むきっかけとなったのは、番組のゲストに、当時日本新党だった細川護煕元総理を迎えたことでした。その後、「日本新党から出馬して欲しい。駄目なら誰かを紹介して」と頼まれた小池百合子は、友人たちに声を掛けますが、全員の答えは「ノー」。悩み抜いた末に小池百合子が出した答えは、「誰もやらないのなら、私がやってみよう」でした。

それまでの仕事から一転、批判する立場から批判される立場になった小池百合子でしたが、出馬を決めた時の気持ちは、「人の批判ばかりしていても物事は動かない。それなら自分がやるしかない」この一念だったそうです。実は、小池百合子の高校在学中に、父親の小池勇二郎が、石原慎太郎の「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、衆議院議員総選挙に立候補したことがありました。

結果は落選でしたが、この時の父の挑戦こそが、小池百合子の出馬に少なからず影響を与えた気がします。幼い頃から、世界を飛び回る父の背中を見て育ち、「人と同じことをせずに挑戦しろ」との信念を貫いた小池百合子の父親。政治の世界に踏み込んだのは、そんな家庭環境で育った彼女ならではの決断だったのではないでしょうか。

政治家としてキャリアを重ね、今回都知事選への立候補を正式に表明した小池百合子。もしかすると、都知事選出馬というのは単なる伏線なのかも知れません。「誰もやらないのなら、私が日本初の女性総理になる!」……小池百合子の虎視眈々たる心の声が聞こえてくる気はしませんか?

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