KONISHIKI(小錦)と元嫁の離婚理由!現嫁・千絵や子供は?

KONISHIKI(小錦)と元嫁の離婚理由!現嫁・千絵や子供は?

KONISHIKI(小錦)と元嫁の離婚理由とはなにか?!

KONISHIKI(小錦)は、大相撲で大関まで務めた力士です。ハワイオアフ島出身の陽気なキャラクターで、NHKのEテレ「にほんごであそぼ」では、コニちゃんとして親しまれています。そんなKONISHIKIには、離婚経験があります。気になる離婚理由ですが、KONISHIKIの元妻は、どうやらあまり結婚に乗り気ではなかったのではという情報が。

KONISHIKIの強いプッシュと、周りからの後押しもあって、1992年に結婚に至りましたが、結婚式で流した元妻の涙は、本当に結婚が嫌だったからなどという噂も……。当時、現役モデルだった元妻は、相撲部屋の女将さんになるつもりはなく、仕事を続けたかったようです。1998年、KONISHIKIは現役を引退して佐ノ山を襲名しますが、わずか4カ月ほどで相撲協会を退職して、タレントになります。これも元妻への配慮だったといわれていますが、2人の溝は埋まらなかったのか、2000年に、KONISHIKIと元妻の離婚が成立しました。

KONISHIKI(小錦)と現嫁・千絵の関係!子供はいるの?

KONISHIKI(小錦)は、現在、再婚しています。KONISHIKIと結婚した現妻の名前は千絵。ネットにも、仲良さげなツーショットの写真がいくつもアップされていますが、どれを見てもラブラブなムードに溢れています。KONISHIKIと現妻・千絵は、2001年に交際をスタートさせて、2004年に結婚。ちなみに現妻・千絵も、元嫁と同じく、元モデルということで、スタイル抜群で、かなりの美人さんです。

結婚後何年たってもアツアツなKONISHIKIと現妻・千絵ですが、2人の間に子供はまだいません。KONISHIKIは、現役時代の過激な取り組みが原因で無精子症との話もありますが、現在もあきらめずに不妊治療を続けているそうです。

KONISHIKI(小錦)の大関優勝回数は?現役時代の体重と現在!

KONISHIKI(小錦)大関に昇進した力士!優勝回数は?

KONISHIKI(小錦)は、大関として過去3回の幕内優勝をしています。1987年5月、大関に昇進したKONISHIKIは、2年を過ぎた1989年11月に、大関として初優勝を飾りました。その後は、1991年11月と、1992年3月にも優勝していますので、合計3回となります。この大関として3回の優勝という記録は、1位である魁皇の5回に続く、2位の成績で、千代大海とも並ぶ快挙です。優勝以外にも、幕内では、技能賞を1回、殊勲賞を4回、敢闘賞にいたっては5回も獲得しているKONISHIKI。

強さの秘密は、高砂親方に仕込まれたという「プッシュ、プッシュ」の押し相撲でした。なにより、あの大横綱・千代の富士にも土をつけ、大金星を上げたことで一気に名をはせたといえます。大関に昇進する以前、序の口・序二段の各段で1回ずつと、十両でも2回優勝しているKONISHIKIには、来日当初から、豪腕力士たる素質があったことは明らかです。

KONISHIKI(小錦)の現役時代の体重と現在の体重を比較!

KONISHIKI(小錦)は、かつて行われたロンドン巡業において、「ダンプトラック」の異名をとりました。このKONISHIKIの現役時代から現在までの体重の変化を追ってみましょう。現役時代の最重量時は285kgだったKONISHIKIは、大相撲史上最重量の巨体でした。相撲取りは体の大きな人ばかりですが、KONISHIKIのために、国技館に特注トイレができたというエピソードは、そのずば抜けた巨漢ぶりを証明していえます。

引退後の最重量はといえば、増えに増えて、なんと310kgに!さすがに生活に支障をきたすようになったKONISHIKIは、ようやく減量を始めます。リバウンドを繰り返しながらも、胃の縮小手術を受けたりしながら、2009年末には153kgにまで減量に成功しました。

この時点で、最重量時からは半分の体重になりましたが、医師から告げられている理想体重は135kg前後とのこと。現妻と結婚したことで、もっと長生きしたいと思ったことがダイエットのモチベーションになっているというKONISHIKIですから、あともう少しダイエットが必要かもしれませんね。

KONISHIKI(小錦)最強力士伝説!千代の富士との一番で人生が変わる!

KONISHIKI(小錦)には、その巨体ぶりを示すエピソードが数多く残っています。たとえば、入門時に行われる新弟子検査では、体重計を振り切ってしまったという逸話。急きょ体重計が追加されて、2台並んだ体重計に片足ずつを乗せて計測する姿をご覧になった方もいるでしょう。

ちなみに、当時の記録は、「105kg+70kg」だったとか。また、血圧を計ろうとしたら腕が太すぎて血圧計が使えないとか、国技館のトイレの便器は小さすぎて使えないなど、どれも規格外なエピソードばかりのKONISHIKI。しかし、その巨体ゆえに、膝の故障が多く、引退直前には、痛み止めを1日に10錠も飲んでいたとか。

これが災いして、出血性胃潰瘍になってしまったKONISHIKIは、巡業先で泊まったホテルで大量に下血。人体の40%近い血液を失うなど、命の危険があるほどだったといいます。そんなKONISHIKIが、現役時代に注目を集めていたのが、大兵VS小兵の対戦です。

力で押すKONISHIKIと、技で切り返そうとする小柄な力士の戦いは、相撲ファンの目をおおいに楽しませてくれました。大兵VS小兵、その最たるものとなった取り組みが、1984年の秋場所、「小さな大横綱」「ウルフ」の異名で知られた横綱・千代の富士との一番です。KONISHIKIは、千代の富士を突き出しで破り、大金星をあげました。この金星によって、KONISHIKIは、「黒船来航」と恐れられるようになり、快進撃を続けました。KONISHIKIにとっても、一番思い出に残っている一戦となっているようです。

最近では、タレントやアーティスとしての活動が多いKONISHIKIですが、減量が成功したのも現妻・千絵夫人と長く一緒に暮らしたいと考えたから。これからも体調管理をしっかりとして、末永く活躍してください!

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