越路吹雪「愛の賛歌」の訳詞が原詩と違う?!作詞家はマネージャーの岩谷時子!

越路吹雪「愛の賛歌」の訳詞が原詩と違う?!作詞家はマネージャーの岩谷時子!出典:

越路吹雪「愛の賛歌」の訳詞が原詩と違う?!岩谷時子と二人三脚で築いた「日本シャンソン女王」の地位

越路吹雪は戦後が生んだ唯一無二の女性エンターティナー

越路吹雪は、戦後の芸能史において、唯一無二、孤高の女性エンターティナーといえます。1924年生まれの越路吹雪は1980年に、まだ56歳の若さでしたが、がんで亡くなっています。


戦後まもなく、宝塚の男役で一世を風靡し、ミュージカルスターの先駆けとなりました。1969年にスタートしてから、死の直前まで続けられた日生劇場でのリサイタルは、1カ月におよぶロングリサイタルながら、チケットは毎回完売。当時、もっとも入手困難なプラチナチケットとまで言われていました。

越路吹雪のマネージャーは作詞家の岩谷時子!「愛の讃歌」は2人にとって栄光の架け橋

越路吹雪が、類まれなシャンソン歌手として成功したのは、マネージャーであり彼女の無二の親友であるとともに、作詞家としての才能を持った岩谷時子あってこそでした。越路吹雪の代表曲となった「愛の讃歌」は、フランスの代表的シャンソン歌手エディット・ピアフの曲を、岩谷時子が訳詩したものです。

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原詩の「愛のためなら 宝物を盗んだり 自分の国や友達を見捨てることも厭わない」といったハードな内容を、「あなたの燃える手で」で始まるロマンティックで劇的な歌詞に書き換えたのも、岩谷時子でした。越路吹雪という歌い手の個性を深く理解していたから成しえたとも言えるでしょう。この「愛の讃歌」をはじめ、「サントワマミー」「ろくでなし」などといったシャンソンの名曲や、R&Bの名曲「ラストダンスは私に」が越路吹雪ならではの歌になったのも、岩谷時子の訳詩があったからです。

越路吹雪の宝塚、日生劇場時代とは?死因は?

越路吹雪は、戦後の宝塚のトップスターで宝塚史上最悪の不良少女だった?!

越路吹雪は、宝塚歌劇団27期生として、戦前の宝塚に入団。戦争が激化し、退団する生徒が続出する中にあっても宝塚に留まりました。1946年、戦後早くも再開された花組公演で、越路吹雪は、主演の座を獲得。以降、1951年に宝塚を退団するまで、「コーちゃん」の愛称でトップスターの道を歩みました。

しかし、その男前の性格からか、喫煙や門限破りはしょっちゅう。「清く正しく美しく」の宝塚においては、不良少女と呼ばれた異色の存在でした。宝塚を退団してから1968年までは、東宝の専属女優となり、ミュージカルだけでなく、映画やテレビにも出演。その独特の存在感と歌で、広く一般にも人気を得ます。

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越路吹雪の今なお語り継がれる伝説の日生劇場ロングランリサイタル

越路吹雪がフリーとなった1969年より始まった日生劇場でのリサイタルは、戦後芸能史の輝かしい歴史となっています。春と秋に開かれた1カ月に及ぶロングリサイタルは、亡くなる直前の1980年まで続き、越路吹雪は、日本で初めて女性エンターティナーとしての地位を確立しました。

宝塚時代のエピソードなどからも豪放磊落なイメージがある越路吹雪。しかし、リサイタルの直前には、マネージャーの岩谷時子から、背中に指で「トラ」と書いてもらい、「あなたはトラ、何も怖いものはない」と暗示をかけてもらってステージに向かっていたそうです。その間にも、ストレスからの喫煙や睡眠薬の常用は、彼女の体を蝕んでいきました。胃潰瘍から胃がんを患った越路吹雪は、ファンだけでなく、多くの芸能関係者にも惜しまれながら、56歳の短い生涯を閉じています。

越路吹雪トリビュートコンサート「越路吹雪に捧ぐ」に、松本幸四郎や草笛光子などの豪華ゲスト参加

映像に残された、越路吹雪のエンターティナーとしての見事なステージングは、没後37年目を迎える今もなお色あせることはありません。2017年3月28日と29日、越路吹雪トリビュートコンサート「越路吹雪に捧ぐ」と銘打った37回忌の追悼公演が、越路吹雪ゆかりの日生劇場で開かれました。出演者には、寿ひずる、剣幸、杜けあき、安寿ミラ、涼風真世(29日の昼公演のみ)、真琴つばさ、姿月あさとなど、そうそうたる宝塚OGたち11名に加え、特別ゲストとして、歌舞伎界からは、松本幸四郎、坂東玉三郎が参加しています。

松本幸四郎と越路吹雪とは、1965年上演のミュージカル「王様と私」の初演で共演して以来の親しい間柄だったそうで、坂東玉三郎は、熱狂的な越路吹雪ファンであったことから実現しました。また、日本におけるミュージカルの草分け的存在である草笛光子をはじめ、久野綾希子や前田美波里も参加。

他にも、ペギー葉山や渡辺えりらが、華を添えました。それぞれのゲストが、越路吹雪とのエピソードを感動的に語る中、観客全ての感涙を誘ったのは、草笛光子による、岩谷時子が越路吹雪の逝去に際して詠んだ「眠られぬ夜の長恨歌」の朗読。

「越路吹雪よ 寒くはないか 私は寒い」「越路吹雪よ 逢いに行ってはいけないか 越路吹雪よ」といったフレーズからは、越路吹雪という不世出のエンターティナーと、もう1人の天才、作詞家岩谷時子の絆の深さが伝わってくるかのようです。会場には、往年の越路吹雪ファンも数多く詰めかけ、全ての公演がソールドアウト。計5,200人を動員した公演は、今なお忘れられることのない越路吹雪人気を証明しました。

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