栗本薫作品「グイン・サーガ」「魔界水滸伝」あらすじ感想!中島梓と対談していた!

栗本薫作品「グイン・サーガ」「魔界水滸伝」あらすじ感想!中島梓と対談していた!

栗本薫作品「グイン・サーガ」「魔界水滸伝」あらすじ感想!

栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズは、世界に誇るヒロイック・ファンタジー

栗本薫は、1978年、青春推理小説というべき「ぼくらの時代」で、第24回江戸川乱歩賞を受賞。翌79年には、栗本薫にとってライフワークとなる「グイン・サーガ」シリーズ第1巻「豹頭の仮面」を早くも出版しています。「グイン・サーガ」シリーズは、栗本薫が亡くなるまで、正伝が130巻、外伝が22巻書かれ、アメリカの作家ラブクラフトが書いた「クトゥルー神話」シリーズのように、別の作家が、新たに「グイン・ザーガ」を書き継ぎ始めています。

栗本薫の「グイン・サーガ」シリーズがどんな物語かというと、架空の古代社会を舞台にした剣と魔法の物語です。豹頭の剣士グインが一応の主人公ですが、彼を取り巻くさまざまな国家や、民族による、時空を超えた壮大な物語が、まさにサーガ、大河ドラマとして書き継がれています。アメリカのSF作家バローズの「火星」シリーズなどを始めとするヒロイック・ファンタジーや、スペースオペラなどの影響が色濃かった栗本薫。今では逆に、この「グイン・サーガ」シリーズが、世界各国で翻訳され読まれ続けているのです。

栗本薫にはもう一つ、「魔界水滸伝」シリーズがあります。まさにラブクラフトの「クトゥルー神話」のオマージュとして書かれたこの作品。地球を侵略しようとするクトゥルーの神々と、それを阻止しようとする地球古来の神々との闘いの間で、存亡の危機を迎える人間たちを描いた伝奇ファンタジーです。こちらは全20巻で完結。実は「魔界水滸伝」シリーズも、1995年から「新魔界水滸伝」が書き始められていました。しかし、栗本薫が亡くなったため、4巻で未完となっています。

栗本薫は、1980年代のマルチタレントで新進女流サスペンス作家

栗本薫は1953年生まれで、2009年、まだ56歳の若さで、すい臓がんにより亡くなっています。昭和70年前後、ベトナム戦争反対や学園紛争などで騒々しい大学や学園の中で、そんなことにはいっさいお構いなく、あまり見慣れない緑色のポケットブックを読み耽る学生や高校生たちの一群がいました。その文庫は、世界最高最大のミステリ・SFシリーズと呼ばれた早川書房の文庫。おそらく、後の女流SF作家栗本薫は、それら作品の熱狂的ファンだったに違いありません。

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早稲田大学を卒業した栗本薫は、第24回江戸川乱歩賞を受賞後、「グイン・サーガ」シリーズ第1巻「豹頭の仮面」を早くも翌79年に出版し、以後は、テレビ朝日の人気クイズ番組「ヒントでピント」にも出演するなど、マルチタレントとしてお茶の間の人気者となります。それでも、栗本薫の旺盛な制作活動は止まりませんでした。

栗本薫が中島梓と対談していた!死因はすい臓がん…夫や子供は?

栗本薫のもう一つの人格、中島梓

栗本薫は、もう1つの名前を持っていました。中島梓。小説を書く以外の仕事、例えば評論やテレビ出演などは、中島梓名で通していたという栗本薫。マスコミは、栗本薫と中島梓、この二人のキャラクターに注目し、青年雑誌の平凡パンチでは、栗本薫、中島梓の架空対談が企画されました。また「栗本薫・中島梓-JUNEからグイン・サーガまで」という百科全書のような本も出版されています。中島梓名での書籍は、1991年出版された「コミュニケーション不全症候群」が有名です。オタクが登場して久しい時代、オタクやボーイズラブ志向の新世代の若者に対して、彼女なりのアプローチを試みています。

栗本薫の、壮絶がん闘病記

栗本薫、中島梓という名前を使い分け、膨大な創作活動を続けていた栗本薫ですが、1981年には、SFマガジンの編集者と結婚。一人息子にも恵まれ、作家だけでなく、主婦としての役目も立派に果たしていたようです。しかし、1990年に乳がんの手術、2007年に膵臓がんの手術を受け、2009年、ついには膵臓がんが肝臓にまで転移し、長い闘病も虚しく帰らぬ人となってしまいました。栗本薫は、これらの闘病すら、中島梓名で「アマゾネスのように」「ガン病棟のピーターラビット」として出版しています。その死の間際まで執筆活動を続けた栗本薫は、日本だけでなく世界のSF史に名前が残る偉大な作家といえるでしょう。

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栗本薫の第3のペンネーム「京堂司」で書かれた作品が、伝説の探偵雑誌「幻影城」で発見!

栗本薫が亡くなって、すでに7年。コアなファンたちも驚くニュースが、2016年2月初めに駆け巡ります。それは、今や伝説となった探偵小説専門雑誌「幻影城」の終刊号の発行を伝えるニュースでした。1975年から1979年まで発行されていた「幻影城」の、創刊40周年を記念して出版されることになった終刊号。その過程で、1978年に出版された「幻影城」に、期待の大型女流新人とうたわれた正体不明の作家が執筆していて、その作家こそが栗本薫であったことが明らかにされたのです。ちなみにこの年、栗本薫は、「ぼくらの時代」で江戸川乱歩賞を受賞しています。

「京堂司」というペンネームで書かれた作品は、「23世紀のラッシュアワー」、「革命専科」など、SFショートショートの連作3編でした。当時の編集長であった島崎博氏によると、これらの作品は全て栗本薫本人による持ち込み原稿で、当時の栗本薫は、編集室の島崎博氏の傍らに座り、たった10分で短編を書き上げたこともあったそうです。島崎博氏は、その才能にたいへん驚いたといいます。これら「京堂司」名義の作品は、「幻影城」の終刊号に、その一部が収録されます。

早川書房はかつて、栗本薫の「グイン・サーガ」の英訳版を元にして、3022万5000文字と算出。「世界最長の小説」としてギネスに申請したそうです。残念ながら一つの作品ではないということで申請は却下されましたが、世界最長の小説といわれるマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」さえ、960万9000文字。栗本薫だけでなく、中島梓名の作品や、「京堂司」名義の幻の作品も含めると、栗本薫は、生涯にいったいどれだけ文字を紡いだのか。栗本薫の存在自体が、超SF的であるといえます。

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