前田智徳はイチローが惚れた90年代最強の打者!伝伝説的なフォームはまさに理想的だった!

前田智徳はイチローが惚れた90年代最強の打者!伝伝説的なフォームはまさに理想的だった!出典:https://matome.naver.jp

前田智徳はイチローが惚れた90年代最強の打者!伝説の打撃フォームとは?

前田智徳にあのイチローが「本当の天才」と惚れ込んだ!1990年代最強打者もアキレス腱断裂で「前田智徳はもう死んだ」と自嘲発言も!

元広島東洋カープの前田智徳(まえだとものり)は、「孤高の天才打者」「求道者」などと評され、あのイチローも「本当の天才」と惚れこんだほどの天才肌でした。まさに1990年代最強の打者です。

理想のバッティングを追求するあまり、結果に納得いかない表情を見せたことも少なくありません。しかし、それほどの才能に恵まれながら、前田智徳は、打撃タイトルとは無縁の現役人生を過ごしました。1971年6月14日熊本県玉名市(旧玉名郡岱明町)生まれの45歳。身長176cm、体重80kgで、右投げ左打ちの前田智徳。熊本工業高校時代には甲子園に3回出場していますが、主将を務めた3年夏は、4番センターとして出場するも、2回戦で敗退。1989年、広島のドラフト4位指名でプロ入りし、その卓越したセンスを見込まれて、ルーキーイヤーから1軍でプレーしました。

前田智徳は、走攻守3拍子そろった外野手として、瞬く間にレギュラーを勝ち取ります。勝ち越しホームランを放ちながら、直前の守備ミスを悔いてヒーローインタビューを断るほど涙したというエピソードは、伝説と化したほど有名です。順調に成長を遂げつつあった1995年に、右足アキレス腱を完全断裂。それ以降、走塁や守備などに精彩を欠いたことを嘆き、「前田智徳はもう死んだ」「野球人生は終わった」と自嘲的な発言を繰り返すことも多くなりました。

相次ぐケガとの闘いで苦悩の日々を送りながらも、カープの中心打者として打率3割前後をマークし続けて、抜群の存在感を発揮し続けた前田智徳。2007年には2000本安打を達成します。守備位置もプロ入り時はセンターを守りましたが、脚の故障後はライト、レフトへとコンバート。晩年は常時出場が難しくなり、代打の切り札としてプレーしますが、2013年をもって現役から引退しました。前田智徳が付けていた背番号「1」は、ふさわしい選手が登場するまでの準永久欠番とされています。

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前田智徳、落合博満が激賞し山本浩二が驚いた打撃フォーム!伝説的なフォームはまさに理想的だった!

「理想のバッティング」と激賞された打撃フォームも印象深い前田智徳。名打者・落合博満も、彼の打撃フォームへは掛け値なしの賛辞を送っています。「どのようにしてボールを自分のポイントまで呼び込み、自分の形で打つかを示した教科書」と激賞。「プロ野球の歴史で理想のフォーム」として、打撃指導の際も引き合いに出しているほどです。

プロ入りした際に監督だった山本浩二も、「ピッチャーに左右されず、自分のスイングでしっかりとボールをさばいている。技術面では何も教える必要がなかった」と驚きを隠そうとしませんでした。実際に前田智徳の打撃フォームを見てみると、頭は動くことなく、首から下だけ回転しています。

バットが体に巻きつきながら、ヘッド部分が最後まで遅れて出てきており、軸を鋭く回転させてフィニッシュ。この打撃フォームについては、本人も、「タイミングをゆっくり、スイングもゆっくり振りたい。スイングは遅いくらいがちょうどいい」とインタビューで語っており、「ガツガツしているような感じはない」と述べています。バッターが理想とするほとんどの動作を網羅しているため、「理想のバッティング」と伝説になるのも納得です。

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前田智徳の高校時代の評価はイマイチ?広島カープ時代の成績や年棒は?

前田智徳は高校時代の評価がイマイチでドラフト4位指名?ピッチャー上位というドラフト戦略での影響?

前田智徳がプロ入りした際、ドラフト会議での指名順位は4位でした。この指名順位は、高校時代の評価がイマイチだったということを意味するのでしょうか?実は、そうとは言い切れません。熊本工業高出身で、甲子園出場歴は3回ある上、3年夏には4番を務めていた前田智徳の前評判は上々でした。地元球団である福岡ダイエーは、上位指名をほのめかしていたとも伝えられています。

しかし、ドラフト会議のふたを開けてみれば、ダイエーからのドラフト指名はなく、広島の4位指名という結果でした。この知らせに、ショックを受けた前田智徳は泣きじゃくり、一時はプロ入りを拒否するほど頑なな態度を取り続けました。しかし、そんな前田智徳の心を動かしたのが、広島スカウトの「他球団のことは知らんが、カープはお前との約束を守った。お前も男なら潔く顔を見せたらどうや!」という一喝。徐々に心を開き始めた前田智徳は、とうとうプロ入りを決意します。ドラフト指名した6名の選手のうち、入団決定が最も遅かったのが前田智徳でした。

また、指名順位が4位となったことについては、どの球団もピッチャー優先で指名するのがセオリーという、ドラフト戦略上の理由も絡んでいます。実際、広島も、1位は佐々岡真司(NTT中国)、3位にも前間卓(鳥栖高)と、ピッチャー上位で指名していました。その影響で、野手の場合は、どれほど高評価であっても4位程度になると考えられます。

他球団の指名例を見ても、イチロー(1991年オリックス4位指名)、金本知憲(1991年広島4位指名)、中村紀洋(1991年近鉄4位指名)、赤星憲広(2000年阪神4位指名)など、4位指名でプロ入りしたスター選手は多数に上ります。このような実例を踏まえてドラフト会議での指名順位を見れば、また違った視点も生まれるのではないでしょうか。

前田智徳は生涯打率3割を超えながらタイトル獲得歴なし!最高年俸は2億1500万円だった!

前田智徳のプロ通算成績は、実働23年間で、2188試合出場7008打数2119安打295本塁打1112打点、打率3割2厘。規定打席をクリアしての打率3割以上は11回を数えるだけでなく、生涯打率が3割を超えているところにこそ前田智徳の凄みを感じます。ヒット2119本は、ヒットを量産していたようなイメージも強い前田智徳にしては少ない気もします。

しかし、2000本安打をクリアするだけでも並大抵ではない上、アキレス腱断裂という選手生命の危機を乗り越えての成績ですから、やはりかなりの重みです。最高年俸は、2000年の2億1500万円で、年俸2億円を上回った年は、ほかに2億1000万円の2007年があるのみ。

もっと高くてもおかしくないのですが、当時の広島の主力選手は、おおむねこのあたりの年俸でした。黒田博樹の年俸6億円という例外はありますが、広島球団の財政事情もあるのでしょう。もっと驚くべき事実は、前田智徳が打撃タイトルを1回も獲得したことがないことです。特に、首位打者タイトルは、実力からすれば獲っていても不思議はないのですが、ついに手が届きませんでした。

とりわけ惜しまれるのが1998年。横浜ベイスターズ鈴木尚典との熾烈な争いになり、鈴木尚典3割3分7厘に対して、前田智徳が3割3分5厘と、2厘差で涙を呑みました。残念だったのは、両者の最終対決日程があったにもかかわらず、横浜が全打席敬遠に出る可能性があったことです。過去の首位打者争いでも、似たような醜態で非難を浴びた事例はあります。

これを聞いた前田智徳も、「敬遠されるなら試合に出ない」と出場を拒否。結果的に、両選手が欠場し、首位打者逆転はなりませんでした。晩年の年俸は1億円を切り、現役最後の2013年は5600万円に。しかし、代打の切り札として抜群の集中力を見せ、最後まで存在感は絶大でした。

前田智徳が福留孝介へ体のケア重要性を説く!「7割から8割の力でちょうど」

宮崎市サンマリンスタジアムで行われた名球会イベントに、名球会会員として参加した前田智徳。イベントでは、昨シーズン名球会入りしたばかりの阪神・福留孝介外野手にアドバイスを送る一幕が見られました。多くのプロ野球選手たちから高い評価と尊敬を受ける前田智徳ですが、福留孝介もその例にもれません。

野球教室で少年少女たちを指導する合間に、前田智徳とひとしきり打撃理論を交わすなど、有意義なひとときとなったようです。かつての天才打者が送ったアドバイスとは、「7割から8割の力で試合に臨めばちょうどいい」というものでした。「トレーニングは、技術面より、むしろコンディション調整に比重を置いたほうがいい。

その状態を維持すれば、まだまだプレーできる。逆に10割の力でプレーするのはケガの元」と、体のケアの重要性を説いたそうです。現役時代にケガとの闘いに明け暮れた経験を持つ男の言葉だけに、今年40歳を迎える福留孝介にとっても、「いろいろと教えていただいた。これを今後の参考にしたい」と、非常に説得力あるアドバイスとなったようです。

前田智徳は、現役引退後は野球解説者として活躍し、地元広島メディアでも露出の機会が増えています。肩の荷が下りたのか、現役時代の鬼気迫る表情とはまるで別人のようです。トークショーやコスプレにゴルフ、さらに企画でスイーツをほおばる姿はどこかお茶目。「孤高の天才打者」と呼ばれた凄みは感じられません。

現役引退後の生活を謳歌する前田智徳ですが、将来のカープ監督は既定路線だとも言われています。落合博満やイチローも一目置いた天才打者が、赤ヘル軍団を率いる日、それはすぐ近い将来の話なのかも知れません。

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