牧村三枝子に病気で余命宣告!5人兄弟の末っ子に生まれた壮絶人生とは?

牧村三枝子に病気で余命宣告!5人兄弟の末っ子に生まれた壮絶人生とは?出典:http://dream-win.com

牧村三枝子に病気で余命宣告!5人兄弟の末っ子に生まれた壮絶人生とは?

牧村三枝子の病気は肝硬変と食道静脈瘤!余命5年を宣告されるまでの転落人生!

牧村三枝子は、1980年代前後に大ヒット曲を多数持ち、紅白歌合戦にも出場した演歌歌手。そんな牧村三枝子が、一時は医師から「余命5年」を宣告されるほど、重い病気に侵されていたことが分かりました。2002年頃に発症したという牧村三枝子の病名は、肝硬変と食道静脈瘤。原因は、おびただしい飲酒量でした。

1990年初頭までは順調だった歌手活動に陰りが見え始め、正念場を迎えていた牧村三枝子。1997年2月、そんな彼女を襲ったのは、最愛の父親の死でした。喪失感のあまり、「何のために頑張ればいいのか分からなくなった」という牧村三枝子は、1日中酒を浴びるように飲み続けアルコール依存が進み、初めて病院へ行った時には、体重が35kgまで激減していたそうです。

牧村三枝子は5人兄弟の末っ子!父親の失職と超極貧生活の中で育った家族への想いとは?

牧村三枝子は1953年12月21日、北海道美唄市で、5人兄弟の末っ子として生まれました。炭鉱労働者だった父親は、39歳で生まれた末娘の牧村三枝子を溺愛。しかし、長年の炭鉱労働で衰弱していった父親は、40代後半になると、やがて働くことができなくなりました。食堂の皿洗いをする母親の収入が、一家の唯一の支え。家族7人が、6畳1間で窮屈に暮らす極貧生活の中、牧村三枝子は、「皆が温かく寝ることができる家が欲しい」と、夢を抱くようになります。

こうして歌手になる決意をした牧村三枝子は、中学卒業後の15歳で上京。釣具店で働く傍ら、サンミュージックタレントスクールを経て、19歳の時に「少女は大人になりました」でデビューを果たします。そして1985年32歳の時、遂に悲願のマイホームを購入。富士山のふもとの豪邸で、両親、兄弟と共に暮らす幸せな日々でした。家族のためだけに走って来た牧村三枝子にとって、同居からわずか10年余りで父親が亡くなってしまった悲しみは、想像を絶するものだったはずです。

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牧村三枝子は「みちづれ」「友禅流し」などのヒット曲で有名!現在の歌手活動は?

牧村三枝子の「みちづれ」大ヒットの裏に渡哲也への忘れられない恩義!「友禅流し」で地位固める?

牧村三枝子は、デビュー以降も数枚のレコードを発売しますが、なかなかヒット曲に恵まれずにいました。ところが、27歳の時に偶然聴いた渡哲也のシングル「みちづれ」が、大きく運命を変えることに。「どうしても、この曲を歌いたい!」と強く願った牧村三枝子は、渡哲也が、当時の所属レーベル・ポリドール(現ユニバーサルミュージック)の先輩歌手だったこともあって、本人に直談判しています。

すると、渡哲也は、なんと自分のレコードを廃盤にしてまで、牧村三枝子に「みちづれ」を譲ってくれたのだそうです。1978年12月、牧村三枝子のカバー版「みちづれ」は、オリコン週間シングルチャート38週連続20位にチャートイン。100万枚を超える大ヒットとなりました。その間、「夫婦きどり」「あなたの妻と呼ばれたい」が立て続けにヒットした牧村三枝子。

「みちづれ」で1981年の紅白歌合戦へ初出場を決めると、以後4年連続で出場を果たしました。1989年にも、「友禅流し」というヒット曲が生まれ、牧村三枝子は、演歌歌手としての確たる地位を築いたかのように見えましたが、ここから鳴かず飛ばずの時代に突入することになりました。

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牧村三枝子が現在は歌手活動復帰!絶望の淵から救った仲間の言葉と父親の遺品!

牧村三枝子は、2002年の病気発覚から約2年の闘病生活を経て、2004年に歌手活動を再開しています。2013年には、TBS「爆報!THEフライデー」に出演し、「余命5年」と宣告された病気のことや、壮絶な生い立ちを告白するまでに回復していました。牧村三枝子の病気が完治したわけではありませんが、復帰から2014年までに5枚のシングルを発表しています。父親の死の絶望から酒に溺れ、重度の肝硬変を患ってしまった牧村三枝子。

当時は、死の恐怖を感じるどころか、「あと5年も生きなきゃいけないのか」とさえ思ったといいます。そんな牧村三枝子を救ったのは、小林幸子、山本譲二、細川たかし、北島三郎らが送った、1本のメッセージテープ。「負けちゃいけないよ、歌いたい時に歌えばいい」との言葉に、「もう一度仲間のところに戻りたい!」との思いを抱くようになります。

そんな時、牧村三枝子の元に父親の遺品が届きました。その中には、牧村三枝子の全リリース作品が、1曲につき何枚もあったといいます。それを見た牧村三枝子は、生きて父親のために歌うため、一切の酒を断ち、闘病への決意を固めたそうです。

牧村三枝子の古風過ぎる性格がステキ!独身貫き歌い続ける姿に感動

牧村三枝子は、演歌仲間や、亡き父親の深い愛に支えられ、見事ステージに返り咲きました。現在、最新曲となっている「黄水仙」は、少し軽い曲調が特徴的。戸惑いながらも、歌の師であった亡き作曲家・遠藤実の「詞を温かく包むように歌いなさい」との言葉を胸に、真心を込めて歌いあげました。

牧村三枝子は、かなりの経歴を持つ演歌歌手であるにも関わらず、キャンペーンで歌う時には、ファンが共に口ずさんでくれるのが、至上の喜びなのだそうです。古風なほどに真面目で、愛情深い牧村三枝子は、いまだに携帯電話を持たず、友人たちとは手紙のやりとりで、丁寧に気持ちを伝えあうともいいます。特に、絶望期から救ってくれた小林幸子とは、遊び心のある手紙交換を楽しんでいるのだそうです。

そんな牧村三枝子は、62歳になった現在も独身です。その理由について、牧村三枝子は、「21歳の時に出会った渡哲也と、故・石原裕次郎以外に、結婚したい相手が現れなかったから」としています。表向きは、そのように茶目っ気たっぷりに語っていますが、北海道の6畳1間で身を寄せ合った家族への強い想いは、きっと恋愛にも勝るものだったのでしょう。もし因果応報があるならば、献身的に歌い続ける牧村三枝子が、再び紅白歌合戦のステージへと帰ってくる日がやって来るに違いありません。

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