マニー・ラミレスはメジャーリーグのレジェンド!成績や移籍金はけた違いだった

マニー・ラミレスはメジャーリーグのレジェンド!成績や移籍金はけた違いだった

マニー・ラミレスが日本の独立リーグ入りで話題騒然!メジャーリーグのレジェンドの意図は?

マニー・ラミレスは、メジャーリーグ通算555本塁打をたたき出したレジェンドとして輝かしい経歴を誇る野球選手です。

しかし、意外なことに、日本の独立リーグ四国アイランドリーグplus所属の高知ファイティングドッグスへの入団が決まり、話題騒然となっています。レジェンドクラスの大物であるだけでなく、トラブルメーカーとしても有名なマニー・ラミレス。そのため、独立リーグ入りは、歓迎ムード一色とはいかないようで、戸惑いやトラブルを警戒する声も少なからず聞かれます。

今回の入団は、高知ファイティングドッグスがオファーしたわけではなく、マニー・ラミレスから入団オファーがあったといいますから、驚きも倍増です。高知ファイティングドッグスは、総監督が江本孟紀(えもとたけのり)で、巨人や横浜で活躍した「満塁男」駒田徳広が監督を務めています。1試合の平均観客動員数は約600人で、チームの総収入は1億円に届かない規模。選手たちも約20万円前後の月給で奮闘する日々。

そこへ、メジャーリーグのレジェンドが突然「入団したい」と言ってきても、最初は「ホンマかいな?」と思って当然です。年俸20億円以上を稼いだこともある大物が、日本での生活に満足できるかどうかも怪しいもの。しかし、それは「ホンマ」でした。彼の独立リーグ入りにはどういう意図が秘められているのでしょうか?

マニー・ラミレスの通算成績は555本塁打で2574安打!移籍金も8年契約で約180億円と凄かった!

マニー・ラミレスのメジャーリーグでの通算成績は、実働19年間で、2302試合出場8244打数2574安打555本塁打1831打点、打率3割1分2厘。獲得したタイトルは、首位打者、本塁打王、打点王を各1回。ポジションごとに打撃が最も優れている選手に贈られるシルバースラッガー賞は受賞歴9回。初受賞はメジャー昇格3年目の1995年で、その後1999年から8年連続受賞しています。

また、ワールドシリーズMVPを1回受賞。オールスターゲーム選出は12回を数えるなど、彼のキャリアは輝かしい内容に満ちています。初の打撃タイトルは1999年の打点王ですが、その時は、打率3割3分3厘44本塁打165打点という成績で、三冠王になってもおかしくない数字でした。何しろ、61年ぶりの160打点以上クリアということ自体が凄いですね!2001年に、ボストン・レッドソックスに移籍した際には、8年契約で、日本円にして約180億円という巨額の移籍金が提示され合意。

この契約は、アレックス・ロドリゲスに次いでの大型契約だと伝えられています。大物の年俸がグンとはね上がることで有名なメジャーリーグですが、今の相場だと約300億円くらいは覚悟しないといけないのではないでしょうか。しかし、トラブルや禁止薬物問題などが後を絶たず、徐々に成績が低下していったマニー・ラミレス。

メジャーリーグ引退後は、台湾やマイナーリーグを経て、日本の独立リーグへ参戦を表明。メジャー屈指のレジェンドは、どのような成績を残すのでしょうか。

マニー・ラミレスの生い立ちやプロフィール!性格や素行に難アリ!

マニー・ラミレスがドミニカからアメリカへ移住した生い立ち!野球を始めた当初はボールを打てなかった!

マニー・ラミレスは、1972年5月30日、ドミニカ共和国サントドミンゴ生まれの44歳。身長は約183cm、体重は約102kg、右投げ右打ちです。13歳の頃に、家族とニューヨークへ移住。野球を始めた当初は、ボールを打てず、ピッチャーを務めていましたが、練習を積み重ねてバッターへ転向し、ジョージ・ワシントン高校3年生のときに、ニューヨーク市の最優秀選手に選ばれるほどに成長します。

1991年、ドラフトでクリーブランド・インディアンスの1巡目指名を受け、契約金25万ドルで入団。順調にキャリアを積み重ね、1993年にメジャー昇格。数々の栄誉ある賞を受賞したマニー・ラミレスは、2001年に、8年契約で約180億円を提示され、ボストン・レッドソックスに移籍しました。2004年にはシーズン43本塁打をマークし、本塁打王タイトルを獲得。86年ぶりのワールドシリーズ制覇にも貢献し、ワールドシリーズMVPを受賞しています。

しかし、2008年に、球団職員への暴行や、チーム批判などのトラブルが後を絶たず、シーズン中にロサンゼルス・ドジャースに移籍。翌年には禁止薬物使用が発覚し、2003年のドーピングテストでもステロイドの陽性反応が出ていたことが表面化したためイメージが悪くなっていきます。成績も下り坂の一途をたどり、2011年のタンパベイ・レイズ時代には、2度目の禁止薬物使用が発覚。

成績も、5試合で、17打数1安打、打率0割5分9厘、本塁打0、打点1と見る影もなく、現役引退を発表しました。2013年には台湾リーグに加入し、大勢の観客が訪れるほどの人気でしたが、わずか3カ月で退団。マイナーリーグでもプレーしたものの、全盛時を知るファンからすれば寂しいものでした。

マニー・ラミレス「根はいい人」だが気まぐれで自由奔放な性格!怠慢プレーや薬物使用歴など素行にも難アリ!

レジェンドとして一時代を築いたマニー・ラミレスですが、その反面、素行や性格に難アリのトラブルメーカーとしても有名です。その行動が知れ渡っていたため、今回の独立リーグ参加でもトラブルが絶えないのでは、ともっぱらの噂になっています。「根はいい人」と評されるマニー・ラミレスですが、スーパースターにありがちな自由奔放さと気まぐれで、周囲は何かと振り回されることが多かったようです。

試合中でも、レフトの守備位置で、観客と一緒にウェーブに興じるなど、怠慢プレーは珍しくありません。そのため、どれだけ打棒が冴えわたろうとも、貢献度評価は極めて低かったと伝えられています。また、ドーピング検査で禁止薬物使用が発覚し、出場停止処分を受けたのは2度。1回目は2009年で、50試合出場停止になりました。さらに懲りることなく2011年に2回目の処分を受けましたが、前科を考慮してか、100試合出場停止と重い処分になっています。

メジャーリーガーとしては偉大だったものの、素行の悪さに加えて、2度の薬物使用歴がマイナス材料となり、その輝かしいキャリアを自らおとしめることになってしまったのはきわめて残念です。守備では、打球の追い方と処理が緩慢なマニー・ラミレス。2006年のレッドソックス時代は、平均守備力を持つ外野手に比べると13点も損をしていると指摘された苦手分野です。

それに反して、バッティングへの取り組みは、群を抜く研究熱心さを見せます。バッティング練習だけでなく、ビデオでのチェックも怠らないといった具合で、守備とはまるで別人のようです。メジャー屈指の高年俸でありましたが、キャンプ中の自炊や、ディスカウントショップでの買い物など、金銭感覚は割とつつましいところもある様子。

また、2008年には、小児病院の運営資金チャリティに協力するため、1967年製のフォード・リンカーンをオークションにかけたこともあります。「根はいい人」という評は、存外当たっているのかも知れません。

マニー・ラミレスはなぜ独立リーグ・高知入りを選択した?母国の先輩フリオ・フランコを手本に?

メジャーリーグ555本塁打の強打者の選択に、「なぜ?」と驚いた人は数多くいることでしょう。しかし一番驚いたのは、入団先の高知ファイティングドッグスに違いありません。ボストン・レッドソックスで世界一に輝くこと2回、打率3割に、30ホーマー、100打点は当たり前だったスラッガーの入団オファーに、戸惑いを隠せなかったようです。

それは無理もない話で、月給は上限でも40万円程度。かつてメジャーリーグを席巻した男が、それだけの待遇に納得するとは考えられません。オファーがあったのは2016年11月ですが、地元高知だけでなく、かつて本拠地だったボストンの地元紙などアメリカの各メディアも大きな扱いで報じています。

今回の入団の理由は、「日本の野球人口が減っていると聞き、野球人気を盛り上げたい」というものですが、カッコよすぎて別の意図を感じてしまうのは考えすぎでしょうか。指摘されているのは、メジャー野球殿堂入りです。マニー・ラミレスは2度の薬物使用歴がネックとなったものの、候補者に残っているので、将来的にはまだ殿堂入りの希望が残されています。もし、日本野球で実績を積めば、大きなプラス材料となり得るでしょう。

日本の独立リーグでプレーした元メジャーの大物といえば、フリオ・フランコの前例があります。フリオ・フランコは、マニー・ラミレスにとっては母国ドミニカの先輩。クリーブランド・インディアンス、テキサス・レンジャーズなどメジャーで通算23年プレーし、2586安打をマーク、首位打者タイトルを獲った名選手です。1995年と1998年に千葉ロッテでプレーし、その人望で、選手たちからも慕われました。

その後も野球を続け、2015年には、BCリーグ石川に選手兼任監督として入団。打率3割1分4厘と健闘を見せ、翌2016年から韓国のロッテでコーチ就任しています。ひょっとしたら、マニー・ラミレスは、母国の先輩の活動をお手本としている可能性もあります。

来日は3月下旬に予定されていますが、指揮を執る駒田徳広監督も「開幕戦から打順は4番DHでいきたい。彼が高知入りするだけでも夢があるよ」とワクワクを隠せません。「高知だけでなく、日本の広告塔。気分を害してはいけないので、対応へのプレッシャーも半端ない」と球団も気が抜けない日々が続きます。独立リーグの救世主となるか、マニー・ラミレスの一挙手一投足に世界が注目です。

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