松方弘樹 現在はマグロ釣りに没頭は女性・愛人問題のせい?元嫁、息子、娘は?

松方弘樹 現在マグロ釣りに没頭は女性・愛人問題にこりごりだから?!

松方弘樹 マグロの釣り師は昭和の大スター

今では、巨大マグロの釣り師となってしまった昭和の映画スター松方弘樹。

最近では、数百万円するマグロを一本釣りし続けているようですが、つくづく、ほんとに女性は恐いと思っていることでしょう。松方弘樹は1942年生まれ。若いように見えますが、もう73歳です。松方弘樹は、昭和、平成と、日本映画界の栄光と挫折を、そのまま体現したような俳優といえます。

松方弘樹 歌舞伎俳優の箱入り娘と再婚からパイプカットまで

松方弘樹が一俳優としてだけでなく、世間に注目を浴びるようになったのは、最初の妻と別れてまでした、女優仁科亜希子との結婚からです。歌舞伎俳優、十代目岩井半四郎の娘として生まれ、高校まで学習院で過ごした仁科亜希子は、1972年、お嬢様女優として華々しくデビュー。

清楚な美人女優として一躍人気者に。そして1977年、まだ24歳の時、松方弘樹とドラマで共演、不倫関係となります。当然、仁科の親は大反対。芸能界全体を巻き込んでの大騒ぎとなり、松方弘樹は責任を取る形で元祇園の舞妓だった妻と別れ、1979年、仁科亜希子と結婚しました。

しかし、結婚後も松方弘樹は、昭和の映画スター気質のまま、女遊びは収まりません。女性歌手との隠し子騒動など、何度もマスコミで騒がれる松方弘樹の浮気。1991年には、仁科亜希子が子宮頸がんになり、女性週刊誌は、夫・松方弘樹の浮気に耐える悲劇のヒロインとして、仁科亜希子をまつり上げます。

松方弘樹は、最後にパイプカットまでしますが、結局泥沼の離婚劇を経て、1998年に別れることになったのです。いやはや、男と女のことはほんとによく分かりません。

松方弘樹 松方弘樹家系図と元嫁、息子、娘の現在は?

松方弘樹 松方弘樹家系図!釣った魚は、お嬢様から魔性の妻、女に大変身

戦後時代劇が大ブームであった時代、東映の大スター近衛十四郎と女優・水川八重子の息子として生まれた松方弘樹。弟は、同じく俳優の目黒祐樹で、その妻は元女優の江夏夕子、姪には近衛はなと、その家系図を確認するまでもなく、正当な芸能一家です。

そんな松方弘樹と元嫁・仁科亜希子の間に子供は二人いて、それが息子・仁科克基と、娘・仁科仁美。この息子と娘がまた、成人して芸能界で騒動を起こすだけでなく、元嫁・仁科亜希子もまた、悲劇のヒロインから一転、松方弘樹も真っ青の、暴力団関係者との黒い関係が問われるようになります。

考えれば、古き良き映画界は、やくざ社会が仕切る芸能興業と切っても切れない社会。松方弘樹は、それを当たり前の付き合いとしていましたが、元嫁・仁科亜希子は梨園育ちのお嬢様。松方弘樹の悪しき暮らしぶりに染まってしまった仁科亜希子は、若い頃の清純なイメージとは真逆の、魔性の女と化していき、周りの男たちを翻弄します。

そして松方弘樹と離婚するときには、表向き悲劇のヒロインを振る舞いながら、松方弘樹には一銭の金も残らないよう画策したとかしないとか。大物を釣ったつもりの松方弘樹でしたが、元嫁・仁科亜希子に、逆に食われてしまったということでしょうか。

松方弘樹 バカ息子とバカ娘のスキャンダルに泣く

親が親なら、子も子です。松方弘樹一家のスキャンダルは、21世紀になって新たな局面を迎えます。まずは、息子の仁科克基。1982年生まれ32歳。父松方弘樹の庇護のもと、学生時代から遊び倒し、一応タレントという体裁はとっていますが、実態はただの遊び人です。

その仁科克基が、女優多岐川裕美の娘、多岐川華子と、2010年電撃結婚します。しかし、その結婚は誰もが思った通り長くは続かず、2012年、芸能界2世のバカップル離婚となりました。しかし、娘の仁科仁美は、もっとやっかいで複雑です。

仁科仁美は、飲食店を経営するバツイチの実業家米山久氏と交際。子供もできて、まもなく結婚かと伝えられたのが一転、米山氏は、子供は認知するが結婚はしないと宣言し、大騒動となりました。実は仁科亜希子と仁科仁美親子は、住む家から生活費に至るまで、米山氏が丸抱え。そのため、仁科親子は面倒を見てもらえるなら別に結婚しなくてもいいと開き直る始末。

おまけに母である仁科亜希子は、松方弘樹と結婚していたときから金銭の管理能力がなかったようで、松方弘樹との離婚後も、世話になったやくざ関係者に莫大な借金をしていることが明らかになりました。米山氏にして見れば、仁科親子は、とんでもない厄介な存在といえます。松方弘樹の元嫁・仁科亜希子本人も、2011年に広告会社の幹部社員と再婚しましたが、やはり結婚生活は成り立たなかったようで、2年で早くも離婚しています。

松方弘樹は、「いろいろ問題あって……」初孫にも会えない

松方弘樹は、先日の8月17日、都内で開かれた主演舞台「友情~新・秋桜のバラード~」の製作発表に出席しました。娘の仁美が6月30日に産んだ初孫の男の子に会ったか、という記者の質問には、「会っていません。いろいろ問題があって会えない」とだけ、寂しく答えたそうです。

松方弘樹の先輩、勝新太郎は、松方弘樹以上に役者バカであり、酒や女は芸の肥やしと豪快に遊びまくり、死ぬまで役者として、自らを演じきってみせました。勝新太郎と松方弘樹の生き方は似ているようで、大きく違う点があります。それは、勝新太郎が生涯、妻である中村玉緒を唯一無二の存在として愛し続け、中村玉緒もまた、そんな勝新太郎を信じ続けたということです。

一方松方弘樹は、結局最後まで、女性と遊ぶことはできても、ともに暮らし愛し続けることができない男だったということです。逆に仁科亜希子は、一途なお嬢様は、いつしか魔性の女となって、マスコミが勝手に作った悲劇のヒロイン像をものの見事に壊してしまいました。愛を信じなくなった女は、ほんとうに恐ろしいといえます。

松方弘樹は、これからいくら大物のマグロを釣り上げたとしても、昭和の大スターとしては何か物足らないもののではないでしょうか。

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