松本清張の作家までの経歴、その生涯とは?松本清張賞は芥川賞・直木賞より格上?!

松本清張の作家までの経歴、その生涯とは?松本清張賞は芥川賞・直木賞より格上?!

松本清張の作家までの経歴、その生涯を探る!出生は福岡・広島どっちが正しい?

松本清張は、生前、あまり自分の過去の話をすることがなかった日本を代表する大作家です。福岡県北九州市にある松本清張館の年譜によると、”1909年12月21日・現北九州市小倉北区生まれ”となっています。

しかし、松本清張自身の話や手元に残る幼い写真から、その出生情報は、転居後に出生届が出された場所と年月日であって、出生は「1909年2月12日・広島県広島市生まれ」が有力。松本清張は、広島、小倉を経て、11歳まで山口県下関市で育ちました。今にも崩れそうな家に住まい、父は下層職を転々とするような非常に貧しい暮らしの中でも、1人っ子だったために、両親には溺愛された松本清張。

その後、一家は再び小倉へ。高等小学校を卒業した15歳の松本清張は、電気会社の給仕に就職し、失職を経て4年後には印刷所の見習工として版下の技術を学び、広告図案の面白さを知るようになります。また、プライベートでは文学を非常に愛し、芥川龍之介から夏目漱石、森鴎外など明治文豪作品を読み漁って、江戸川乱歩の登場によって、その熱はさらに高まりました。

松本清張の芥川賞受賞作は直木賞候補だった!松本清張賞は芥川賞・直木賞より格上?!

松本清張は、1929年文学好きの仲間がプロレタリア文芸雑誌を購読していたため、「アカの容疑」で小倉刑務所に収監されたことがあります。そんな中、無事に一人前の版下職人と認められるようになった1936年に、松本清張は見合い結婚をします。この頃、松本清張は、版下工として下請け契約した朝日新聞社で、直談判の末に常勤委託に格上げとなり、生活が軌道に乗り始めたところでした。

2男1女に恵まれるという明るい話題が続きますが、折しも日本は戦時下。松本清張も、衛生兵として出征したのです。終戦後、復員した松本清張は、多くのアルバイトをしながら生計を立てており、小説やポスター公募への応募もその一環に過ぎませんでした。ところが1951年の処女作「西郷札」が突如、直木賞候補に挙がり、翌年発表した「或る『小倉日記』伝」で1953年の芥川賞を受賞。実はこの作品、当初は直木賞候補だったそうですが、後に芥川賞選考に回されたそうです。

純文学か通俗文学か……どちらの要素も併せ持つ、新しい物語性と分かりやすさを生み出した松本清張。彼の死後に創設された「松本清張賞」も、芥川賞・直木賞より多彩な作品が競い合うという点では、上下は別として別格のものなのかもしれません。

松本清張の代表作品「砂の器」「張り込み」あらすじ感想!

松本清張の代表作品「砂の器」あらすじ感想!ミステリーを解くカギは?!

「砂の器」は、1960~61年まで読売新聞夕刊で連載され、これまでにたびたび映画・ドラマ化さている松本清張の代表作品。都内の駅の操車場で起きた殺人事件にまつわる刑事の捜査と、犯罪者の動静を描いた長編小説です。
ミステリーを解くカギとなるのは、被害者の生前の特徴である「東北訛り」「カメダ」という2つのキーワード。ところが被害者が東北出身でないことが判明し、刑事たちは東北訛りに似た方言を話す島根県の或る地域と、そこに「亀嵩(かめだけ)」という駅が存在することを知ります。

その捜査中にも第2、3の殺人が発生。やがて、刑事たちは犯人の男にたどり着きます。犯人は大阪空襲によって戸籍が焼失したことに乗じて、名前や年齢を詐称していた男。石川県生まれの男は、母がハンセン氏病で他界したことから村八分に遭い、父親と放浪の末にたどり着いたのが「亀嵩(かめだけ)」。善良な駐在巡査に保護され、養子の申し出を受けるのですが大阪へ逃亡してしまいます。その後、数年が経ち、男は名をはせる音楽家へ上り詰めます。そんな過去を持つ男の正体に気がついた駐在巡査が上京し、男に詰め寄ると……。

犯罪者の生活背景と精神性が絡み合ってリアルに描かれているのが松本清張作品の面白さ。また、ハンセン氏病を題材とした点でも、当時は随分話題になったようです。

松本清張の代表作品「張り込み」あらすじネタバレ感想!贅肉の一切ないスリリングな短編小説!

松本清張の代表作品「張り込み」は、1955年に発表された短編小説。こちらも映画化や、数度に渡ってテレビドラマ化された人気作品です。あらすじは、警視庁は、東京目黒で起きた強盗殺人事件の犯人を逮捕するも共犯者がいることが判明。その男・石井が、よく昔の女・さだ子の話をしていたという証言から、刑事がさだ子がいる九州の田舎町へ。さだ子の家の斜め向かいにある旅館の2階に宿泊して張り込みします。

さだ子は20歳上の地元相互銀行員の後妻に入っており、3人の継子の世話と家事を、不満なくやっている様子でしたが、刑事は、疲れた表情を見て取っていました。そして、張り込み5日目。近所を一軒ずつ訪問して回る男が現れるのです。やがて、いつもとは違う洋服を着たさだ子が外出したところで、刑事は「洋服の男」が石井だったことに気づき尾行を開始。石井にたどり着き、逮捕となったのです。

この作品のポイントは、石井やさだ子の過去が説明されず、柚木刑事が張り込みで見たことに特化している点。焦点を絞るという新しい試みが、物語に研ぎ澄まされたスリルを生み、読者を惹きつけてやまないのです。

松本清張が生み出した「脱領域の文学」!本嫌いでもサクサク読めてしまう?

松本清張が駆け抜けた時代は、明治・大正・昭和という日本激動期。この時代は、日本文学史に名を連ねる多くの文豪たちが誕生しました。しかし、松本清張はその中で初めて出現した、他とは全く個性を別にした作家です。松本清張は大卒ではなく、日々の糧を得るために転々とした苦労時代を強いられたため、作家としては異例の42歳からのスタートでした。

しかし、たとえ松本清張について知らないという人でも、テレビの番組表で「松本清張ミステリー」という副題がついたスペシャルドラマを目にしたことがあるはず。「砂の器」「点と線」「ゼロの焦点」などのタイトルは、一度は見たことがあるでしょう。これらはベストセラーにもなり、社会推理小説ブームを作り出した作品ばかり。「松本清張=ミステリー作家」という印象が世間には根付いていますが、実は芥川賞受賞以降、しばらくは歴史小説、現代小説などの短編小説を執筆していた松本清張。中卒で貧乏暇なしと言ったら聞こえが悪いかもしれませんが、そんな人生の中、松本清張は、自らの努力で多くを見聞し、多くを吸収して筆を走らせてきました。

純文学でもない通俗文学でもない「脱領域の文学」。それは、主題を決定し時代を反映させ、思想を照射して表現方法を考えていくというやり方で、松本清張が生みだしたニュージャンルでした。偉ぶったところが全くなく、大正・昭和と文学の大衆化が進む中で、自らも大衆であった松本清張のリアリティだったからこそ、国民的作家として多くの支持者を得てきたに違いありません。松本清張作品の受け入れやすさは、今でも「本は基本的に読まないけど松本清張は読んだよ」という人が多数いるゆえんではないでしょうか。

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