松尾貴史の才能がマルチすぎて本業が分からない件!上岡龍太郎のと大喧嘩とは?

松尾貴史の才能がマルチすぎて本業が分からない件!上岡龍太郎のと大喧嘩とは?

松尾貴史の才能がマルチすぎて本業が分からない件!

松尾貴史は、大阪出身で「キッチュ」と呼ばれていた

松尾貴史こと「キッチュ」とは、元はドイツ語。芸術を気取ったまがいものといった意味です。このキッチュが、松尾貴史として大きく化けることができたのは、大阪におけるサブカルチャーのカリスマ、無頼作家にして薬物中毒者であった中島らもと知遇を得て、多大な影響を受けたからでしょう。

ちょうど「おたく」という言葉が登場した1983年、ディスコでDJをしていた、他の上方芸人とはテイストが異なる一風変わった青年が、大阪の小さなプロダクションからタレント「キッチュ」としてデビューしました。キッチュこと松尾貴史は、その後数年、中島らもが主宰する「笑殺軍団リリパットアーミー」に参加しています。

松尾貴史は、オカルト絶対否定論者で一躍有名に

松尾貴史ことキッチュは、東京に居を移して古舘プロジェクトに所属。以後は松尾貴史と名乗り、バラエティやトーク番組の司会、ナレーター、クイズ解答者、辛口のコメンテーターとしてマルチに大活躍します。松尾貴史は、1966年生まれの55歳。サブカルチャーに精通していながら、本人は徹底した超常現象・オカルト懐疑論者で、「ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル」には欠かせない存在です。

松尾貴史は、桂米朝門下の桂吉朝とも親交があり、自身も年に2、3度高座に上がることがあるようです。またオリジナルの折り紙作家として、個展も開いています。松尾貴史はキッチュな青年から、まさに、本物のマルチタレントとして見事な変貌を遂げたのです。

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松尾貴史と上岡龍太郎の大喧嘩とは?「般゜若 PANNYA CAFE CURRY」の評判は?

松尾貴史VS上岡龍太郎、新旧辛口コメンテーターによるラジオバトルがあった!

松尾貴史は、キッチュの頃から、コメンテーターとして一家言持っていました。まだ東京に進出する前、朝日放送の深夜ラジオ「ABCファンキーラジオ」で、2000年に芸能界を引退した、当時は上方きっての辛口コメンテーター上岡龍太郎とのトークバトルが、今なお語り継がれています。

事は、中島らもが贔屓にしていたイラストレーター、ひさうちみきおの絵に対して、上岡龍太郎が、「小学校の絵の、先生にも褒められん絵や」という毒舌を吐いたことからでした。松尾貴史は、「印象に残らないから駄目と言っていいのか」と反論。だんだんと話がエスカレートしていき、ついにはリスナーに対するパーソナリティとしての在り方を、お互いが批判。最後は上岡竜太郎が、「俺の批評に文句を言うということは、お前が人の考えを自分に合わせようとするのと同じ。

もう一度話に来い」と言って帰ってしまったのだとか。まさに、新旧辛口コメンテーターの対決。当時のリスナーたちは、この放送を、固唾を呑んで聞いていたことでしょう。

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松尾貴史の、カレー好きが高じて開いた下北沢「般゜若」の味

松尾貴史は、カレーに対しても並々ならぬ思い入れがあるらしく、とうとう自分でカレー専門店を作りました。それが、2009年、東京の下北沢に開店した「般゜若 PANNYA CAFE CURRY」。2012年には大阪の福島に2号店ができたことを考えると、松尾貴史のカレー好きは、決して口だけではないということでしょう。カレーがお好きな人は一度お試しください。もし気に入らなかったら、松尾貴史にカレー論争を挑まれてみては!

松尾貴史がV6坂本昌行と挑む、2人で13役「マーダー・フォー・トゥー」

松尾貴史は、多忙であっても、芝居への情熱はいまだ衰えていません。2016年月末から6月中旬にかけては、大阪と東京で、ジャニーズのV6坂本昌行と松尾貴史による二人芝居「マーダー・フォー・トゥー」の上演が決定しています。二人芝居「マーダー・フォー・トゥー」は、オフ・ブロードウェイの人気ミュージカルで、自らのバースデーパーティで銃殺された作家を巡り、刑事と多数の容疑者たちが繰り広げるコメディミステリーです。

注目は、13人の登場人物全てを、坂本昌行と松尾貴史が二人で演じきることです。舞台では、まさにキッチュな松尾貴史のさまざまな顔が見られることでしょう。松尾貴史は、かつてインタビューの中で、このように答えています。一念発起とか、岐路に立たされてチョイスしたとか、そういうドラマチックなことがあったわけではなく、面白いことを考えたりしゃべったりしているうち、なんとなく環境の方がゆるりと近づいてきた。

それの積み重ねで、ゆるり、ぬたりと「やるべきこと」が増えたと。いかにも松尾貴史らしい、矜持と照れが入り混じった表現です。しかし松尾貴史には、狂乱のバブル期、大阪に咲いたサブカルチャーの仇花、中島らも一党の生き残りとして、大阪文化が決して吉本や漫才だけではないことを、これからも身を持って示してほしものです。

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