目黒祐樹と松方弘樹の父親は時代劇の大スター近衛十四郎!

目黒祐樹と松方弘樹の父親は時代劇の大スター近衛十四郎!出典:http://pink-burst.info

目黒祐樹と松方弘樹の父親は近衛十四郎!兄弟仲は悪かった?

目黒祐樹・松方弘樹の父は、戦前、戦後を生きた時代劇の大スター近衛十四郎

もはや古典芸能となってしまった時代劇ですが、今、重鎮と呼ばれる俳優の多くが、時代劇黄金期の二世俳優であることは、あまり知られていません。

例えば、ドラマやCMで大活躍の北大路欽也は、「旗本退屈男」で一世を風靡した市川右太衛門の息子であり、田村正和の父親は、映画「無法松の一生」で有名な坂東妻三郎。そして先日亡くなった松方弘樹と弟・目黒祐樹の父親は、豪快な殺陣が人気だった近衛十四郎です。

戦前、市川歌右衛門のプロダクションから時代劇俳優としてデビューし、戦後は東映映画で活躍。昭和30年代は、「素浪人月影兵庫」や「素浪人花山大吉」など、テレビ時代劇で大人気を博した俳優でした。

目黒祐樹と松方弘樹の俳優となるまでの全く違う道のり

目黒祐樹の兄・松方弘樹は、父とは別の道を歩もうと、10代のときに歌手を目指し、上原げんとという作曲家の内弟子となります。そこには、まだ下積み時代の五木ひろしがいて、実力の差に唖然とし、結局、父と同じ映画俳優の道を歩みます。映画デビューは18歳の時でした。

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市川右太衛門の息子である北大路欽也とは同い年で、東映では、2人をコンビにして、今のアイドルのように売り出そうとしますが、どうやらその当てははずれたようです。それでも、時代劇全盛時代、数々の先輩スターと共演した松方弘樹は、時代劇のノウハウだけでなく、スターとしての立ち居振る舞いを学びます。しかし、俳優として認められるようになったのは、皮肉なことに時代劇や任侠路線がすたれ、「仁義なき戦い」に代表される実録やくざ路線に東映が路線を変えた時からでした。

一方、弟の目黒祐樹は、小さい頃から東映の子役として活躍していたものの、中学からは学業に専念。同志社中学、高校へと進み、アメリカへ留学しました。アメリカでは、ボストン大学やカリフォルニア大学で演劇を学び、中退して日本へ帰ってから、再び俳優を目指します。

兄の松方弘樹が、ずっと映画界を生きてきたことに対して、弟の目黒祐樹は、テレビや舞台を中心に活動をしてきました。兄弟での共演は、テレビシリーズ「柳生一族の陰謀」ぐらいで、こういう事情から、兄弟の不仲説が生まれたのかもしれません。

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目黒祐樹は娘・近衛はな、嫁・江夏夕子と家庭円満!現在の芸能活動は?

目黒祐樹の娘・近衛はなは、英語、仏語、ロシア語が話せる才媛女優

目黒祐樹は、女優であった江夏夕子と結婚しました。36歳になる一人娘、近衛はなは、女優として活動しています。父の目黒祐樹は、自身に留学経験があり、英語ができることから、娘の近衛はなにも英語の習得を勧めていましたが、近衛はなは英語だけでなく、仏語、ロシア語も話せるようになりました。

2009年のNHKドラマ「白洲次郎」では、その英語力を活かして、出演のみならず、脚本協力、さらには脚本デビューまで果たしています。近衛はなは、俳優としてはいまだ両親に及びませんが、兄の松方弘樹一家とは対照的に、家族仲もよい目黒祐樹一家。家族そろって旅番組などにも出演しています。

目黒祐樹の意外にマルチなタレント活動

目黒祐樹は、兄・松方弘樹の派手な芸能生活に隠れて目立ちませんでした。しかし1980年、女優の島田陽子が出演して話題になった、アメリカのドラマ「将軍 SHOGUN」に、その英語力が買われて出演。なんとエミー賞最優秀助演男優賞にノミネートされています。

また、兄・松方弘樹同様に歌がうまく、ミュージカルにも出演しています。殺陣もまた、父である近衛重四郎ゆずりの豪快な立ち回りができ、北島三郎の舞台など、多くの舞台のゲスト俳優として重宝されてきました。さらには、情報番組や、テレビショッピングのキャスター、コメンテーターなども上手にこなす目黒祐樹は、ある意味、兄の松方弘樹より、ずっと器用なのかもしれません。しかし、その器用さ、奥ゆかしさが、目黒祐樹の俳優としての存在感を、一味薄めているのも事実です。

目黒祐樹がNHK「ファミリーヒストリー」で知った父・近衛十四郎が戦地で誓った感動エピソード

2017年2月2日放送のNHK「ファミリーヒストリー」は、本来、「松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」として、彼らの父であった近衛十四郎を、兄弟2人が懐古するという内容でした。しかし、2017年1月21日、松方弘樹が「脳リンパ腫」によって突然亡くなったため、松方弘樹の追悼も兼ね、弟の目黒祐樹が1人で出演し、急遽放送されることに。

彼らの父、近衛十四郎は、1914年生まれ。1977年に、まだ63歳の若さで亡くなっています。新潟県長岡の生まれで、根っからチャンバラが好きだった少年は、父亡き後、女手一つで育ててくれた母や親戚の猛反対を押し切って、キネマの都・京都に向かいます。市川右太衛門のプロダクションに入った近衛十四郎は、その美貌と殺陣のうまさで、瞬く間に頭角を現しました。

21歳の時、大都映画に移った彼は、若干21歳で時代劇の大スターに。そして、同じ会社の女優、水川八重子と結婚します。しかし、やがて日本は太平洋戦争に突入。33歳にもなった近衛十四郎にも召集令状が届き、彼は、朝鮮の北部で終戦を迎えることになります。本来ならば、さらにシベリアに送られるはずだった近衛十四郎ですが、発疹チフスにかかって重傷だったことが幸い、翌年、やっとのことで日本へ帰ることができたのでした。

これら、父・近衛十四郎の前史は、目黒祐樹にとって、ほとんど知らされていなかったことばかりでしたが、父が語り続けていたことは、「なんとしても生きて日本に帰る」と念じていたことだそうです。近衛十四郎は、十歳年下の戦友とこの誓いを共にし、その若き戦友はシベリア送りになりながらも、日本に帰還を果たし、まだ存命でした。

もし近衛十四郎が日本へ帰ってくることができなかったら、彼の戦後映画界での活躍だけでなく、昭和の芸能界を彩った、松方弘樹・目黒祐樹の存在も、きっとなかったに違いありません。近衛十四郎は、大正生まれの男の気骨を、改めて感じた生き様です。

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