ミッキー・カーチス映画「ロボジー」73歳で勝ち取った主演!本名は何?

ミッキー・カーチス映画「ロボジー」73歳で勝ち取った主演!本名は何?出典:http://www.sanspo.com

ミッキー・カーチス映画「ロボジー」73歳で勝ち取った主演!本名は何?

ミッキー・カーチスが74歳で初主演した映画「ロボジー」の芸名は五十嵐信次郎!

ミッキー・カーチスは、1938年生まれの77歳。日英混血の父母の元、戦前に生まれ、戦後の芸能や音楽を担った第一世代、そして最初のハーフ芸能人といえます。年齢を重ねるとともに、ますます不思議な存在感が増してきたミッキー・カーチスは、映画やドラマで、正義とも悪ともつかぬ曲者を演じ、重宝されてきました。

しかし、ミッキー・カーチス自身が主人公になったことは一度もありません。ところが、2012年、映画「ロボジー」で、ミッキー・カーチスは、74歳にして初主演を獲得。映画「ロボジー」は、開発できなかったロボットの中に入って、ロボットが完成したように見せかけるバイトを引き受けた老人が引き起こすドタバタコメディです。共演は吉高由里子で、ポップなコメディとして大ヒット。

この「ロボジー」に、ミッキー・カーチスは、子供の頃、英語名でいじめられた時に考えた日本名「五十嵐信次郎」名義で出演しています。それでは、ミッキー・カーチスの本名は何なのかというと、これは、なかなか難しいところです。帰化して後の戸籍名は、加千須ブライアンだそうですが、作詞家・落語家・レーサーなど、その時々で名義を変えて活動してきたミッキー・カーチス。とらえどころがない、とは、まさにミッキー・カーチスのことを言うのでしょう。

ミッキー・カーチスは「ロカビリー3人男」の1人だった

ミッキー・カーチスは、そのハーフとしての容貌や、英語の歌唱力で、ロカビリー3人男として、若い女性たちに圧倒的人気を誇っていました。3人男の残りの2人は、後に歌謡曲の大家となる平尾昌晃。もう1人は、人気落語家だった柳家金語郎の息子、山下敬二郎です。芸能界には、脚光を浴びているときも、話題に上らなくなっても、マイペースで自分の人生を楽しんで生きる達人がいます。

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今では、所ジョージなどがその筆頭に挙げられるでしょう。しかし、エルビス・プレスリーの登場によって、日本にロックという音楽が入ってきたときから現在まで、なんと60年以上、飄々と芸能界を生き抜いてきた元祖、自由人がいます。それが、ミッキー・カーチスです。ミッキー・カーチスは、ロカビリー歌手としてだけでなく、音楽番組の司会や俳優など、マルチな活動を始めます。

1962年には、当時トップモデルで、やがてテレビ業界で伝説的な司会者となる吉村真理と熱愛結婚しますが、1児をもうけ、2年後には離婚。1970年代や80年代は、プロのミュージシャンとして、本格的なロックバンドを組み、海外での公演が評判を呼んだだけではありません。矢沢永吉率いる「キャロル」の他、フォークグループの「ガロ」、シンガーソングライターの小坂忠など、数多くのミュージシャンの音楽プロデューサーを務めました。

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ミッキー・カーチスはテレビで「キャロル」を見つけた

ミッキー・カーチスは、矢沢永吉をメジャーにした音楽プロデューサーとしても有名です。しかも彼は、昔から矢沢永吉を知っていたわけではありません。革ジャンにリーゼントのロックンロールバンド「キャロル」は、まだデビュー前、京浜地区のクラブで人気に火がつき、1972年、フジテレビの若者向け情報番組「リブ・ヤング!」のバンド紹介コーナーに出演します。

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その番組を見ていたミッキー・カーチスは、「このバンドはいける!」と、持ち前の音楽的直感が働き、すぐにテレビ局に電話。リーダーだった矢沢永吉と翌日会う約束をして、即プロデューサー契約を結びます。その後、キャロルは、ミッキー・カーチスの戦略により、「ルイジアンナ」でデビュー以降、毎月1枚ずつシングルをリリース。

1972年12月から1973年6月まで、7枚のシングルが毎月売り出され、「ルイジアンナ」が20万枚、「ヘイ・タクシー」が10万枚、「ファンキー・モンキー・ベイビー」は30万枚を売り上げ、キャロルは、たちどころに伝説のバンドとなりました。しかし、度重なるトラブルや、矢沢永吉と他メンバーとの軋轢から、バンドはわずか3年で解散する結果に。しかし、ミッキー・カーチスが、キャロルのプロデューサーとして、相応の利益を上げたことは間違いありません。

ミッキー・カーチスの秘められた半生記「おれと戦争と音楽と」を出版

ミッキー・カーチスの、何もしないで遊んでいるように見えて、一瞬のタイミングを逃さない性格は、やはりその出自にあるようです。戦時の日本を避け、まさに無国籍都市だった上海で終戦を迎えたミッキー・カーチスは、国家や体制というものがいかに脆いものか、また、人というものが、いかに言葉や肌の色だけで他人を差別するものかを、身をもって感じて育ちました。逆に、音楽というものが、世界共通の言語であることを確信したのでしょう。

以後、ミッキー・カーチスは、自由と平和をモットーに、自らの感性だけを信じて、音楽を糧に生き続けてきたのです。ミッキー・カーチスは、2015年、自らの半生を赤裸に描いた「おれと戦争と音楽と」を出版しています。

ミッキー・カーチスがタイのプーケット島に移住してカフェのマスター?!

ミッキー・カーチスは、半生記「おれと戦争と音楽と」を出版し、いよいよ悠々自適の日々を送るかに見えました。しかし実は、2016年3月に、タイのプーケット島に移住して、カフェ経営に取り組む毎日だとか。その奮闘の様子は、ネスレ日本が運営するエンタメサイト・ネスレアミューズネスレに、「ミッキー・カーチス、タイ人になる!?~セカンドライフ、プーケットでカフェ経営~」として、動画で見ることができます。

ミッキー・カーチスは、1966年に、ロックバンドを組んで、タイで1年間演奏活動をしていた頃を思い出し、バカンスに夫婦でタイを再訪して、改めてタイに魅了されたのだそうです。77歳にして、カフェのマスターとは、ミッキー・カーチスの遊び心は、老いてまだ盛んです。また俳優としても、今秋公開される、小松菜奈と菅田将暉ダブル主演作「溺れるナイフ」に出演が決まっています。きっと、ストーリーのキーとなる役柄かと思われます。

ミッキー・カーチスは、浮浪者から謎の黒幕まで、あらゆる役柄をこなしながら、決してその役柄だけに止まらない、謎の余韻があります。それは、天性の遊び心かもしれないし、何にも染まらない、自由で力強い生き方の現れなのかもしれません。ミュージシャンにしてプロデューサー、変幻自在の役者にして、落語家であり、華道家。そして今は、タイのプーケットで、カフェの新米マスター。ミッキー・カーチスは、まさに芸能界の亀仙人です。

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