マイク眞木の嫁や息子達の現在は?自宅はまるでビーチボーイズ?!

マイク眞木の嫁や息子達の現在は?家系図がめまぐるしい事になっていた

マイク眞木の嫁や息子達の現在は?サーフィンは生活の一部!?

マイク眞木は、「バラが咲いた」でおなじみのベテランフォーク歌手。御年74歳になりますが、まだまだ元気に音楽活動を続けています。1968年に、女優の前田美波里と結婚しますが離婚。2人の間に生まれた息子が、俳優の真木蔵人です。その後、元歌手の和田加奈子と再婚し4人の子供を授かります。真木蔵人も含めると、男4人女1人で計5人の父親です。

長男の真木蔵人は、北野武監督の映画「あの夏、いちばん静かな海。」で主人公を演じた頃から人気が高まり、大物カップルの間に生まれた2世俳優として一世を風靡。プロサーファーとしても活動していた他、著作業でも注目されるなど、活躍の場を広げていきました。

しかし近年は、傷害罪で逮捕されるなどトラブルも多く、表立った活動はめっきり減っています。次男の真木勇人と、三男の真木泰人は、いずれもプロのサーファーです。マイク眞木の自宅が千葉県の九十九里にあることからも分かるように、マイク眞木ファミリーにとって、サーフィンはまさに生活の一部となっているのでしょう。

マイク眞木の家系図は?孫が6人もいる大家族!

マイク眞木の父は、舞台美術家や衣装デザイナーの分野で功績を残した眞木小太郎です。日本舞台テレビ美術家協会の会長を務めたほどの大物で、父の影響を受けたマイク眞木は、高校時代に、TBSの美術部でアルバイトをしてこともあったと言います。その家系をさかのぼると、先祖には、水戸藩に家禄三千石で仕えていた家臣・真木景信の名前が。その妻は、水戸光圀の妹・千姫という、由緒正しいお家柄です。

一方、マイク眞木が再婚した嫁の和田加奈子は、東京芸術大学美術部彫刻科在学中の1985年に、「パッシング・スルー」で歌手デビューし、1991年に一般男性と結婚したことを機に芸能界を引退。子供が1人生まれましたが、その後離婚し、2002年に、子供を連れてマイク眞木と再婚しています。

しかしその後、一度は離婚するもあらためて再々婚したという経緯をたどってきました。今ではマイク眞木ファミリーは、子供が5人で、孫が6人の大家族になっています。

マイク眞木の自宅はまるでビーチボーイズ?!ディナーライブなど精力的に活動

マイク眞木の自宅はまるでビーチボーイズ?!300坪もあるカントリー風の家

マイク眞木は、反町隆史と竹野内豊、広末涼子らの共演で人気を博したフジテレビのドラマ「ビーチボーイズ」(1997年)に出演していました。役柄は、昔サーファーだったという民宿の経営者。なかなかのはまり役でしたが、実は私生活でも、まるで「ビーチボーイズ」さながらの自宅。マイク眞木が自宅を構えているのは、千葉県の房総半島東部にあるいすみ市です。

サーフィンにもってこいの九十九里浜沿いに位置する、300坪もあるというカントリー風の家には、薪ストーブも完備されています。マイク眞木は、リビングで、息子たちとサーフィンの話に興じたり、ギターを弾きながら歌を歌ったりしながら優雅に暮らしているそうです。

マイク眞木はディナーライブなど精力的に活動!

2008年には大動脈瘤等の手術を受けるなど、体調を壊していた時期もあったマイク眞木。最近は、テレビで見ることもめっきり少なくなりました。そのため、一時は死亡説も囁かれていましたが、2015年7月22日には、アルバム「ハマラづくし」をリリース。2017年8月10日には、シンプルなアレンジで、マイク眞木の歌声をストレートに味わうことができる「Hi-Res Hawaiian~’ll Remember You~」が配信リリースされています。

そんなマイク眞木の現在の音楽活動はライブが中心です。オフィシャルホームページを見ると、ライブの開催情報が掲載されていますが、2018年6月19日は青山R40、6月30日は上野池之端にある鰻料理老舗「龜屋 一睡亭」のライブハウスQuiにて、小林啓子とのディナーライブが行われます。

マイク眞木が不遇の時期に思い出した言葉とは?仕事がなくなった時がチャンス!

1963年に、モダン・フォーク・カルテットを結成し音楽活動をスタートさせたマイク眞木は、1966年に「バラが咲いた」でソロデビューしました。売り上げ枚数が30万枚以上という空前の大ヒットとなった「バラが咲いた」は、日本にフォークソングブームを巻き起こしました。

しかし、この曲がヒットした時に、作詞作曲を担当した浜口庫之助から言われたのは「仕事がなくなった時がチャンスだ」という意外な言葉でした。浜口庫之助は、「忙しくて今はいろんなものをじっくり見聞きできないだろうけど、仕事がなくなって十分時間がある時こそ君は成長する」とアドバイスしたと言います。

そのため、仕事がなくなるたびにこの言葉を思い出し、「自分は今成長しているのだ」と言い聞かせてきたと明かしたマイク眞木。時代の流れとともにフォークソングそのものの人気が下火になってしまいましたが、同じスタンスで歌い続けてこられたのも、浜口庫之助の言葉があったからではないでしょうか。

「バラが咲いた」があまりにも大ヒットしてしまったため、「マイク眞木のその他の曲は?」と言われると、よく分からないという方も多いかもしれません。しかし、マイク眞木が作詞作曲した曲には、モービル石油のCMソング「のんびり行こう」や、ボーイスカウトで歌われている「キャンプだホイ」など、意外と身近なところで耳にできる曲もあります。

とはいえ、マイク眞木は、「みんなに歌ってもらえるヒット曲が1曲ある、それだけで十分幸せ」なのだとか。常に力むことなく自然体であり続けるマイク眞木の人柄がよく分かるコメントですね。「バラが咲いた」をハワイ語で歌ったらいいかも?と軽いノリで言ってみたところ、2017年にはハワイ語バージョンが本当にリリースされ、とても喜んでいたというマイク眞木。これからもずっと、ブレないスタイルで歌い続けてほしいものです。

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